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【本棚の常備薬】#2 海から世界を 「生命のふるさと」の謎を探る 蒲生俊敬・東京大名誉教授

「笑う鯨」 安井寿磨子作

 地球表面の7割を占める海。われわれ人類をはじめ地球の生物にとって、海からの恵みは計り知れない。海はあらゆる科学とつながりを持ち、地球生物を底辺から支えつづけている。

 6500時間以上を海中で過ごしてきた海洋生物学者シルビア・アールは、『Dive!(邦題:深海の女王がゆく)』で、生物のありのままに接する喜びを語っている。まずスキューバダイビング、次に飽和潜水による海中実験室暮らしを2週間、そして特殊な潜水服を着用し水深380メートルの海底散歩を楽しむ。さらに自ら開発した潜水艇を操って、深さ1千メートルの海底ヘ。そこで彼女が見たものとは?

 人間の作り出したごみや化学物質は海を汚し、根こそぎの乱獲漁業が水産資源の激減を招いている。「無知」ではいけない、海の本質と仕組みをしっかり知ってほしい、と彼女は言う。環境破壊を止め海の保護に努めなければ、人間の生活は立ちゆかなくなる、との彼女の警告には、ただならぬ重みが感じられる。

深刻なプラごみ

 いま深刻な環境問題といえば、海のプラスチック汚染だろう。タイの海岸に流れ着いたクジラの胃の中には、なんと80枚を超えるプラスチック袋(レジ袋)が詰まっていた。

 この実話から書き起こされたのが、『クジラのおなかからプラスチック』(保坂直紀著)だ。プラスチックごみとは何か、海の中をどう広がっていくのか、どうすればごみの廃棄を防げるかなど、誰もが知っておくべき要点を、噛(か)んで含めるように説明してくれる。誰かがポイ捨てしたプラごみは、海辺で紫外線を浴びて劣化し、ボロボロに砕け、マイクロプラスチックとなって海を漂う。それを小魚が誤食し、食物連鎖を経て大型魚に伝わり、最後に誰かの食卓に行き着いてしまう。

 「できることからやってみよう」という著者の熱いメッセージが、問題解決に向かう強い追い風となることを願わずにいられない。

沈没船に史実も

 海底には魅力的なものも眠っている。人知れず埋没する沈船や遺跡だ。それらは封印されたタイムカプセルのごとく、われわれのロマンや好奇心をかき立ててやまない。

 『水中考古学』(井上たかひこ著)には、沈没船の発掘に関わる苦労や研究成果がふんだんに紹介されている。沈船が海底の泥に覆われると、内部は無酸素状態となり、遺物が腐食せず保存されるのが水中考古学の強みだ。紀元前13世紀頃(ころ)にトルコ沖で沈没した大型船は、満載されていた物資ともども、当時の地中海交易を再現する博物館のようだ。九州北西部沖に沈む元寇(げんこう)船は、その向きと碇(いかり)の位置から、強い南風を受けて沈没したとわかる。海底には遺物だけでなく史実まで残されているのだ。

 水中遺跡の数は、日本近海だけでも450を超えるそうだ。スキューバで潜れる深さには限りがあるが、無人探査機など新しい調査技術も日々進歩している。次にあっと驚く発見がなされるのはどこの海底だろうか。

 ところで、地球生物の体液は、海水に似た化学組成を示す。海こそ生命のふるさとだからだろう。地球最初の生命は、約38億年前に深海の熱水活動域(海底温泉)で誕生したらしい。しかし、いかにして非生物が生物に変わったのか、そのからくりはまだわかっていない。

 小林憲正の『宇宙からみた生命史』は、綿々と続く生命の進化を、未来も含めた時間軸の上で論じるとともに、その出発点である生命誕生の謎がどこまで解かれたか、研究の最前線を平易にまとめている。そして宇宙からの視点で地球生命を見つめる「アストロバイオロジー」の世界へと読者を誘ってくれる。

 宇宙で生まれる生命の形は千差万別だろう。核酸やたんぱく質を基幹とする地球生命は、そのなかの一つに過ぎない。生命が誕生するのは、地表の海でも地下の海でも、はたまた極寒のメタンの海でもかまわない。アストロバイオロジーの研究が深まる先には、思いもかけぬ地球生命誕生の姿が見えてくる予感がする。

 夏の日、大海原を間近に見ながら(あるいは思い描きながら)海の大切さや不思議さに思いを馳(は)せてみてはいかがだろうか。=朝日新聞2019年8月10日掲載