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「働く」問う異色SF「タイタン」野﨑まどさんインタビュー 労働が消滅したユートピアがコロナ後の私たちに突き付けるもの

文:ハコオトコ 装幀・デザイン:坂野公一(welle design)

「ロボットとは何か」から考え始めた

――ほぼ万能とも言えるAI「タイタン」が登場してあらゆる仕事を代行し、人類が労働から完全に解放された未来が本作の舞台です。その巨大AIの1つ「コイオス」が謎の機能不全に陥り、趣味で心理学を研究していた主人公の女性がその“カウンセリング”を担当することに。人生初の「仕事」に立ち向かう彼女の奮闘と、繰り返される「働くって何?」という自問自答は遠い未来の話ながら、仕事で悩む現代の私たちに寄り添ったストーリーでもあります。SFとしてはちょっと異例なテーマですが、なぜ据えたのですか?

 もともと、ロボットやAIをテーマにした映像作品を2018年ごろ別に企画していました。その中で、企画の軸となる「ロボットとは何か」を考え始めたのです。語源でも、ロボットには「働く・労働させる」といった意味合いが強いですよね。『機動警察パトレイバー』という作品もあるくらいです。ロボットというテーマに「働く」が組み合わさっていきました。

 この企画自体は流れてしまいましたが、(AIなどの)ガジェットは生かしつつ「働く」にフォーカスした小説にしようと考えたのです。19年に雑誌「メフィスト」で連載させてもらいながら、書きあげました。

――本作では人間の生活や社会運営、「異性との相性」に至るまで万能にこなすAIのカラクリ、さらには「全人類がほぼ働く必要のない」ユートピアの詳細設定など、いかにもSF的な世界観が語られています。一方で、「業務指示とプロとしての倫理、どちらを取るか」「重要なことは何も決められない会議」「仕事人間の悲哀」といった、現実の私たちが日々体験している生々しい“仕事の辛さあるある”も並行して繰り広げられます。SFと「働く」という2テーマを結び付けた狙いとは?

 SFでも似たような設定の作品は無かったわけではありません。古典作品でも、ユートピア的に描かれた世界では人々はだいたい働いていませんよね。でも、そこまでいってしまうと、読者としては「自分と関係のない世界」になってしまいます。ある程度、自分事だと実感を持って感じられる設定にしたかったのです。

 「仕事あるある」を入れたのは演出上の工夫でもあります。劇中に身近に感じられる、ある種古臭いような話を入れると、ストーリーが(現代の)我々にとって“ちょうど良い”感じになるからです。例えば『パトレイバー』はロボットが出てくる近未来モノですが、昭和っぽい飲み屋もよく出てきますよね。(本作も)「同じ地続きの世界」に見えるようにしました。

仕事について考えるガイドラインに

――個人的には、作中のある「仕事人間」なキャラが何とも胸に刺さりました。「仕事をほぼ誰もしていない世界で、自分だけ業務に埋没するあまり家庭崩壊してしまった」という……。

 劇中では仕事が激減しているので、「仕事という凄く変わったことをやってしまい、あげく家庭を犠牲にするなんてありえない」と思われているんですよね。現実世界の何倍も(周囲から彼は)責められているのです。

 本作に出てくるキャラやシチュエーションは、(必ずしも)実際に私が出会ってきたものではありません。でも、大昔の社会からきっと繰り返されてきたことでしょう。(時代が進み)人間の量が増えても、全員の頭が良くなったり悪くなったりするわけではない。人間はなかなかスマートになれず、きっと大半は烏合の衆。AIがそんなスマートな部分を担ってくれるのでは、とも考えました。

――そんな本作が出版されたのは4月。コロナ禍という、悪い意味でSF的とも言える非日常が本格的に世を覆っていた時節でした。特に今もテレワークが議論になっていますが、「働く」がテーマのSFがこのタイミングで出たのは、偶然ながら何かを感じてしまいます。

 本作はもともと昨年12月の刊行予定でした。しかし、12月とこの4月に出るのでは(読者の)見え方が違うと思いました。より“クリティカル”な時期に出せたのではないでしょうか。

