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書評家・吉田伸子さんのおすすめエンタメ3冊 アパートの日々、淡々と

  • 小野寺史宜『ライフ』(ポプラ社)
  • 荻上直子『川っぺりムコリッタ』(講談社)
  • 一木けい『愛を知らない』(ポプラ社)

 『ひと』が二〇一九年本屋大賞二位となった小野寺史宜さんの新刊『ライフ』は、江戸川区のアパートに暮らす二十七歳のフリーター、井川幹太の物語だ。

 荒川沿いに建つ築三十年、駅から徒歩十五分の「筧(かけい)ハイツ」。大学と提携した不動産屋の紹介物件だったため、当初は幹太と同じ大学の同学部、同学年の三人も住んでいて、どこか寮生活のような楽しい暮らしだったのだが、卒業などで三人は引っ越し、今では幹太だけが残っている。

 その幹太の部屋の真上に騒々しい住人――幹太は密(ひそ)かに「がさつくん」と命名する――が引っ越して来たことで、変わり始める幹太の日々。その過程が静かに、静かに、淡々と綴(つづ)られていく。激しいドラマはなにも起こらないにもかかわらず、あらゆることが緩やかに動く。日向(ひなた)の方向に、ほんの少し。でも、そのほんの少しが、読後に温湿布のように効いてくる。暗い道の先を照らす柔らかな光のように。

 荻上直子さんの『川っぺりムコリッタ』もまた、古いアパートを舞台にした物語で、こちらもまた、静かな、だけど、心の奥深くに残る物語だ。

 主人公の山田は三十過ぎ。二年間の刑期を終え、北陸地方にあるイカの塩辛工場で働くことに。川べりに住みたいという山田に、工場の社長が紹介してくれたのが「ムコリッタ」という風変わりな名前のアパートで、築五十年、二階建て木造。その一階の一〇一号室、六畳一間に台所とトイレ、風呂つきの部屋に住むことになった山田。そこから物語は進む。

 高二で母親に捨てられて以来、食べるために悪事に手を染め、出所後はどうせ自分なんか、と人生を投げ出していた彼が、アパートの住人たちとかかわることで、もう一度自分の人生を歩いて行こうとする、その姿がいい。

 デビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』で、読者の心を捉えた一木けいさんの新刊『愛を知らない』は、アパートつながりではないけれど、こちらもまた、私たちは一人ではないよ、大丈夫、とささやきかけてくる物語。心の柔らかい部分にダイレクトに響いてくる青春小説であり、身を斬られるようなリアルな痛みに満ちた母娘小説でもある。

 “問題児”としてクラスで浮いていた橙子(とうこ)の“ほんとう”を支える三人の級友、青木さん、涼、ヤマオ。読後、彼ら四人を、まとめてぎゅうっと抱きしめたくなる。=朝日新聞2019年7月23日掲載