生物学者・福岡伸一さんと俳優の山口果林さんを迎えたトークイベントが19日、東京・築地の朝日新聞東京本社読者ホールであった。安部公房からフェルメールまで芸術の魅力を語り合い、人間はなぜ芸術に感動するのかといった話題まで話は尽きなかった。
「ゆく河の流れは絶えずして……」。山口さんは登場するなり、マイクなしで朗読を始めた。鴨長明の『方丈記』の冒頭だ。約200人の観客は息をのみ、耳を澄ませた。『方丈記』は福岡さん愛読の書で、本紙コラム「動的平衡」でも紹介している。
続けて、山口さんは福岡さんの随筆『芸術と科学のあいだ』(木楽舎)も朗読し、方丈記の世界観に通じる動的平衡について述べた一節を紹介した。「たえず合成しつつ、常に分解し続ける。この危ういバランスの上にかろうじて成り立っている秩序が生命現象だ」
福岡さんと山口さんの接点は、作家・安部公房。安部は1966年から桐朋学園大短期大学部(当時)で演劇を教え、70年代に演出家としても活躍。山口さんは学生時代から安部に師事し、劇団「安部公房スタジオ」に参加、交際もした。2013年には手記『安部公房とわたし』(講談社)を発表したが、その時に朝日新聞で書評を書いたのが福岡さんで、文庫版でも解説を寄せている。
機械ではできぬ営み
福岡さんが安部作品に出会ったのは学生時代。最初に読んだのは小説『第四間氷期』で、「理知的に構築されているのに流れている叙情は詩的でしびれちゃった」。
山口さんは安部スタジオでの稽古を「実証実験のようだった」と振り返った。たとえば、俳優2人が離れて立ち、次第に近づいていき、違和感や緊張感が生じたら手を上げる。身体の生理を重視した稽古で、文化人類学者エドワード・ホールの『かくれた次元』、動物行動学者コンラート・ローレンツの『ソロモンの指環(ゆびわ)』などを踏まえたものだったという。
そして、福岡さんの大好きな画家フェルメールの話へ。福岡さんは小学生の頃、顕微鏡を自作したオランダのレーウェンフックにあこがれ、彼と同じ1632年に、同じ町で生まれたフェルメールについても知った。
その後、駆け出しの研究者として働いた米ニューヨークでフェルメールの絵に遭遇。「客観的に世界を切り取っていて、科学者的なマインドを感じた」
フェルメール亡き後、レーウェンフックが遺産管財人になったといい、2人は「全くの他人ではない」。レーウェンフックが顕微鏡で見た画像の初期のスケッチは、フェルメールが描いたものかもしれない、という見方も福岡さんは語った。また「稽古の中断」に描かれた小さな楽譜をデジタル技術で読み取り、曲を演奏する試みをしていることを明かした。
生命に必要なもの、美しい
最後は「ヒトはなぜ芸術に感動するのか」という大きなテーマ。山口さんは「舞台で、自分が指揮者のようになり、お客さんの呼吸にタクトで触れるような感覚、空間が私の呼吸と同調している感覚を得たことがある」と語り、「機械ではできない分野ではないか。数字に表れない営みを感じる人間の能力に、語りかけることができれば、他者も心が動くのでは」。
福岡さんは、フェルメールの青色の美しさを挙げ、海や空など自然界の色々なところに青があると指摘。「生物が現れて間もない頃、光や空気、水が必要だった。生命に必要なものが美しいと感じられたのではないか」と語った。(神宮桃子)=朝日新聞2018年10月27日掲載