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豆腐 畠中恵

 暑い季節でも、寒くなっても、いつでも食べるのが楽しい品に、豆腐がある。その中でも秋、ワインの新酒が出る頃になると、豆腐の味噌(みそ)漬けが食べたくなるのが、毎年の事だ。

 豆腐なら、日本酒も合うのだが、私は秋になると毎年、国産ワインの新酒を試したくなるのだ。

 昨今、天候の振れ幅が大きくなっているせいか、新酒ワインの味が、毎年かなり変わる気がしている。それで、今年はどんな仕上がりなのか、色々飲んでみるのが面白いのだ。新酒は軽めの味わいが多いから、豆腐はそれに合う気がしている。

 時代物の資料を読むと、豆腐は結構早くから、日の本の皆に食べられていたのが分かる。豆腐は奈良時代、遣唐使によって伝えられた品らしい。

 そして江戸時代になると、日々、庶民の献立を、大いに支えていた。

 町内に一軒、必ずあるほど豆腐屋は多かったようだ。そして寛政二年、奉行所が江戸市中の豆腐屋へ、大きさや価格を、均一にするよう申し渡したと、本にある。ちょっと大きさが他の店と違っただけで、噂(うわさ)になるほどの品だったのだ。庶民にとって、それだけ大事な食べ物だったということだろう。

 江戸時代、豆腐料理を多く紹介した有名な本、『豆腐百珍』が、天明二年(1782年)に出ている。今は現代語訳された本も出ており、作り方もしっかり書いてあるから、面白い。

 若い頃から、本の中に出てくる料理やお菓子を、食べてみたいと思うことが多かった。きっと江戸の人も、この豆腐百珍を借りたり買ったりして、楽しんだことと思う。

 ただ中には、現代の感覚から言うと、豆腐百珍の中には、本当にこのレシピで良いのですかと怪しみ、作るのを躊躇(ためら)うような品もあった。

 例えば、辛み豆腐という品は、味付けは薄味なのだが、豆腐一丁に付き、一握りほどの生姜(しょうが)を、十個もおろして加えるとある。昔の豆腐一丁が、今よりも大きかったのは本当だ。だが、それでもこの量だと、辛くなかったのだろうか。

 そして、もっとすごいのは、味付けはお好みによると、書いてあるもの。豆腐百珍は、料理のレシピ本の筈(はず)だがと、考え込んでしまった。しかも、そう書かれている品は結構ある。

 つまり、豆腐百珍を参考にして作っても、決して同じ味にならない。そんな料理の本が、江戸では流行(はや)っていたのだ。江戸の人は、寛容だったのか、試しに作ることはしなかったのか。知りたい気がした。=朝日新聞2020年12月5日掲載