1. HOME
  2. インタビュー
  3. 人気漫画家インタビュー
  4. 祝・デビュー50年!究極のナルシスト、漫画家「一条ゆかり」ができるまで

祝・デビュー50年!究極のナルシスト、漫画家「一条ゆかり」ができるまで

文:岩本恵美、写真:斉藤順子

原動力は究極の自己愛

――デビュー50周年、おめでとうございます。50年ということは半世紀ということですが、こんなにも長い間、少女漫画の第一線を走り続けてこられた一条さんの原動力って何なんでしょうか?

 主観性と客観性がきっと他の人よりもちゃんとしているんだと思います。私って、他人のことは気にしない、究極のナル(シスト)なの。でも、そのくせジャッジメントは公平で、自分に対しても贔屓がない。だから、一番怖いのが、私が私を嫌いになること。ライバルが私なのね。自分がちゃんとしていないと、客観的に自分を見て合格を出せない。いつも私は、私のジャッジメントに怯えているの。

――主観性と客観性が一条さんの中には同じくらいの割合で同居しているんですね。

 むしろ客観性の方が強いかもしれないです。こうなったのは家庭環境のせい。私は6人兄妹の末っ子で、6畳一間の貧乏家庭。一番下で足手まといになることが多いから、誰の機嫌がよくて、誰の機嫌が悪いのかをいつも客観的に見ておかないと痛い目に遭うの。基本的に家族の中のボスはお母さんだから、母に気に入られるために家事全般をこなし、勉強もしっかりしていたのよね。母は漫画を「ポンチ絵」ってすごいバカにしていて、よい子にしていなければ「ポンチ絵ばかり描いているから」と、全て漫画のせいにされてしまう。漫画を描く時間を手に入れるためにも、せっせとよい子になり、そしたらなんか表裏の激しーい子になっちゃって(笑)

――(笑)。以前、漫画を描くときは自分の中に鬼プロデューサーがいるとおっしゃっていましたね。

 そう。だから「私は一条ゆかりの奴隷だ」と思っていた。私がヘマをして「一条ゆかり」を傷つけてはいけないと。

――ある意味、それって完璧主義なんですかね?

 完璧主義は漫画だけで、他はどうでもいいんです。私の完璧主義は漫画にだけなの。だから、私の漫画を見てみると、すごいA型の画面で、端から端まできちっとしなきゃ気が済まない。超A型なんだけど、どうもそこで全て使い切ったらしくて……。

――A型の要素を、ですか?(笑)

 そう。(血液型が)AOなんですよ。Oが入っている。私生活は法さえ犯さなければどうでもいいんです。法律に触れてはいけないのは、犯罪者になると「一条さん」が困るから(笑)。

漫画で食べていけるとは思っていなかった

――基本的に一条さんは自分が描きたい漫画を描く主義ですよね。

 そう。「読者がこういう漫画が好きだから描く」というのは違う。私が漫画家になったのは、有名になりたいとか、売れたいとか、そんなのは何一つなかったの。「好きな漫画を描いて、それで生活できたら夢のよう」っていうことだけ。でも、私が描きたい漫画をファンの方が「好きだ」って言ってくれるのはとても嬉しいです。性格がちょっと歪んでいて、変なものが好きだったから、きっと(漫画家としては)売れないだろうなと思っていたので。

――やっぱり客観性がすごいです。デビュー時から自分をそう分析されていたんですか?

 うん。だって、それまで描かれていた少女漫画って、名もなく、貧しく、美しく、みたいな、「ビンボーくさっ!」っていうものが主だったんだもの。私は不良性の高いものが好きだったから、私の漫画には全部の少女漫画ファンが食いつくことはない。きっとオタクとか少女漫画ファンの片隅の方の人たちだろうなと思ったの。だから、漫画だけじゃ食えないだろうからアルバイトをしようと思っていたくらい。

――でも、蓋を開けてみたら、そうではなかったです。

 そう。時代が変わっていたの。女性解放運動がしっかり起こっていて。アルバイトも普通のお勤めは難しいだろうから、スナックとか、高校生のころにやったことがあるキャディーのバイトなんかがいいかなと考えていたけど、結局一度もしてない(笑)

――高校生でキャディーですか? 珍しいバイトですね。

 ソフトボール部だったんだけど、日曜日の練習には「自主トレ行ってきます」と言ってキャディーのバイト。でも、その当時カートなんてなくて、全部担いで1日3ラウンドくらい回るから、見事な自主トレなの。
 おこづかいをもらうと親がデカい顔するから嫌だったのね。でも、漫画を描く時にはペン代とか紙代とかお金がいる。それを親にくれと言えなかったので、自分で稼ぐということをしていたの。