 作品自体はすごくニュートラルで、「(仕事の)何がいい、悪い」という話はしていません。「この時期だからこういうメッセージを受け取ってほしい」という、具体的な内容ではない。人が今、仕事について考えるはしご、ガイドラインになることで、本作を読んだ前と後で何かしらの変化が起きてもらえれば本懐ですね。

――確かに、本作は仕事への先入観が無い「新人」の主人公の目を通して仕事観が描かれており、終始冷静な筆致です。一方で、コロナで働き方の急激な変化を味わっている人の中には、日々の「仕事」への強烈な疑問を本作で喚起させられた場合も多いのではないでしょうか。例えば、テレワークのため満員電車の苦痛や職場でのパワハラなどが突如消え、「これまでの会社員人生の苦痛は何だったのか」と思っている人も少なくないと思います。

 劇中では仕事についてニュートラルに扱おうと努力しました。でも確かに、現代では仕事に対する「強いベクトル」というものがあると思います。「一生を捧げる」「生きがいを見出す」。そういった強い何かに(仕事というものは)とらわれがちですね。

 そして、作中では「そうではない」「人生を懸けるかどうかといった強いベクトルは、一度脱いだ方がいいよ」と書きました。今、そういう状態で仕事を続けるしかないとすれば、凄く不自由なことなのです。

 現実のことだから、(目の前の仕事を)否定しても仕方ありませんが、劇中では仕事も貨幣経済すら無くなっています。そうだったら、我々は好きな仕事をしていい。野球選手にだってなればいい。現実の方が変わりづらくなっている状態だからこそ、(本当は)「変わっていける」ということを、思い出してほしいのです。

 最近、コロナで学校や仕事が始まっていなかった時期に、自殺率が例年より下がったというニュースが流れました。本来、仕事に行けないことは不健全な状態であり、不健全な話が出るはずでしょう。でも、(自殺率については)健全になっていたのです。「当たり前」と思われていて回されてきた仕事の悪い面が今、出てきているのではないか。

 例えば、これは何度も言われていることですけれども、通勤時に満員電車で誰もが何一つ文句も言わずに何十年も立ち続けている習慣は、変わっていった方がいい。快適な生活を人間が求める中で、「満員電車だけがしょうがない」というわけにはいかないのです。会社だけが変わらなくていい訳ではない。

装幀・デザイン:坂野公一(welle design)

作家の想像力、現実は追い抜けない

――最後に、SF作品をずっと手掛けてきた野﨑さんですが、やはり昨今のコロナ騒動は社会や経済に与えた規模も影響も「SF」レベルのように思ってしまいます。「現実がフィクションを追い抜かす」という言葉もあるように、多くのクリエイターが「現実との立ち向かい方」に言及しています。こうした悪い意味でSF的な非日常を、作家としてどう捉えますか?

 「作家の想像力を現実が追い抜く」というのは、よく言われる慣用句ですね。でもそんなことは中々ないと思います。確かに、思ってもいなかったことが現実に起こる、ということはよくあります。マスクが売り切れるとか、「ソーシャルディスタンス」などがテーマの作品もなかなか無いでしょう。ただ、それは「無いだけ」だと思いますね。「追い抜くかどうか」だと、想像力の方が遥かに上手だと思います。

 例えば漫画『21エモン』に出てくる「ボタンチラリ星人」(※ボタンをチラリと見ただけであらゆることができる種族。ミスでその宇宙一の科学力を失い原始時代に戻るエピソード)。これに追いついている現実の世界は無いでしょう。想像力に追いつくには現実はスローリー、競争しても仕方ない。

そして、コロナを私たちが“そのまま”描くのもまた単なる後追いであり、現実に「追い付けなく」なってしまうと思います。コロナについての現実(情報)の方が日々、更新され続けているからです。

 本作だと、例えば12機の「タイタン」というAI、いわば“知能拠点”は原発のようなイメージで書きました。電力の代わりに知力を生み出し、世界に流し続けているわけですね。それが1個駄目になると、まさに3・11のときのようなことになる。

――作中では、確かにあの計画停電が想起されるシチュエーションも出てきますね。

(3・11で)電力が不足したら計画停電することをみんなが知るようになりました。そこで、今回作品に生かした訳です。現実で新しいことが起きたら、むしろ作家は「吸収」していくべきだと思うのです。