昨年11月に86歳で亡くなった山岳写真家、白籏史朗。その評伝を、構想から20年近くを経て世に出した。こわもての白籏を知る人なら、よくここまで踏み込んで書けたな、との感を抱くだろう。「周りの人は白籏さんを敬して遠ざけていた面があった。私はおべっかは使わず、正面から付き合った」と自負する。
放送作家を30年務め、近年は小説やノンフィクションの執筆に専念してきた。依頼された仕事で白籏に出会い、「触るとやけどしそうな激しい気性の一方でロマンチスト」である人間性に興味を持った。
月刊誌「山と渓谷」で2003年の1年間、白籏を長期インタビューし、「いずれ一冊の本にまとめたい」との思いは高まる。都内の自宅兼事務所に日参し、暗くなると酒豪の白籏と街に繰り出した。「取材場所は山ではなく居酒屋でした」。登山が苦手で、白籏とは千メートル弱の山に一度登っただけ。インタビューを通じて人脈をつかみ、関係者に追加取材を続けた。
国内外の山に挑み山岳写真というジャンルを切り開いた白籏の個性を「自らの力でできるだけ高みに登り、山そのものの姿を撮ろうとしたこと」と指摘する。本書ではその輝かしい足跡をたどるとともに、師匠の岡田紅陽と決別するきっかけとなった出来事や、若き日に仲間と立ち上げた「日本山岳写真集団」をのちに離脱した背景など、本人が語りたがらなかった影にも触れる。
物々しいタイトルは、三面六臂(さんめんろっぴ)で中心の顔に五つの眼(め)を持ち、怒りの表情を浮かべる金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王が、機材を駆使して山に向き合う白籏の姿と重なるからだという。「彼の根底には、田舎出であることと学歴のコンプレックスがあったが、それを克服して大きな仕事を成し遂げた。巨匠、あっぱれ!と言いたいですね」(文・写真 吉川一樹)=朝日新聞2020年8月1日掲載