「証拠がないときはどうすればよいだろう。(中略)判断する助けになる間接的な情報を探すしかない」……まるでホームズかポワロみたい! 人類の祖先はなぜ直立二足歩行を始めたのかという謎を解くに際しての、著者・更科功の言葉だ。人類進化の類書は多々あるが、この〈謎解き度〉は本書(特に前半)がピカイチである。
なんといっても、大小取り混ぜての謎の組み合わせがうまい。たとえば、人類の特徴である直立二足歩行と犬歯の小型化。一見まったく関係なさそうな両者が、実は出産育児という生物にとって最も大事な現象を介して密接に絡み合っていることが、徐々に解き明かされていく。
もうひとつ感心するのは、読者の直観や体感に訴える語り口のうまさだ。進化はとても長い年月がかかる現象で、七〇〇万年前とか言われても読み手はピンとこない。この難関を乗り越えるために、著者は二つの仕掛けを用意した。
第一は比喩。脳の大型化を、スマホにたくさんアプリをダウンロードすることに喩(たと)えたりする。これはうまい。その現象のもつ意味が的確に表現されている。たまに比喩がすべることもあるがそこは御(ご)愛敬。
仕掛けの第二は、読者の視点を〈飛ばす〉技術である。虫の目から鳥の目へ。たとえば、現在に至るまでに絶滅した人類はおよそ二五種もいると強調する(種の数は分類の仕方で変わりうるので、おおよその目安)。ヒトにいちばん近いのはチンパンジーだとよく言われるが、両者の間には二五種類もの生物が、かつていたのだ。
視野がぐっと広がり、視点ががらりと転換される。それまでは「線」だった人類の進化が、チンパンジーとヒトを含んだ「面」として読者の前に広がる。新鮮だ。
巧みな謎解きと体感への変換。この両方が備わっている進化本は、めずらしい。そこにこの本の強みがある。
佐倉統(東京大学教授)
*
NHK出版新書・886円=12刷7万部。1月刊行。担当編集者は「どの年代にも読まれているが、中心は50~60代の男性。大昔の人類が身近に感じられるという感想もある」。=朝日新聞2018年8月18日掲載
編集部一押し!
- インタビュー 恩田陸さん「spring」 バレエの魅力、丸ごと言葉で表現 朝日新聞文化部
-
- ニュース 本屋大賞に「成瀬は天下を取りにいく」 宮島未奈さん「これからも、成瀬と一緒なら大丈夫」(発表会詳報) 吉野太一郎
-
- インタビュー 北澤平祐さんの絵本「ひげが ながすぎる ねこ」 他と違うこと、大変だけど受け入れた先にいいことも 坂田未希子
- インタビュー 「親ガチャの哲学」戸谷洋志さんインタビュー 生まれる環境は選べない。では、どう乗り越える? 篠原諄也
- 小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。 【特別版】芥川賞・九段理江さん「芥川賞を獲るコツ、わかりました」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。 清繭子
- BLことはじめ BL担当書店員が青田買い!「期待のニューカマー2023」 井上將利
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(後編) 辞書は民主主義のよりどころ PR by 三省堂
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは PR by 三省堂
- インタビュー 村山由佳さん「二人キリ」インタビュー 性愛の極北に至ったはみ出し者の純粋さに向き合う PR by 集英社
- 朝日ブックアカデミー 専門外の本を読もう 鈴木哲也・京大学術出版会編集長が語る「学術書の読み方」 PR by 京都大学学術出版会
- 朝日ブックアカデミー 獣医師の仕事に胸が熱く 藤岡陽子さんが語る執筆の舞台裏 「リラの花咲くけものみち」刊行記念トークイベント PR by 光文社
- 朝日ブックアカデミー 内なる読者を大切に 月村了衛さんが語る「作家とはなにか」 「半暮刻」刊行記念トークイベント PR by 双葉社