「お花畑のケーキだ!」 一つずつケーキの名前を確認していって、最後にそのケーキにたどり着いた久美は大きく目を見開いていた。うっすらと黄色いクリームでコーティングされたドーナツ型のホールケーキ。その上に小さな小さな花が色とりどりに咲いていた。久美はそのケーキにくぎ付けになった。(『万国菓子舗 お気に召すまま3~花冠のケーキと季節外れのサンタクロース~』より)
12月の一大イベントといえばクリスマス☆ 昨年の「食いしんぼん」では「シュトレン」と「バタークリームケーキ」が登場する作品をご紹介しましたが、今年はドイツの伝統菓子「フランクフルタークランツ」にまつわる素敵なお話です。
物語の舞台は、大正時代に博多で創業した老舗和洋菓子店「お気に召すまま」。祖父からこの店を受け継いだ店主の荘介は、お客様からの要望があればどんなお菓子でも作ってしまいます。この店で接客兼「試食係」として働いている久美が、5歳の誕生日に「お気に召すまま」で買ってもらった思い出の一品が「フランクフルタークランツ」でした。著者の溝口智子さんにお話をうかがいました。
食べてみたいドイツ菓子No.1だった
——本シリーズには、洋の東西を問わず、毎回たくさんのお菓子が登場しますよね。素材や作り方はもちろん、あれほど鮮明に味わいを描く秘訣があれば教えてください。
食いしん坊であることがたった一つの秘訣でしょうか。私は特別に美味しく書こうとは思っていないんです。素材や作り方は知っているお菓子だけを書くようにしているので、創作ではなくレポートに近いですね。食べたことがないものは試作して、嘘がないように気をつけています。そうすると、私が考えなくてもあとは久美が試食して、勝手に「美味しい」と言うので、味の感想は久美に任せていたら安心です(笑)。だから久美は「お気に召すまま」に欠かせない人物なんです。
——作中に登場した中で、いちばん驚いたお菓子は何ですか?
「クナーファ」という、小麦粉で作った極細の生地の中に、ナッツやレーズンなどを入れた中東の焼き菓子です。作中では、生地とシロップだけのシンプルなものをアラビアンナイトに出てくるお菓子と紹介しました。アラブ諸圏でよく食べられるとか。私は食べたことがなかったので試作してみたのですが、割と簡単にできて拍子抜けしました。ですが、その美味しさには度肝を抜かれましたね。「世の中にこんなに美味しいものがあるのか!」と目を開かされる思いがしました。
お菓子は広く伝播して、様々に形状も味も変化していくものだと思います。それが自然なことでしょうけれど、このお菓子は形を変えずに日本にやってきてくれたらいいな、と願っています。
——溝口さんが荘介さんに作ってほしい、または注文するとしたら、どんなお菓子をお願いしたいですか?
卵とお酒、チョコレートにクッキー、アイスクリームと、好きなものばかりを使った、究極に自分好みの一品を作ってほしいです。やわらかな食感の中に、カリッとしたアクセントがあって、ねっとりに近い伸びの良さがあるなど、食感にもこだわってもらいたいですね。どちらかというと、冷たいものより温かいもの。どっしりと量があると嬉しいです。なんてことを言っていると、厨房に招かれて「自分で作ろうよ」と荘介に言われる可能性もあり得ますが(笑)。「私のためだけのお菓子」という贅沢を味わってみたいです。
——初めて久美が「お気に召すまま」で食べたのが、シリーズ3作目に登場する「フランクフルタークランツ」というドイツのケーキです。日本語に訳すと「フランクフルトの花冠」という意味だそうですが、このお菓子を選んだ理由を教えてください。
私自身がフランクフルタークランツを食べた喜びを書き残さねばという思いから、久美が自分の誕生日に「お気に召すまま」に行ったときの話を作りました。お菓子が先にあって、そこから話を作ることも多いんです。
久美が初めて「お気に召すまま」で出会ったのがフランクフルタークランツだったのには、いくつか理由があるようにも思います。私が子どものころに美味しかったケーキの思い出がバタークリームだったことや、自分の中の食べてみたいドイツ菓子No.1がフランクフルタークランツだったこと。誕生日なら冠がぴったりだなということなどです。そういった理由は、書いている間には思い至らなかったのですが、本の形になって読み返すと自然と懐かしい思い出が浮かび、自分の無意識の存在をまざまざと感じます。
——ドイツのフランクフルタークランツをアレンジし、マジパンで作った色とりどりのお花をあしらったアイディアは、溝口さんが考案されたのでしょうか。
花冠にしたのは私の創作です。実際はまっ白で飾りがないのが定番のようです。フランクフルタークランツの名前を知ったのは、確か高校時代でした。どんな本に出てきたのかは忘れてしまいましたが、とても美味しそうだったのでよく覚えています。
それから長い時が過ぎ、私の中のフランクフルタークランツには、いつの間にかお花が咲いていました。食べたいと夢見るあまり、ドイツから飛び立ち、遠く日本にやってきて、想像の中でかわいらしさが増したのかもしれません。それくらい、私にとってフランクフルタークランツは長年憧れのお菓子であり、ドイツに食べに行こうかと思い詰めた時期もありました。
ある時、日本でもドイツ菓子専門店に普通にならんでいると知り、狂喜乱舞して買いに行ったんです。満を持して食べたフランクフルタークランツは、雲を砂糖菓子で包んだような味でした。ふわっとした軽いスポンジを、これまた軽いバタークリームでコーティングしたまっ白なお菓子。リング型なのも、口当たりの軽さに貢献しているのだろうか、などと考えました。思い描いていた夢が、本当に美味しかった。そして、いつでも手に入る。こんな嬉しい形で夢が叶うなんて、私は幸せものだと思っていますし、この幸せは絶対に小説に登場させようと思いました。
——「お気に召すまま」のお菓子を通して、お店に来るお客様に、また本作の読者の方に、今後どんなことを届けていきたいとお考えでしょうか。
「美味しいものを食べて、少し眠って。そうすればまた明日はやってくる」。作中で荘介が言っている言葉ですが、これは私が感じていることそのままです。辛いことや悲しいことはなくならないけれど、美味しいお菓子はほんの少しだけ、暗い道を照らしてくれます。
お菓子は生きることに直接必要なものではありません。栄養を摂取して空腹を満たすだけなら、必要がないものです。だけど、必要がないはずなのに人が求める。そういうものにこそ、生きるための見えない力が詰まっているのではないでしょうか。
小説も、無くても生命に別状はない。けれど、人生を送る上で物語を必要とする人がいるのなら、私が物語るもので、ちょっとだけ前を向けるようなものをお届けしたいと思っています。
——最後に、溝口さんの地元・福岡のご当地菓子を教えてください。
ご当地菓子というと、私はチョコレートシロップが入ったマシュマロを思い浮かべます。福岡には、ホワイトデーを始めたと言われる「石村萬盛堂」というお菓子屋さんがあるのですが、そのお店の昔の広告に「ホワイトデーはマシュマロデー」というキャッチコピーがあったんです。そのせいか、私にとってキャンディーやクッキーよりも、3月14日にはマシュマロが似合うような気がしています。ほかにも「鶴乃子」というマシュマロで黄身餡を包んだものもあるのですが、それもとても美味しくておすすめです。