空の重箱を前にして、私が思い浮かべるのは、一に、おせち料理だ。
子供の頃、陶器で出来た白い重箱が、正月に出ていた。年に一回、毎年お目に掛かる器であったから、正月料理というと、そのお重を思い出す事が多い。
一人暮らしを始めてからは、一人でおせち料理を全品作る気力も無く、重箱入りの品を買った。手軽で、誠にありがたい品であった。
だが一品、黒豆だけは、既製品では足りず、時々作っている。子供の頃、正月近くになると、ストーブの上には黒豆が入った鍋が置かれていた。元旦の重箱の中には、品良く少量入れられていても、黒豆は鍋にどっさり、こしらえてあるものだったのだ。
そういう思い出があるせいか、私は重箱というと、正月の特別な器という気がするが、知り合いは家に山と、重箱があると言っていた。気軽に色々な品を入れ、近所にいる方へ持って行くための器として、日頃から使っているのだそうだ。
そういえば蓋(ふた)が付いているし、段を重ねれば、入れる料理の、量の調節も簡単だ。江戸の頃は、花見弁当の器にも使っていたくらいだから、持ち運びもしやすい。
今は、百円ショップでもお重を売っているから、料理を余所(よそ)へ差し上げた後、器が返ってこなくとも、気に掛かりはしないだろう。
ところで江戸時代、このお重へ料理をたっぷりと入れ、勤務先へ持っていっていた人がいた。資料本に、『元禄御畳奉行の日記』に、御本丸御番のお武家が宿直の時、持って行った重箱料理が再現され載っていたのだ。
焼き魚が一段分、次の重は蜆(しじみ)の和(あ)え物、更に野菜や芋、蒟蒻(こんにゃく)、豆腐の煮物で一段、お重一段分の、色々な種類の香の物、それに味噌(みそ)汁に酒も添えられていた。誠に立派な料理で、大層美味(おい)しそうであった。
宿直の武家達は交代で、こういう四段分の料理と汁、酒を、用意していたようなのだ。つまり夜、酒宴となったのだろう。
一見気軽で、楽しいお武家の勤めのように思える。だが、重箱料理という視点から見ると、ただ楽しいだけでは済まなかったと思う。
江戸の武家の食事は、普段は質素なことも多い。だが一旦(いったん)客人が来ると、質も量も、ぐっと立派になったりする。つまり武家は、料理でも体面を保たねばならないものらしい。だとしたら、同輩と食べる重箱料理に、手抜きなど許されなかっただろう。金子の面でも、気遣いの面でも、大変だった筈(はず)だ。
空の重箱からは、様々な思いが、浮かび上がってくる。そして見ていると、お腹(なか)が空(す)いてくる。=朝日新聞2020年12月19日掲載