苛酷体験、文学だから伝わる
8月に死者と戦争について考えないのは難しい。僕たちは戦争を厭(いと)い、平和を願う心をどのようにして養いうるのか。
たとえば、『アンネの日記』(深町眞理子訳、文春文庫)を読む者は、不安と希望のあいだで揺れる書き手の豊かな感受性と鋭い知性にただちに魅了される。そしてそれゆえに、この少女の未来を無残に奪った戦争およびユダヤ人迫害の残酷さを思って暗澹(あんたん)たる気分に駆られる。
第二次世界大戦時、ヨーロッパではナチスによって600万以上のユダヤ人が殺戮(さつりく)されたと言われている。アンネと同じような体験をしたユダヤ人はたくさんいる。潜伏生活の記録はむろん、ゲットーでの生活、アウシュヴィッツなどの強制収容所での体験について、それこそ無数の証言が残されている。
なのに、どうして『アンネの日記』だけが、いまも世界中で読まれ続けているのか。書いたのが、あの愛すべき聡明(そうめい)な少女だったから? 理不尽な巨大な暴力の犠牲になった無辜(むこ)な人々を象徴する役割を、彼女が担うことになったから?
それだけではない、と指摘するのは、日本に長く暮らし、『暴力とエロスの現代史』(堀田江理訳、人文書院)など、戦争の記憶についての著作を書いてきたオランダ出身のジャーナリスト、イアン・ブルマだ。
「タイムズ文芸付録」という英語圏では重要な書評誌に寄せた論考(8月13日)のなかでブルマは、狭い隠れ家での生活を綴(つづ)る『アンネの日記』を、まったく同時期に書かれたサルトルの戯曲「出口なし」(1944年)と比較する。そしてアンネ・フランクの言葉がいまもなお読みつがれているのは、つまり苛酷(かこく)な状況のなかでただ「生きたい」と強く願う少女の言葉が境遇を異にする世界中の人々の心を打つのは、それが〈文学作品〉だからだと喝破する。
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戦争をどのように語るのか。そのような方法意識に貫かれている点でも、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞したベラルーシのアレクシエーヴィチの仕事は、賞の名にふさわしい文学作品だ。
『戦争は女の顔をしていない』、『ボタン穴から見た戦争』(共に三浦みどり訳、岩波現代文庫)で、彼女が取り組んだのは、国家主義的・男性中心主義的な歴史から排除されてきた女たちと子供たちの声に徹底的に耳を、注意を傾けることだ。
膨大な数の証言が集められているにもかかわらず、散漫にもちぐはぐにもならず、戦争体験を語る個々の声の一つ一つがかけがえのないものとして響いてくる。しかも、直接耳にすれば耐えきれないであろう出来事や、逆に聞き逃してしまいそうな細部が、読む者の心にまっすぐ入ってきて、他者の痛みを想像し、戦争について思考することを促す。
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想像を絶する苛酷な体験が他者に共有されるためには、〈文学〉が必要なのだ。イタリアのユダヤ人化学技師プリーモ・レーヴィの『これが人間か』(竹山博英訳、朝日選書)はその好例だ。
これは、アウシュヴィッツ強制収容所を生き抜いたレーヴィがその体験を語ったもので、ユダヤ人虐殺に関する記録文学のなかでもっとも読まれている作品であろう。
「筆舌に尽くしがたい」というように、人から言葉を奪う災厄が確かに存在する。強制収容所はまさにそのような究極の状況だ。
しかし、それでもなお語らなければ、その体験は誰にも〈伝わらない〉。
〈伝える〉ためにレーヴィが選択したのは、技巧を排した明晰(めいせき)な文体である。淡々と綴られる理性的で論理的な散文からは、だからこそか、戦争や虐殺を行う人間自身の内にあるおぞましい〈非人間性〉がありありと伝わってくる。
あくまでも論理的・理性的な散文で、みずからの戦争体験を描いたレーヴィは、しかし詩も書いていた。
先頃刊行された『プリーモ・レーヴィ全詩集』(竹山博英訳、岩波書店)のなかでも、「生き残り」という詩には胸をつかまれる。
誰の「パンも横取りしなかった」し、「私の代わりに死んだものなどいない」にもかかわらず、つまり収容所という地獄のなかで必死に〈人間〉たろうと全力を尽くしたレーヴィでさえ、自分は誰かの命を犠牲にすることで生き延びたのではないか、と罪悪感に苛(さいな)まれていたのだ。
散文の言葉の放つ透徹した光の届かない暗い場所に赴かねばならぬとき、人は詩を必要とするのだろう。=朝日新聞2019年8月28日掲載
