ぼっとん生理
今回取り上げるのは、11月に映画公開も予定されている小山健先生の『生理ちゃん』。『生理ちゃん』は生理という現象をキャラクターとして擬人化したマンガだ。9話+1話(PMSちゃん)が収められており、1話ごとにさまざまな年齢、職業の女性が登場する。
「適齢期と生理ちゃん」の回では介護福祉士の海野青子(28)が、奥さんが亡くなって2年になる男性にプロポーズされる。男性に娘のかりんちゃん(11)を紹介されるが、かりんちゃんは青子を受け入れられない。
小山先生の絵はラフだが、登場人物一人ひとりの心理をとても大切に描いている。
たとえば、終始仏頂面だったかりんちゃんが二人に背を向けたときの悲しい表情。
生理用品を置いてかりんちゃんの部屋を後にするときの青子の表情。
二人の心理状態が的確に表現されている。
生理ちゃんは常に無表情なところがいい。生理は(妊娠、閉経等したとき以外)毎月必ずくるものなんだ、過度な同情はしないよ、ということを淡々と伝えている。
仮に、生理ちゃんが登場人物たちのお腹を殴るときに笑っていたり、慰めるときに悲しげな顔をしていたらどうだろう。その魅力が半減するように思う。
『生理ちゃん』はフィクションだが、そこかしこにリアルな手触りがある。
かりんちゃんのもとにきた初潮ちゃんが、クッションにお行儀よく正座しているところがいい。(手前には小さな血のしみが!)
青子が「ソファのしみ キレイにしておいて」と男性に渡すウタマロクリーナーがちゃんとリキッドタイプの形だったり(リキッドタイプは色柄物などについたガンコな汚れを落とす用)、「ありがとう 助かったよ」と青子の“優しさ”に感謝する男性に「領収書よろしくね」と、あくまで “役目”としてレシートをさらりと渡したり。
そこから、物語は4年後に飛ぶ。男性と破局した青子の元に、待ち合わせをしていたかりんちゃんがやってくる。
かりんちゃんのこの満面の笑顔は、信頼している人に見せるそれだ。この1コマで、4年の月日が流れたことを自然に伝えている。
生理をキャラ化してユーモアを誘いながらも、その“症状”だけでなく“気持ち”がわかるようになると呼び声が高いのは、この高度な構成力がベースにあるからこそだろう。
ときに強烈なパンチを繰り出し、ときに優しく抱きしめてくれる生理ちゃん。メッセージ性を強く訴えるのではく、あくまでマンガとして面白いものを描くのだ、という先生の信念が伝わってくる。
生理ちゃんは、人の気持ちの機微を見つめる先生の分身なのかもしれない。
生理ちゃんに肩を抱かれて呑む夜の
葛藤たちがぐずぐず踊る
中学生になるまで住んでいた東大阪市の加納という地域は、私が小学3年生になるまで汲み取り式トイレ、いわゆるぼっとん便所だった。
先日母に尋ねると、私は4歳頃からぼっとん便所を使っていたらしい。今考えると、小学校に入る前の子どもがよくあんな幅を毎回またいでいたなと恐ろしくなる。
また、便器からぼっとんまでの距離は1メートル以上あったと思う。自分の真下に底なしの闇が広がっているように感じていた。
7歳になったある日、恐ろしいもの見たさでそうっと暗闇を覗くと、ぼっとんが全体的に赤くまみれていた。
血の気が引いた。
おじいちゃんは毎日タバコとお酒をがばがばやっている→おばあちゃんに体に悪いから控えるようにと毎日言われている→これはおじいちゃんの血に違いない→おじいちゃんはとんでもない病気なんだ。それを悟られまいと家族に隠している!!
一気に妄想を広げた私は台所で洗いものをしていた祖母をトイレに連れて行き、これをみよ、とぼっとんを指差した。
祖母は、「ああ、これはおじいちゃんやなくてお母さんやわ」と笑った。
私は大層ほっとした。
以前から、年齢からしてもおじいちゃんが一番先に死んじゃうんじゃないかと恐れていた私は、血を見た瞬間、その証が目の前に迫りおののいたのだ。
お母さんはおじいちゃんより若い。血を出してもそんなにすぐには死なない、とこれまた勝手に結論づけた。
12歳になったある日、ぼっとんでみたのは母の生理の血だったんだとストンと胸に落ちた。
それは、私にもリボンをつけた初潮ちゃんがやってきた日だった。