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生きやすい街を求めて。ドイツ移住の日々を描く香山哲さん「ベルリンうわの空」インタビュー

文:小沼理、写真:本人提供

土地によって生きやすさは変わる

――香山さんは2018年にベルリンに移住していますが、その前にいろいろな土地をめぐったそうですね。

 「こういう気持ちで生活していたい」「自分がこうありたい」と思う生活や人生に近づくためには、環境の要素もすごく大きいと思っていて。できるだけ自分のことをスパークさせてくれる環境で暮らしたいと考えていました。

 最初は日本国内を転々としていて、高校まで兵庫県で育ったあとは大学進学のため長野、大学院でまた兵庫。仕事をはじめてからは大阪や東京にも住んだし、フリーランスで働きながら10日間九州に滞在したり、四国を一周したりしたことも。いろんな土地をめぐるなかで、土地によって生きやすさがかなり違うことに気づきました。

 そうしていたのは好奇心もありますが、体が弱くてお金もそんなになかったので、環境が助けてくれるなら助けてもらいたいと考えていました。努力はけっこうしている自信があったので(笑)、努力以外で生きやすさがアップすればと思っていましたね。

――海外もいろんな国や街をめぐったのでしょうか。

 ずっと興味はあって、ようやく行けたのが31歳の時でした。1カ月滞在してみようと思って、はじめて行ったのがベルリンです。ベルリンは10代の頃から好きな音楽家やデザイナーの話によく登場する街で、次第に興味を持つようになりました。文化や学問、芸術が大切にされていて、自然が多くて質素で静かな生活ができる場所だと思います。

 ベルリン以外だと台北にも何度も滞在しました。台北はベルリンとは真逆で、雑さが良いと思いましたね。交通マナーがめちゃくちゃなところがあったり、細かいことを気にしない感じがあったりして。だけど人間ってそういうものだし、「今日を楽しもう」というエネルギーに満ちているように感じて良いなと思っていました。

――そんな中、ベルリンに移住した決め手はなんだったのでしょう。

 下調べをする中で情報が多かったのと、ドイツ語がちょっと喋れるようになっていたからですね。今後またどこかに移住するかもしれないし、強いこだわりがあるというよりは流れに任せています。

「公共の中の自分」という空気

――『ベルリンうわの空』では、そんなベルリンでの日々をエッセイ漫画として描いています。読者からの反響は?

 連載当初はこういった話をマンガに落とし込むと説教臭くなって、生き方を押し付けられている気持ちになる人も多いかなと不安もありました。でも、想像力を使って読んでくれる人が思った以上に多くてうれしかったです。

 「ベルリンってこうなんだ、うらやましい」という感想で終わらず、「自分たちの街や生活がこうなっていない理由はなんだろう?」といったような疑問を抱いて考えてくれる人が多かったです。

――困っている人にすぐ声をかける場面がさりげなく、でもたくさん描かれているのも印象的でした。

 たとえば日本だと、外にいても自分のカプセルにこもっていやすい空気がありますよね。スマホをずっと見て、他人との交流を遮断することもできますし。でも、ベルリンでは街に出れば「公共の中の自分」という空気が少し強く感じる。信号無視をしないのは自分の安全のためだけじゃなくて、子どもが真似したら危ないから。そうした「良いムード」をみんなで作ろうとする意識が高いかもしれません。ベルリンに来て、僕自身も日々の行動で変わったことがたくさんあります。

読んだ人が真似しやすいように

――2作目となる『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』では、そうして社会と関わることがより色濃く描かれています。

 1作目の『ベルリンうわの空』は自分自身、2作目の『ウンターグルンド』はみんながテーマになっています。主人公が複数になって、みんなで協力して社会と関わることを描いていますね。

 1作目ではドイツの文化も紹介したかったし、僕のマンガに偶然出会った人に広く読まれることを想定していたので、比較的ポップで親しみやすい話題が多いです。一方『ウンターグルンド』では、自分が描きたい形により近いレベルで社会問題や政治について描くことができました。

 それは1作目の反響が僕が思っていたより大きかったこともあるし、Netflixなどで社会問題を取り込んだ作品が日本でもたくさん話題になっているのを見て、「これを受け入れる人がたくさんいるなら、自分も遠慮しなくて良いな」と感じたからでもあります。

――日本でも社会問題を考える土壌が育ってきたと感じているのでしょうか。

 そうですね。僕は青木雄二の『ナニワ金融道』や福本伸行『カイジ』シリーズが好きで影響を受けているのですが、こうした「貧乏な主人公がギャンブルをやめてもっと大きな賭けに出る」というような作品も、たくさん社会問題を盛り込んでいます。ただ、それはフィクションが中心ですよね。

 日本では社会問題を扱うノンフィクションというと、特集番組だったり、ミニシアターで短期間上映したりすることが多かったと思いますが、バラエティ色がなくても受容できる人が増えてきたと感じます。Netflixのようなサブスクリプションであれば、とりあえず見てピンとこなければ途中でやめられることも大きいかもしれません。

 『ベルリンうわの空』シリーズを連載しているのも、「ebookjapan」という無料アプリ。試しに何話か読んでみて、自分の生き方と重なるとか、参考になりそうと感じる人に読んでもらいたいですね。

――なるほど。でも、『カイジ』などのスリル満点な作品の名前が出てきたのはちょっと意外でした。

 『カイジ』はハイリスクハイリターンですけど、『ベルリンうわの空』はノーリスクな作品ですからね(笑)。読んだ人が真似しやすいように描いていますから。

寒さと飢えからは守られるべき

――『ウンターグルンド』では主人公たちがシャワーや洗濯機を誰でも無償で使える「清潔スペース」を運営し、ホームレスなどそこを訪ねてくる人たちとの交流が描かれます。こうした場を運営するモチベーションはどこから来るのでしょう?

