薄毛・服飾・イタリアの気質、浮かぶ歴史
井上さんが「読んだことがない」と驚いたのは、ナポレオンの薄毛問題だ。『ナポレオン』で、失意のナポレオンはエルバ島に向かう途中を民に見つかり、「ぎゃはは、禿(は)げ暴君だ」と笑われる。
佐藤さんは「欧米ではそこまで気にしないという見方もあるが、うそではないか。記録を読むと、カエサルは髪をかくときに指を1本しか使わなかった。兵士たちは、はげすけべとあだ名をつける。気にしない文化なら、そういうあだ名にはならない」と話す。
ならば、かつらをかぶれば良いのでは、と井上さんは指摘。佐藤さんによると、かつらを着用する文化の始まりは、若くして脱毛が進行したブルボン朝のルイ13世。跡を継いだルイ14世も愛用した。「みんなファッションとしてまねするようになった。おかしいと思っても、誰も追及できなかった」
ナポレオンはなぜかつらをかぶらなかったのか。それはかつら文化がフランス革命以前の王朝のものだからだ。「ブルボン朝の風俗はやめようと。かぶっているのは、(革命家の)ロベスピエールがぎりぎりなんです。(政治家の)バラスも若いころはかぶっていたけれど、途中から脱ぐ」
激動の時代、ファッションもまた変革期にあった。井上さんが指摘したのは、ルイ15世の愛人、ポンパドゥール夫人のファッションだ。「手編みのレースで全身を飾らせた。ぜいたく品で、服飾産業にお金をもたらす特産品だった」
流れを変えたのは、王妃マリー・アントワネットだった。「綿のモスリンの方がかっこいいと。そこで、手編みレースを作る技術が途絶える。一方、ナポレオンは殖産興業の一環としてよみがえらせようとする」と井上さん。佐藤さんは、「ファーストレディーにはファッションリーダーの役割がある」と話す。たとえばナポレオンの最初の妻、ジョゼフィーヌ。「ファッション好きの皇妃を貴族がまねして、業界が盛り上がる。ナポレオンの人気も支えられた」
後にナポレオンはハプスブルク家のマリー・ルイーズと再婚する。「質素倹約を教えられてきたらしく、あまり衣装にお金を使わない。それで彼の人気も落ちた」
フランスの英雄のイメージが強いナポレオンだが、じつは、根っからのフランス人ではなく、かつてジェノバ共和国領だったコルシカ島の出身だ。スペイン王になる兄ジョゼフは島では「ジュゼッペ」と発音される。「ああ、イタリア人なんだと。強い血のつながりと、それゆえに反発もある物語だった」と井上さん。映画「ゴッドファーザー」と重なったという。
「実際、似ている」と佐藤さん。「前衛的に政治を進める一方、王にするのは全員身内。それは当時のイタリアの文化だった」
ではなぜ、フランスのイメージが強いのか。ナポレオンはセントヘレナ島で死んだ。だが、後に遺体は掘り起こされ、セーヌ川のほとりに盛大に埋葬される。佐藤さんは言う。「振り返ると、ナポレオンの時代ほどフランスが勝っていた時期はなかった。そこから、フランスの英雄としてのナポレオン像が作り上げられたんです」(興野優平)=朝日新聞2019年11月30日掲載