世界経済を震撼(しんかん)させたリーマン・ショックから今年で10年。「百年に1度」と言われたあの危機は多くの教訓を残した。だが、のどもと過ぎれば熱さ忘れるの例えどおり、住宅バブルの崩壊で痛い目にあった反省はどこへやら。いま私たちが目の当たりにしている世界経済はリーマン直前をもしのぐ資産バブルのふくらみようである。
率直に言って、近い将来、世界規模でのバブル崩壊が再び起きる可能性は小さくない。10年前の教訓をいま改めてかみしめておく価値は十分ある。
エリートの保身
当時の主要なプレーヤーたちが回顧録を出している。米国のポールソン財務長官、バーナンキFRB議長、ガイトナーNY連銀総裁、日本の篠原尚之財務官(肩書は当時)。どれも貴重な証言録ではある。ただし当局者による回顧は、政府がとった行動を実態以上に正当化するきらいがある。少し割り引いて読むぐらいがちょうどいい。
その点、『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』は政府の無責任ぶり、業界の混乱ぶりが遠慮なく描かれ、迫力満点だ。リーマン破綻(はたん)前夜からの数日間の記述は驚くほど生々しい。財務長官と大手銀行首脳は交渉がうまくいかず、ついに悪態をつきあう。望みが絶たれたリーマンCEOは「まぬけはおれということか」と叫び、頭を抱える。
著者は米ニューヨーク・タイムズ紙の特ダネ記者。長年信頼関係を築いた銀行や政府の関係者200人から託された個人メモ、録音、電子メール、証拠書類などを頼りに書き下ろした。ここに描かれるのは国民や世界経済を危機から救おうとしたヒーローたちではない。我が身を守ることしか考えず、責任を何とか他人に押しつけようとしたエリートたちの身勝手な姿だ。
今回はちがう?
それにしてもなぜあれほどの危機が起きたのか。なぜ回避できなかったか。その大テーマに挑んだのが著名経済学者2人による『国家は破綻する――金融危機の800年』である。過去8世紀にわたる66カ国分の政府債務と金融危機のデータを分析し、歴史の法則を探った。
それによると、危機発生にはパターンがある。政府や銀行、家計がこぞって多額の借金をつくるブームが起き、そのバブルがいずれ破裂する。金融危機が起きると、政府はその対応のために再び借金を増やし始める。その繰り返しだというのだ。
なぜ同じ過ちを繰り返すかといえば、バブルの熱狂のなかで常に「今回はちがう」症候群に陥ってしまうからだ。この好況は米国の技術革新がずば抜けているから、過去のバブルと今回は質が全然ちがう――といった具合に。だがリーマンも当然、例外ではありえなかった。
リーマン・ショックの前後で世界は一変した。先進国は低成長、低インフレから脱せず、長期停滞論がささやかれている。
『消費低迷と日本経済』(小野善康著・朝日新書・821円)がこの点を分析している。東日本大震災のような供給ショックなら、もともとあった供給余力で代替できるので回復も早い。だがリーマンのような需要ショックは、ただでさえ不足していた需要をますます小さくしてしまう。だから長期不況に至りやすいのだという。
リーマン後の経済状況を短期でなく、もっと長い時間軸でとらえ直そうという本の出版が増えているのも最近の傾向だ。
『世界経済 大いなる収斂(しゅうれん)』は、ICT(情報通信技術)革命でアイデアの移動コストが極端に下がり、世界の富と知識の分布が急激に変わる姿を描く。
経済成長やグローバル化を当たり前のものでなく相対化してとらえ、人類史レベルで世界経済の変化を考える。そんな機運が生まれたのも、一種のリーマン効果と言えるかもしれない。=朝日新聞2018年7月21日掲載