――すごいガッツがありますね。

 全てが漫画への愛のため。性格が天邪鬼で、迫害されると燃えるのね。きっと母が「ポンチ絵」って言うくらい漫画を嫌がっていたからこそ、こんなに燃えてしまったのだろうと思います。うっかり私がいま生まれていて、「クールジャパン」だとかアニメや漫画が世界を席巻するような時代にちょっと漫画が上手い子だったら、母もしたたかに考えて「頑張ってね」とか言ってくるかもしれない。そしたら、「嫌だな。やりたくないな」と思っちゃうかも(笑)

少女漫画のタブーを“正しく”破ることは快感

――そういう家庭環境なくして「一条ゆかり」は生まれてこなかったんですね。

 あと、ダメだって言われることをやりたくなっちゃう。法の目を盗んで正々堂々と「罪は犯していないけど、やってやったわ」っていうところに、快感を感じるというか。例えば、『りぼん』は少女向けの雑誌だから、「精神的愛はいいけど、肉体的愛を描くのはダメ。キスシーンは描いちゃいけない」と言われていて、ならばどうやってキスシーンを描こうかなと。

――どうやって描いたんですか?

 「あっ……」というようなセリフから想像させたり、うーんと遠くに引きで描くとか(笑)。そしたら、もりたじゅんに先を越されてしまって。原稿が遅れていて印刷ギリギリに来たのがキスシーンのドアップだったという(笑)。もう描き直してくれっていう時間がないから、間違いなく確信犯だよね。その時「しまった!その手を使えばよかったー」って(笑)。みんなそうやって努力していたのよ。スリルとサスペンスよね。

――そうやって、それまで少女漫画でタブーとされていたものを少しずつ崩していったんですね。

 やっぱり、規律やルールは破るためにあるもの。それも、正しい位置で破ったら楽しいじゃない? そんなことばっかりしてたなぁ。

――中学生の時に「恋のめまい 愛の傷」を読んで、ドキドキした記憶があります。一条さんの漫画を読む時ってすごい背伸びをしている感じがしました。

 できるだけ親のそばを離れて読む、みたいな(笑)。

――はい。一条さんの漫画を持っていることも隠す、みたいな(笑)。それが読者としてのスリルとサスペンスでもあって。

 『りぼん』を読みながらも私の漫画が好きだっていう人は、おませな子だと思う。お姉さんが持っている化粧品でお化粧してみたいとか思っているような、ちょっと背伸びをしている感じ。小学校、中学校ってちょうどそういう時期じゃない? そういう子たちがきっと私のファンなんだろうなって思っていましたね。

はじめてファンのために描いた「プライド」

「プライド」『コーラス』2007年4月号 扉 ©一条ゆかり/集英社
「プライド」『コーラス』2007年4月号 扉 ©一条ゆかり/集英社

――そんなファンのためにはじめて描いたというのが「プライド」です。生まれも育ちも性格も対照的な2人の女性がオペラ歌手を目指す物語。そこには何か心境の変化があったのでしょうか?

 最初からということではなくて、3分の2くらいを描き終えた時に「ファンのために描こう」と。緑内障や白内障などでどんどん目が見えなくなって視野が欠けてきて、「プライド」が連載としてはもう最後だなと思っていたこともあって。「プライド」の主人公、史緒と萌のことを考えていたら、日本の若い女の子は必ずどちらかの性格に分けられるなと思ったのね。そして、それを間違えている子がすごく多いなと思ったの。

――「間違えている」とはどういうことですか?

 簡単に言うと、自分を知らない子が多すぎるということ。自分がどうすれば本当の幸せを手に入れられるのか、自分自身をもっと知ってほしいと思ったのね。
 世の中には自分を史緒ちゃんタイプだと思っている萌ちゃんタイプがすごく多いの。他人に何と言われようが、自分の好きなことをやっていれば「えへ♡」って幸せになれる人が史緒ちゃんタイプ。言ってみれば、自分が精進することに快感と喜びを感じるオタクタイプね。幸せになるのに周りがいらないの。でも、たいていの女性は(周りから)愛されたい萌ちゃんタイプ。だいたい「3高の男が欲しい」なんていうのは、もう間違いないでしょ。「この人は素敵」と世間が認めた人を自分がゲットしたら、ついでに嬉しいというおまけ。

――なるほど。周りからの評価があるから相手に価値があるのであって、自分が好きということではないということですか?

