来たる八月、六十歳になる。俗にいう還暦である。初めての長寿のお祝いだ。え、こないだ成人式だったのに、と時の流れの速さに本気で驚く。そこはかとなくガックリきたあと、じわーっと独り笑いがこみあげてくる。このわたしが還暦だなんて。そんな私的な可笑(おか)しみは誰にもあると思う。
なるべく快適に過ごしたい。それが老年期を迎えるにあたっての目標だ。わたしの夢見る快適は、すべてにおいて簡素である、ということで、二年前から習慣の見直しを始めている。
まずオンラインゲームをやめた。わたしはもともと嗜癖(しへき)しやすい傾向にあるため、相当やり込んでしまっていた。日々心の中で「大概にせぇ」と自分に対する怒りを燻(くすぶ)らせていたのだが、捧げに捧げた時間とお金を思うと踏ん切りがつかなかった。やめられたのは、機が熟していたからとしか思えない。
これで自信と勢いがつき、自宅での飲酒もやめられた。繰り返すが嗜癖しやすい傾向にあるわたしは、好きでも強くもないお酒をただ酔っ払うために毎日一生懸命飲み、しばしば嘔吐(おうと)していた。いつも頭の中がボンヤリしていて、だのに飲み始めると一瞬クリアになるあたりがいちばん怖かった。やめられて本当によかった。
そして去年、ついに煙草(たばこ)をやめた。一日に一箱から三箱吸っていた煙草。禁煙外来に通っても、高価な禁煙グッズを用いてもやめられなかった煙草。それがフッとやめられたのだった。
困ったのは寛(くつろ)ぎ方だった。長年の喫煙習慣により、わたしは煙草なしでどうやってリラックスすればいいのか分からなくなっていた。ものを書くときも苦労したが、うまいこと集中さえしてしまえば煙草はいらない。
そこで甘いものを食べるようになった。オヤツはしょっぱいものをメインにしていたので、甘いものには特別感があった。食べると、まことにゆったりとした、よい心持ちになれた。
そんな折のコロナ禍である。自粛ムードのストレスか、ゲーム、飲酒、煙草をやめた反動か、甘いものの摂取量が飛躍的に増え、具体的にはあんバターサンドに夢中になった。それぞれお豆腐四分の一丁程度の量のあんことバターをパンケーキに挟み、一日に一度といわず食べていた。
ところでわたしの母は糖尿病を患っている。自作のあんバターサンドをむしゃむしゃ食べながらもウッスラと怯(おび)えていた「糖尿病遺伝するかも問題」が、久々に量った体重の七キロ増により現実味を帯びて拡大し、わたしは、今、食習慣の見直しを迫られている。=朝日新聞2020年7月4日掲載