古城や修道院を舞台に、殺人や陰謀、超自然的恐怖が描かれるゴシック・ロマンス。18世紀から19世紀にかけてイギリスで隆盛を見たこの文学ジャンルは、『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』というホラーの二大古典を生み、現代のポップカルチャーにまで大きな影響を与えている。
デヴェンドラ・P・ヴァーマの『ゴシックの炎』(松柏社)は、その起源からブームの終焉までを克明にたどり、英国文学史におけるゴシックの重要性をあらためて主張した研究書である。わが国ではゴシックの基礎文献として名のみ知られる存在だったが、原著刊行から半世紀を経て、ついに邦訳されることとなった。これは事件だ。
500ページ近いボリュームに気圧されながらページをめくると、そこには荒々しい美と恐怖にみちたゴシック特有の世界が、パノラマのように展開する。わたしは英文学に関してまったくの素人なので、ヴァーマの学説の妥当性を判定することはできないのだが、圧倒的な読書量に裏づけられたゴシック・ロマンス興亡史は、流れを追うだけでも十二分に面白い。インド出身の碩学のゴシック愛が、こちらにも伝染してくるような大著である。
アルゼンチンの「ホラー・プリンセス」、マリアーナ・エンリケスの短編集『わたしたちが火の中で失くしたもの』(河出書房新社)は、世界24カ国で訳されているという話題作。
首都ブエノスアイレスでもとりわけ治安の悪い地区、コンスティトゥシオンで亡き祖父母の邸宅にひとり暮らす「わたし」は、幼い浮浪者の子がなんだか気にかかる。ある日、身元不明の子どもの死体が見つかったと聞いたわたしの現実は、少しずつ壊れてゆく。冒頭に置かれた「汚い子」をはじめとして、死・残酷・猟奇・夢・狂気・廃屋・幽霊といったモチーフがくり返し現れる彼女の世界は、まさにゴシック・ロマンスの現代版。鮮烈な悪夢のような作風は、一度はまると抜けられない魅力をもっている。
個人的には「アデーラの家」がベスト。お城のような家に住んでいた片腕の少女アデーラ。ホラー映画に熱中していた彼女は、やがて近所の廃屋にとり憑かれてゆく。その他、クトゥルー神話や日本の幽霊話にインスパイアされた作品もあり、最後まで興味が尽きない。さらなる翻訳が待たれる作家だ。
エンリケスと読み比べたいのが、アンソロジー『ガール・イン・ザ・ダーク 少女のためのゴシック文学館』(講談社)。現代のゴシックカルチャーに精通する作家・評論家の高原英理が、「少女的な感じ方」によって書かれた作品24編を集めたアンソロジーである。
アメリカの現代作家モーリーン・F・マクヒューの忘れがたい小品「獣」を筆頭に、川端康成・西条八十などの往年の文人、松田青子・藤野可織ら日本のいまを感じさせる作家陣、さらには短歌・俳句・日記・童謡の歌詞まで、ジャンルを問わずゴシック的感性の傑作を拾いあげた。江戸川乱歩の「魔法人形」はあえて前半部のみを収録し、エロティックな幻想小説としての面に光を当てるなど、編著者の審美眼が際立ったセレクションになっている。
弱い立場に追いやられた者たちが、死や幽霊や犯罪に惹かれてゆく物語が多いのは、『わたしたちが火の中で失くしたもの』とも共通している。少女と美しい“お姉さん”の交流を描いた皆川博子「想ひ出すなよ」などは、驚くほどエンリケスの世界に近いのだ。
先頃復刊された服部まゆみ『罪深き緑の夏』(河出文庫)は、ゴシックの伝統を受け継いだミステリーだ。少年時代、足を踏み入れた熱海のお屋敷で出会った、謎めいた美少女・百合。12年後、新進画家となった主人公・淳の前に再び姿を現した百合は、兄の婚約者となっていた。以来、淳の周囲では火事や交通事故など不審な出来事が起こり始める。
蔦に覆われた石造りの洋館・蔦屋敷。スキャンダラスかつ冒瀆的な著作を相次いで発表し、「青髯」とあだ名されるその当主。西洋のゴシックに由来する反近代的な暗さが、都会的な人間ドラマと融合し、豊穣にして人工的なミステリー空間を作りあげている。単行本刊行から30年、著者は2007年に惜しくも病没したが、作品に秘められた毒は濃密さを失わない。
18世紀後半にイギリスでともったゴシックの炎。それは世界各国に広まり、姿を変えながら、いまも妖しく揺らめき続けているのだ。