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愛の慎ましさに興奮を覚える

池上冬樹が薦める文庫この新刊!

  1. 『ぼくの短歌ノート』 穂村弘著 講談社文庫 670円
  2. 『悪女イヴ』 ジェイムズ・ハドリー・チェイス著 小西宏訳 創元推理文庫 1080円
  3. 『拝み屋怪談 鬼神の岩戸』 郷内心瞳著 角川ホラー文庫 734円

(1)は、『短歌の友人』と並ぶ短歌評論の傑作。「コップとパックの歌」から「殺意の歌」まで40のテーマにわけて様々な歌を的確に分析している。なかでも女性の身体感覚の変遷を捉えた「花的身体感覚」「するときは球体関節」と、戦前生まれの人たちの精神的な恋愛を拾う「慎(つつ)ましい愛の歌」が目をひく。特に後者。なぜいま“愛の慎ましさに興奮を覚える”のかを、1980年代からの口語短歌に対する毀誉褒貶(きよほうへん)の根底にあったもの(欲望の肯定)を見つめながら、日本人の心理構造の変容を詳(つまび)らかにする。余談になるが、僕は各文学賞の予選委員・下読みを務めているが、今や応募原稿でも慎ましい愛の物語が主流。穂村弘は短歌から現代人の深層意識や生活感覚を鋭く拾い上げている。

(2)は、1945年に発表されたノワールで、ブノワ・ジャコー監督、イザベル・ユペール主演「エヴァ」の原作。作家のクライヴが、娼婦(しょうふ)イヴと出会い、破滅していくまでを劇的に描いている。知的で美しい恋人がいても、魔性の女の虜(とりこ)になり、絶望の中でのたうつ男の悲嘆と憤怒が何とも生々しく、いまなお新鮮だ。暴力・サディズム・セックスの入り交じる冷酷非情の犯罪小説を得意とするチェイスは読まれなくなったけれど、『ミス・ブランディッシの蘭(らん)』『あぶく銭は身につかない』『世界をおれのポケットに』など名作多数。もっと再評価されていい。

(3)は、現役の拝み屋による実話怪談集の第4作だが、ほかと異なるのは拝み屋の日常と苦悩を前面に打ち出している点。いわば私小説怪談。聞き書きの怪談集に、拝み屋が体験した長期的な怪異譚(たん)(女性霊能師に解決を要請された幽霊騒動)を織りこんで膨らみをもつ。聞き書きの怪談集は著者自身の事件と実際には重ならないけれど、妄想、いじめ、引きこもり、タルパ(人工未知霊体)など主題的に密接に繋(つな)がりをもつ。ときに視点を変え、過去にとび、ふたたび現在の「私」の視点に戻ったりと語りも自在で実に滑らか。主題把握と語りが綿密な手練の会心作だ。=朝日新聞2018年7月7日掲載