1. HOME
  2. インタビュー
  3. 食いしんぼん
  4. #26 終わらない落下を続けるバタークリームケーキ 柚木麻子さん『BUTTER』

#26 終わらない落下を続けるバタークリームケーキ 柚木麻子さん『BUTTER』

文:根津香菜子、絵:伊藤桃子
 「私、実はバタークリームって初めてなんです」 直前まで冷やしてあったせいか、バタークリームにはこりっとした硬さが残っていた。舌の熱で溶けていく甘いバターはじゅうっと広がり、身体中の旨みを感じる細胞を浮き上がらせるようだ。ふわふわとした甘酸っぱいショートケーキでは、きっともう満足できないだろう、濃く重たい乳の味としっかりした焼き菓子部分。そう、手応えのある美味ほどカロリーも値段も高い。(『BUTTER』より)

 メリークリスマス! みなさん、今年はどんなケーキを食べました(または、食べます)か? 最近はコンビニやスーパーでも様々なクリスマスケーキが売っていて、つい目移りしてしまいますよね。今回は、昭和の時代では定番だったという、バタークリームのケーキが登場するお話をご紹介します。
 週刊誌記者の町田里佳は、男たちから次々に金を奪った末、殺害容疑で逮捕された梶井真奈子(通称、カジマナ)に手紙を書き、取材を試みます。里佳はカジマナへの取材を重ねるうち、その自由奔放な言動に翻弄され、すすめられたバターにハマっていくのです。著者の柚木麻子さんに、バターを作品に取り入れたきかっけや、「落ちる」くらいに美味しかった食べ物のお話などをお聞きしました。

バターが悪者になったような気がした

——本作のタイトルでもある「バター」を作品に取り入れたきっかけを教えてください。

 この作品を書き始める時期に、未曾有のバター不足がメディアを賑わせていました。理由には諸説ありますが、人々の暮らしからバターが消えた時に、色々思うところがあったことがきっかけです。バターの代わりにオイルを使うレシピを雑誌などでよく見るようになり「健康的でいい」みたいな、バターが悪者になったような印象を受けました。

——それまでは何の気なしにマーガリンを使っていた里佳でしたが「バター醤油ご飯を作りなさい」というカジマナの一言をきっかけに、バターの美味しさに目覚め、ハマっていきますね。柚木さんは、バターが持つ魅力(魔力)をどう捉えていらっしゃいますか?

 バターって、何かに加えた時に野性味がプラスされるように思います。入れれば入れるほど美味しくなるのは事実だと思いますが、自分なりの「適量」というものが試されると思うんですよ。バターに限らず、それぞれの「適量」を知ることが大切ですが、里佳にとっての適量は自分目線、カジマナにとっての適量は他者目線。やはり色々作ってみて、失敗してみて、自分の適量が分かるんだと思います。

——柚木さんもバターがお好きなのですか?

 好きですね。私は小さい頃からお菓子作りが好きで、レシピを見るたびに「こんなにバターを入れるのか」と驚いたことがあります。バターが冷たいまま、舌に乗せるのも好きでした。

——作中には、塩バターラーメンなど数々のバター料理が登場します。それらを味わった時の里佳はどれも饒舌で、読んでいるこちらまで、その舌触りや食感、香りまでも味わっているようでした。中でも、カジマナから「あなたの感想が聞きたい」と言われたのが「バタークリームケーキ」。このケーキを食べた里佳の「どこまでもワルツのように回転しながら螺旋を描き、終わらない落下を続けているような美味しさ」という、なんとも詩的な表現! 

 この感想は、私自身がこのバタークリームケーキを食べて生まれた言葉なんです。バターの口どけの良さと、有塩バターのほんのりした塩味がとても美味しいんですよ。作中で里佳がこのケーキを食べた時はまだクリスマスの時期ではなかったので、あのバタークリームケーキを手に入れるのはとても難しいと思うんです。きっとカジマナは、このケーキを手に入れられるかどうかで、里佳の力量を試したんじゃないかと思います。

—— 「バターを食べると『落ちる』という感じがする」と言うカジマナですが、柚木さんが今までに「落ちた」食べ物はありますか?

 神奈川県小田原市にある「あじわい回転寿司 禅」のメタボ巻き(イクラ、フォワグラ、ウニを巻いたもの)です。口の中で「すうっ」と溶けることと、量ではない心地よい重さを感じる感覚でした。腑に落ちる、の「腑」ですね。内臓という本来の意味にプラスして、納得するというような味わいでした。

——これほどまでにバターに執着し、バターに溺れた女性を描いた理由をお聞かせください。

 日本女性には、少女のような痩身や、人を威圧しない謙虚さを過度に要求されます。そんな中、どっしりした美味や自信満々に堂々と振る舞いたい欲求が私には強くあり、それを描いてみたいと思いました。キャラクターによりますが、本作に登場した女性たちにとってバターは友情のようなものです。なくても生きていけるという人もいるでしょうが、味わいを知ったら不可欠なものになる。そんな食べ物だと思います。