 取材などを通して感じたのは、一番は貧富の差が解決しないまま人類が続いている状況を、ちょっとでも変えていくべきということ。ホームレスまでいかなくても、「家庭が恵まれていたらもっとエリートになっていたかもしれない」とか、貧富の差を感じている人は多いです。それは努力の量ではなく条件で生じていることなので、その不公平がなくなってほしいという気持ちが強いです。

 こうした社会問題には日本にいた時から関心がありましたが、ベルリンに来てより考えるようになりました。キリスト教文化ともリンクしていると感じるのですが、みんな寒さと飢えをしのぐことにとても敏感です。たとえ自業自得でそうなっている側面が大きくても、この二つからは守られていないといけないという意識が強い。リカバリーが終わってからその人が頑張れば良い、と考えている人が多いですね。

――清潔スペースの運営に関わる登場人物の一人が「本来なら市が生活困窮者の支援をするべき」と言っていたのも印象的で、「自助・共助・公助」について改めて考えさせられました。

 余裕のある人からシステムに目を向けて改善していかないといけないと思って、登場人物にそういうことを言わせています。こうした話はわかっている人はとっくにわかっているけれど、今はわかるとわからないの中間くらいの人が多い。そういう人が気づくきっかけになったり、自分の理想に適した投票先を判断するきっかけになったりすればいいなと思って描いています。

コロナ禍のベルリンで感じた差別

――フィンランドのサンナ・マリン首相のメッセージを掲載したり、「バイ・ナッシング・デー」のような現実の話が紹介されているのも特徴です。

 そうですね。フィクションと現実に壁がなくて、それが自分の生活にも影響を与えるという考え方のほうが好きなので、積極的に取り入れています。

――『ウンターグルンド』の連載中には新型コロナウイルスの感染拡大もありました。

 コロナのことを直接は描きませんでしたが、感染がもっとも拡大していた時期は「東日本大震災のときに日記を書いていた」という話を描きました。当たり前だけど、10年後、20年後には今日どんな料理を作ったのか、どんな気持ちで道を歩いていたかはどんどん忘れていきます。記録しておくと体験しなかった人に伝えたり、体験した同士で話ができたりするのでおすすめだよ、というお話です。

――ベルリンでコロナの流行を経験して、どんなことが印象に残っていますか?

 東日本大震災の時には政府の対応にすごく不安を感じたのですが、今回は政治に対しては安心感がありました。それは誠実かどうかというよりは、政治家が厳しい目で見られているので、「監視されている人はちゃんと動くな」という感じです。

 一番印象に残っているのはアジア人差別ですね。アジア人ってヨーロッパでは人数も少ないし、公教育で学ぶ機会も少ないので、よくわからない人たちなんですよね。だから知識がないまま「コロナウイルスがきたー」と言ってしまう子どももいたりして。それ以前から差別的な言動に出くわすことはあったけど、流行がはじまってからロックダウンするまであたりは特に多かったです。

――差別については『ベルリンうわの空』でも描かれていました。

 そうですね。もちろん、一緒に差別に抵抗してくれる人もたくさんいますし、僕もそういうことが起きたらすぐに周りに言います。そうすると、「あの人は問題をよく起こすので近所でも有名なんだよ」と教えられることも。そういうできごとは目立つけど、特定の一握りがやっていることなんだと気づくことができますよね。

これからもベルリンに住む?

――11月からはシリーズ3作目となる『ベルリンうわの空 ランゲシュランゲ』の連載がはじまります。

 「ランゲシュランゲ」はドイツ語で「長いヘビ」という意味で、ドイツでヘビは行列を意味します。『ウンターグルンド』では蜘蛛の巣状に広がる人のネットワークを描きましたが、今度は人間同士のつながりや流れ一つ一つに着目しようと考えています。祖先から子孫、友達から友達の友達、ショッピングカートの利用者から次の利用者などですね。この3作目がシリーズ完結編になります。

――シリーズは最終章に突入しますが、香山さんはこれからもベルリンに住み続けるのでしょうか。

 僕の気持ちだけで決まることではないので、わからないのが正直なところですね。ただ、決して僕はベルリンという土地にこだわっているわけではないんです。どこかの街で良いなと感じたことがあれば、それは東京でも、他の町でもはじめられることのはず。読む人もそういうふうに希望に感じてくれたらと思って描いています。だから僕も場所にこだわらず、いろんな可能性を考えながら柔軟にやっていきたいと考えていますね。