わたしは十八歳で上京するまで、天つゆというものを知らなかった。オクダ家では、天ぷらにウスターソースをかけて食べていたからである。それと同じく、餃子(ぎょうざ)もウスターソースで食べていた。だから最初に東京の中華食堂に一人で入り、餃子を注文したとき、わたしはテーブルにソースが置いてないことに激しく狼狽(ろうばい)した。どうやって食べるのだ? もちろん店の人に聞く勇気はない。わたしは周囲のテーブルをそっと観察した。そして東京の人は、醤油(しょうゆ)とラー油と酢を混ぜたものに餃子をつけて食べると知り衝撃を受けた。真似(まね)をしてみると、おお旨(うま)い。わたしの十八年間は何だったのか。
わたしの年代には、(地域にもよるだろうが)ウスターソースで育った人間が多い。「ソース」と言えばすなわちウスターソースのこと。とんかつ、コロッケはもちろん、ハンバーグにも、目玉焼きにも、キャベツにもかけた。なぜにそのような食習慣を招いてしまったかと言うと、家で食べるご飯がそうであったからに他ならない。
わたしたちの親は、概(おおむ)ね昭和ヒトケタ生まれである。彼らにとってソースは、醤油しかなかった食卓に革命を起こした新しい調味料だった。これをかけておけば、まあ失敗はない。手間が省けて子供も文句を言わない。さらには時代背景もあった。高度成長時代、社会に勢いはあったが、国民に余裕はなかった。そんな中、何にでも使い回しが利くソースは、忙しい日本人にうってつけの万能調味料だったのである。天つゆ? 餃子のたれ? ソースかけて食べてなさい。かくして我らの味覚はソースに慣らされることとなる。
思い出した。わたしの母は焼飯(やきめし)もソースで作っていた。好物だったから、文句はないのだが。
ところで、この時代のソース文化を語る上で、避けられないのが、カレーライスにソースをかけるか否かの議論である。誰もが好きな国民食だけに、それぞれにこだわりもある。
オクダ家はかけなかった。今思い返すと、あの頃、家で作るカレーライスは、カレー粉とカレールーが拮抗(きっこう)していて、カレー粉を使う家庭はソースをかけていたように思う。カレー粉使用は、片栗粉でとろみをつけるオールドスタイル。スパイス控えめの甘口で、色が黄色かったので、ひと目でわかった。だからソースをかけて、味も色も丁度(ちょうど)いい加減。そのせいか、友だちの家でカレーをおよばれして、ソースをかける家だと「この家は遅れてるな」と心の中で見下した記憶がある。いや、かけていた人、申し訳ない。
歳(とし)を重ねたせいか、最近わたしはウスターソースに回帰しつつある。とんかつなんかウスターに限る。少年期の味覚形成は、しぶといのである。=朝日新聞2020年2月8日掲載