 多分、自分も好きなんだろうけど、100%じゃなくて、その人に周りからの価値がたくさんついているから「とても好き」なんだと思います。それをちゃんと正しく好きになれ、と。
 実際の自分と望んでいる自分が一致しているとすごく幸せなんだけど、違う場合の方が多い。だから、たとえ嫌でも実際の自分と正しく向き合っていかないと、老後には本当に寂しい、つまんない女になるよ、と思ったの。

常にアップデートをして、いまを生きる

――一条さんの漫画のキャラクターには実在の人物が反映されていることもあるんでしょうか?

 主人公にはないけど、他のキャラクターには反映したな。友達に高3くらいの息子がいて、その子の話に感銘を受けて「正しい恋愛のススメ」を描きました。すごいしっかりしているところと、「やっぱりガキだな」っていうところがバランスが悪くて面白いなと。作中には学校生活の話もあったから、ネームを描いてセリフを書き込んだら彼と彼の妹に最初は見てもらっていたの。

――それは、現役の高校生から見て違和感がないかチェックするという意味でですか?

 そう。リアル感が欲しかったので。大人が無理をして若い言葉を使って描いている痛い感じにしたくなかったの。時代を描いたり、人間を描いたりする時に、登場人物がどんな時代に生きて、どういうところにいたからこういう人になったというのは気になるな。
 あと、自分の感覚がもし遅れていたらアップデートしなければって、いつも考えている。いつでも「いま」を描きたいので、感覚が古くなるのが嫌なのね。

――「アップデート」というのはどうやっているんですか?

 人と会うの。いろんな人と。自分じゃない人がどんな考え方をしているか聞く。大抵の場合、自分が正しくてデフォルトなんだけど、「この人にとってはどうなんだろう?」と考えてみる。その人の立場に立ってモノを考えることが一番必要。

――簡単なようでなかなかできないことですね。

 でも、作家はそれができるの。人物を創るから。こいつだったら絶対こんなことを考えるなってシミュレーションをすごいしている。だから、いままで描いてきた作品全て、登場人物が全部(私に)乗り移って描いているの。「有閑倶楽部」の6人なんかは、あの中に全部私の性格がちょこちょこ入っているし。

「有閑倶楽部」レコードジャケット 原画 1984年 ©一条ゆかり/集英社
「有閑倶楽部」レコードジャケット 原画 1984年 ©一条ゆかり/集英社

漫画は聖域。だけど、私の神様ではなかった

――唐突ですが、もし漫画家になっていなかったら、一条さんは何になっていたと思いますか?

 友達に「漫画家をしてなかったら私の天職ってなんだと思う?」って聞いたことがあって、返ってきた答えがバーのママ。お叱りバーにしたらウケるって。子供の時に鍛えたもので、昔から「私って『なんちゃって聖徳太子みたい』」って思っていたから、ここで話をしながら、あっちでも話ができちゃう(笑)。
 あと、昔ね、手相を見てもらったら「あんた、何やっても成功するよ」って言われて。私ね、世界一の手相を持っているの。

――世界一の手相?

 テレビで細木数子さんが言っていたんだけど、感情線が盃の形になっているの。上から幸せがおりてきてもこぼれないんだって。いろんな人に会う度に聞くけど、まだ一人も同じものを持っている人を見たことがない。

――おお。確かに、こんな手相、はじめて見ました。どう転んでも運を味方にできそうですが、今後「一条ゆかり」はどうなっていくんでしょうか?

 どうなるんだろうね。私は未来設計をしないタイプで出たとこ勝負。突然「一条ゆかり」でやりたいってなったら、私がついていくのかな。

――鬼プロデューサーからの呼び出しは、いまのところはない状態なんですか?

 いまは体を治すことに専念。私、70歳から老後だと思っているので、それまでに漫画で壊した体を治せるものは全部治したいの。だって、私って間違いなく長生きするだろうなと思うのよ。多分、飛行機が落ちても私一人死ななさそうな(笑)

――世界一の手相を持っていますからね(笑)

 でしょ。だから、できるだけ体を治して正しい老後を迎えねばと。「漫画を描いていたからこんな目に遭っちゃって」と、漫画を悪く思いたくない。

――漫画が好きだから。

 そう。私にとって、(漫画は)完璧でいてほしいの。聖域みたいな。
 しょっちゅう「漫画を描きたくないですか?」って聞かれるけど、いまは「全然」。きっと漫画は、私を幸せにするためのグッズであって、私の人生の主人公でも私の神でもなかったらしい。いまは「次は何かな?」っていう感じ。てっきり私は漫画にお仕えする奴隷だと思っていたんだけどね(笑)

「好書好日」掲載記事から

>埼玉の人、ごめんなさい 魔夜峰央さん「翔んで埼玉」、まさかの実写映画化

>志村貴子さん「おとなになっても」インタビュー 群像のなかの〝大人百合〟描きたかった