大変な一年が終わろうとしている。本来なら、東京オリンピック・パラリンピック(オリパラ)が開かれるはずだったので、ここ一年ほどは、東京に関する書籍の出版が相次いだ。
ローカルが前線
まず目を引くのは、ガイドブック類である。『地球の歩き方 東京』は、海外旅行案内の定番に追加された初の国内版だ。これはオリパラを意識した企画であり、外国人ら来訪者の目線で東京の特徴がとらえられている。光が当てられるのは、江戸から続く日本橋や浅草などの町とその文化であって、近現代に一挙に開発されたエリアへの言及は少ない。グローバル化で世界の大都市がどんどん似通うなか、それらを股にかける来訪者にとっては、ローカルな町こそが、東京観光の最前線なのだ。
では、そうした町は、「ローカルさ」をどうやって、醸成・持続させてきたのだろうか。この問いに、五十嵐泰正『上野新論』は応えてくれる。
本書の舞台・上野も江戸以来の町だが、戦後にはアメヤ横丁が生まれ、近年では多様なエスニックタウンの側面も持つ。かつて行政側は、この地に、新宿などと並ぶ「副都心」を構想した時期もあった。実現しなかったのは、地元が強かったからだが、それは内輪の地域支配を意味しない。有力商人層でさえ入れ替わりが激しいが、世代や出自の違いを超えて、一定の「気質や商習慣を伝えるコミュニティ」の継承が行われた結果、唯一無二の町が現出してきたのだ。
グローバルな観光需要の増大にも直面する昨今、以前からの営みを受け継ぐのは難しい。しかし、町が生き続けるためには、それ以外の道はないだろう。上野の経験と模索は、日本各地にも参考になる点が多い。
国家統治の空間
次に注目したいのは、首都=「政治権力の中枢」という、東京の紛れもない本質に迫る研究である。上野などの東側低地に対し、都心西郊のいわゆる山の手台地の歴史は、日本が2度、夏季五輪を誘致してきた背景を知る上でも欠かせない。
佐藤信『近代日本の統治と空間』は、元老・山県有朋ら政治的エリートの活動拠点とその変遷を丹念にたどることで、明治期以降、国家統治の空間とそれにまつわる政治文化がいかに創り出されてきたかを解明する。
明治維新で統治の担い手は幕府から明治新政府に移行し、江戸改め東京は、帝都、そして軍都へと変貌(へんぼう)を遂げてゆく。
まず新政府は、江戸城を皇居に、その周囲の永田町や霞が関などの武家屋敷群も没収して地歩を固めた。もっとも、それらは従前のまま使われるのではなく、新しい制度に合うように改造された。また、体制内の権力構造の推移にしたがって、東京近郊・遠郊に分散する有力政治家の私邸などが、むしろ重要な政治基地となる時期もあった。国家統治が今のように永田町一帯に一元化されるのは、ようやく1930年代のことという。
さて、こうした明治~戦前期の国政展開の影響を、最も強く受けたといえるのが山の手台地であり、実はその土台の上に五輪会場は築かれている。
64年、そして今回の会場の多くは元々、幕府施設が帝国陸軍の用地となり、戦後も軍隊(米軍)の統治下に置かれた所だ。吉見俊哉『五輪と戦後』(河出書房新社・2860円)は、戦前からの強権的な影を引きずったまま五輪が成立してきた不都合な真実を突きつける。
「平和の祭典」の華やかさの傍らで、東京はどれだけ、社会をより良くする変化を遂げてこられたのだろうか。大きな曲がり角を迎える現在、この大都市が市井の人にとって少しでも生きやすい場となるための、歴史的・長期的な視座に立った見直しが求められている。=朝日新聞2020年12月19日掲載