A・クラインマンの『病(やま)いの語り』(誠信書房)という本に、人間界には「語り」でしか表せない痛みがあると教わった。目から鱗(うろこ)だった。転職前、理系の稼業では、ものごとの性質だけより量まで明らかにする研究のほうが断然「上等」だったのだ。でも人や社会のありようは、計量できない次元へも無辺にひらかれている。語りも計れない。だから何にも代えがたい。
『裸足で逃げる』の著者で教育学者の上間陽子氏は沖縄の風俗業界で働く女性たちのことを調べている。みんなまだ20歳前後の若さで、シングルマザーも多い。
「家出するさ、家出して男のところ行っても、にぃにぃ(兄)に見つけられて、くるされて(ひどくなぐられて)、それが怖くて、また逃げて……」「いつもだよ。怖くて逃げる。逃げて、くるされる。……なんで私はいつも逃げるかね……」
殴られる女の子が「なぜ私は逃げるのか」と自問する姿に胸を突かれる。そんなにも、その街では暴力が日常の顔をしているのか。生活の疲弊に縦社会の風習も絡んで、家族、恋人、教師も女子を殴る。彼女たちは多重の困難のはざまに、活路を探しつづけている。
貴重な語りが生まれたのは、聴く人がそこにいたからだ。あとがきで著者は、語り手の女性たち自身に原稿を読んでもらった理由を明かす。「本人がそれをだれかに語り、生きのびてきた自己の物語として了解することに、私は一筋の希望を見出(みいだ)しているからです」
ああこんな言葉を自分も守り届けたくなる。編集者のエロスなのかなと思う。=朝日新聞2019年5月22日掲載
編集部一押し!
-
一穂ミチの日々漫画 ひうち棚「見てないとしょうちしないよ」 子どものころの感覚がよみがえる静かな臨場感(第17回) 一穂ミチ
-
-
中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」 思い通りにならない日々どう受け止める? 三浦綾子「一日の苦労は、その日だけで十分です」から考える 中江有里 中江有里
-
-
杉江松恋「日出る処のニューヒット」 芦沢央が「ハザードランプ」で見せた知らない作家の顔(第43回) 杉江松恋
-
韓国文学 ペク・ヒナさん「ハッピーバースデイ」インタビュー おしゃれの魔法で「自分」を取り戻す 加治佐志津
-
本好きのための職業図鑑 大藪百合さんが語る職業としての図鑑編集者 永遠に未完成 ワクワクを刺激 岩本恵美
-
谷原書店 【谷原店長のオススメ】 山田五郎「世界一やばい西洋絵画の見方入門」 好きなものを面白がって伝える楽しさ 谷原章介
-
インタビュー ミステリー小説『0秒前の彼女』はどう生まれた? 今村昌弘さんが挑んだ逃走劇と謎解き PR by 双葉社
-
インタビュー 「5日で自分の才能が見つかる本」堀田秀吾さんインタビュー 才能がないという思い込みから抜け出そう PR by 祥伝社
-
トピック 【PR 光文社・創英社・みすず書房・ミネルヴァ書房】プレゼント 朝日新聞1面広告の本、好書好日メルマガ読者計20名様に
-
コラム 「海をわたる言葉 翻訳家ふたりの往復書簡」中江有里さん書評 出逢いの不思議が生んだもう一つの〝家族〟 PR by 集英社
-
トピック 【プレゼント】柄谷行人さん最新作「私の謎 柄谷行人回想録」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
インタビュー 平石さなぎさん「ギアをあげて、風を鳴らして」インタビュー 描いてわかった「シスターフッド小説」の魅力 PR by 集英社