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「ベルリンの壁崩壊30年」を本でひもとく 存在し続ける見えない分断 松永美穂・早稲田大学教授

壁崩壊から30年に合わせ、ベルリン・ブランデンブルク門前には世界中の約3万人がメッセージを寄せた短冊が飾られた=11月1日、野島淳撮影

 今月はベルリンの壁崩壊から丸三十年。当時、壁の崩壊を報じる記事を読んで、驚きと感動で思わず泣いてしまったことを覚えている。その数年前、ベルリンで実際に壁を見たことがあった。東西ベルリンは雰囲気も人々の服装も違っていて、近い将来一つの町になるとはとても予想できなかった。

 壁の崩壊とドイツ統一をめぐって数多くの本が出版されたが、そのほとんどが絶版になってしまっている。比較的最近出版された『ベルリン 分断された都市』は、グラフィックノベル(大人向けのコミック)だ。東独にいた若者や壁の近くの病院で働いていた西側の看護師一家などをとりあげ、彼らが体験したり目撃したりした東からの脱出劇や壁崩壊当日の様子を描いている。解説付きで、現在はドイツでも、壁ができた当時の状況を知らない読者が増えていることがうかがえる。

東は二級市民?

 東には言論の自由がなく、ひどい社会だった……このコミック本からは、そんな情報が伝わってくる。統一後、秘密警察の実態が明らかになり、旧東独の人々は二級市民、その文化も制度も二級、というイメージが強く植えつけられた。西側への事実上の「吸収合併」によって、東の制度は急速に西のものに置き換えられていった。国営企業が整理されて東には失業者が溢(あふ)れ、生活水準は低く、バラ色の生活を夢見ていた多くの市民は失望させられた。一方、西側には「連帯税」が導入され、統一による経済的負担に対して西側市民の不満も増すことになった。『ドイツの見えない壁』(岩波新書・品切れ)では上野千鶴子らが当時の旧東独をリサーチし、離婚率や出生率が劇的に低下したこと(働く女性たちが妊娠や出産によって解雇されることを警戒し、セイフティーネットとして結婚の維持を選んだこと)をデータで示している。東のマイナスイメージがはびこるなかで、トーマス・ブルスィヒの『太陽通り』(三修社・絶版)のような、東の庶民の生活をコミカルに描く小説も書かれた。東の人々も人間らしい喜怒哀楽を抱えつつ、それぞれの青春を生きていた証(あかし)だ。

解消しない格差

 当時、東西ドイツ統一に反対した知識人もいた。ギュンター・グラスは『ドイツ統一問題について』において、統一ではなく国家連合として東西ドイツが共存する形を提案している。大きな国家としてのドイツを否定し、異なるシステムの二国家が平和的に共存することで、朝鮮やアイルランドなどの紛争地域に対しても選択肢を示すことができるのではないか、と主張した。

 歴史はグラスが提案したようにはならなかった。ハーバーマスも統一に反対していた一人だが、彼が『近代 未完のプロジェクト』のなかで、壁崩壊直後の激動の日々をリアルタイムで追いつつ、歴史修正主義者や保守派のメディアを批判して書いているテクストは興味深い。西のマスコミは必要以上に旧東独の過去を断罪したが、それは資本主義を勝者として浮かび上がらせることでもあった。逆に旧東独では「反ファシズムということが自己正当化の議論によく使われたために、それがかえってナチスの過去との深刻な対決を阻害することになっていた」。東の人々はドイツ民族の加害の歴史を充分に学ぶ機会がなかった。

 今日、旧東独の州議会で右翼政党が台頭し、難民排斥の気運が盛り上がっている状況の背後にはこうした事情もあるのかもしれない。そして遅れてきた国民の、利益享受へのこだわりも。壁が開いた当時、格差を解消するには一世代(約三十年)かかるだろうとの予言もあったが、グローバル化・デジタル化された社会のなかで、目に見えない壁はまだ存在し続けているのだ。=朝日新聞2019年11月30日掲