成績の悪い不良坊主くんは、寒い冬におそわれてるニューヨークへと出かける。
そこには不良坊主にはたまらない、町だったのだ。
暗闇の道で知り合ったいかにも不良坊主と、毎日12時過ぎまで歩き回った。
冬で氷のように固まった公園を基地として、朝から晩までそこで秘密兵器を作ったり母親の気持ちも忘れてひたすら遊んでいた。
そんなある日、公園の基地に侵入したホームレスと出会う。
最初は俺たちの基地に入り込んで来たことに雄叫びを上げて喧嘩になりそうになったが、そのホームレスは丁寧に謝って来たので許すことにした、不良坊主たちだった。
そこで、初めてのニューヨークの冬をホームレスとして過ごすことを打ち明かされ、そこには、ある理由があったのだ。
このホームレスは78歳の背が低めのぽちゃっとして優しそうなポテポテしたいかにもお爺ちゃんという風貌だった。
今年の春からホームレスになったらしく、まだその姿は小綺麗だった。
そんなお爺ちゃんはなぜホームレスになったのか。
ポテポテお爺ちゃんは、50年前にニューヨークで小さな小さな夢であったパン屋さんを経営していた。
本格的なパンを作りに20歳から27歳までフランスで修行をして、故郷ニューヨークで念願だった小さなパン屋を開いたのだ。
その名も、「パン・デ・クリュフ」。日本語に直すと、小粋なパン屋だ。
ここのベーカリーはたちまち口から口へと伝わり、大盛況となった。
そんなパン屋に通う美しい3つ年上の女性と出会い、まだ若造だったポテポテお爺ちゃんは、幸せな結婚をした。
結婚後も、妻もお手伝いをしながら、小粋なパン屋は、グングンと美味しいパン屋として知り上げていった。
子供には恵まれなかったが、妻と約束したのだ。いつかこのパン屋をもっと有名にして、本場フランスでパン屋を開こうと。
その夢は2人の気合いを加速させ、店は少しずつではあるが、おっきくなって行った。
だが、30~40年たつと、周りには有名なパン屋が続々とニューヨークに出来ていき、たちまち小粋なパン屋は規模を小さくさせられてしまい、始まった頃と同じ大きさになってしまった。
だが、なかなか売れないパンを、ポテポテお爺ちゃんは毎朝、1ミリも手を抜かず手作りで焼いていた。
妻も毎日笑顔で店にたち、2人はどうにか店をやりくりしていた。
そんなポテポテお爺ちゃんの77歳の誕生日に、最愛の妻を亡くした。
元々体の弱かった美しい妻だったが亡くなる前々日まで椅子に座りながらも、お客様を笑顔で迎えていた。
そんな支えでもあった妻を亡くした、ポテポテお爺ちゃんは、ついにやる気さえも失ってしまい、貯金も底を尽き、78歳の春に店もなくなり、妻との思い出が詰まった家もなくなり、ホームレスになってしまったのだ。
ポテポテお爺ちゃんは唯一の最愛の妻もなくし、自分の夢であったパン屋も潰れてしまい、どうなってもいいと最後に呟いた。
それを聞いた不良坊主たちは、立ち上がり馬力の声で、ポテポテお爺ちゃんの手を取り、言った。
「俺たちでまたパン屋を開かないか?」と。
ポテポテお爺ちゃんは笑いながら、「ありがとう、気持ちだけでも嬉しいよ」と呟いた。
そこからというもの、不良坊主たちはパン作りを1からポテポテ爺さんに学んだのだ。
来る日も来る日も、朝から夜中まで不良坊主たちは住み込みでパン作り、それからポテポテ爺さんがこだわり続けたライ麦の作り方。
全てを学んだ少年たちだった。
そしてようやく開けた新たなる小さなパン屋にも花が咲いたようにお客さんたちが舞い込むようになってきた。
不良坊主たちももう立派な好青年となり、ポテポテ爺さんも若さを取り戻したように、ワクワクしていた。
そして、お店はニューヨークでは知らない人はいない程の、こだわり抜いたパン屋として様々な記事にも取り上げられて、ポテポテ爺さんは「生きていてこんなに盛り上がったのは、初めてだ、ありがとうよ。婆さんにも見て欲しかった」と少年たちに呟いた。
少年たちは「まだまだこれが一番なんかじゃない、僕たちは一緒にフランスにパン屋を出すんだ! まだまだ夢を諦めちゃダメだ!」と言った。
そしてポテポテ爺さんの貯金と少年たちの給料をかき集め、ポテポテ爺さんと少年たちは、なんのあてもなく、フランスに飛び立った。フランスの小さな田舎町だ。
そこでまた小さな小さなパン屋をまた0から知らない地で頑張るのだ。
そしてポテポテ爺さんのお人好しの性格と少年たちの活気で、みるみるフランスのパン屋さんは人気を集めていった。
これが夫婦で夢みたあのパン屋だったのだ。
間違いない。
これはのちに、ポテポテお爺ちゃんと亡き妻の夢であったフランスにパン屋を開き大成功を収める、不良坊主たちとポテポテお爺ちゃんに起きたヒューマン感動物語だ・・・・・・。
夢を叶えるのに、時間も年齢も関係ないと気付かせてくれるキラキラな一冊。
(編集部より)本当はこんな物語です!
物語は、アメリカ西部の街で静養中の青年ホールデンが、昨年のクリスマスの出来事を語る形式で進みます。成績不良で高校を追い出されそうなホールデンは、気持ちがくさくさして寮を飛び出します。向かった先はニューヨーク、ホテルのロビーで出会った女の子とダンスにでかけたり、娼婦を買ったり、ずいぶんと奔放な夜を過ごします。翌朝、女友達とデートの約束をとりつけ、ストリートに出たとき、子供がこんな歌を口ずさんでいるのが耳に入ってきます。
「♪ライ麦畑でつかまえて~」
ニューヨークで過ごしても気分が晴れないホールデンは実家に戻るのですが、妹から「兄さんは、世の中に起きることが何もかもいやなんでしょ」と言われます。悩んだホールデンは考えます。自分がやりたいことはなんだろうか。そこで考えついた結論が、タイトルにつながってくるのです。
どうつながってくるかは本書をお読みいただくとして、とにかくふらふらしているホールデンの姿は、思春期の自分探しそのもので、我がことのように読んだ青年が世界中に 生まれました。滝沢さんの「不良坊主」はどうやらパン屋に自分の居場所をみつけたようですが、ホールデンはどんな居場所をみつけたのでしょうか。