あらゆる逃げ道を断たれた状態から
――村井さんが初めて読んだときの感想はいかがでしたか。
よく生きていられた!ですね。回顧録はアメリカで人気のジャンルですが、著者が背負っているものは1つか2つくらいなんです。でもタラの場合は、宗教的なバックグラウンド、陰謀論、両親の精神疾患、孤立した環境でのホームスクーリングといった、子どもにとって辛い状況を煮詰めたような、究極的に厳しい状況に置かれていました。医療や学校だけでなく、ありとあらゆる逃げ道を断たれた状態から、よくぞ逃げられたなと思いました。
――文章には文学的な表現が多くて、ノンフィクションというよりも小説を読んでいるようでした。
彼女の文章にはどことなく論文調でぎこちないところがあったんです。文学的な表現については、編集者にだいぶ助けていただきました。きっちり訳しつつ、わかりやすく読みやすくなるよう工夫していきました。
――そのおかげでしょうか、500ページを超える大著にもかかわらず、ぐいぐい引き込まれていきました。とくに村井さんが印象に残ったシーンはありますか。
兄のショーンが血の付いたナイフをタラに見せつけるシーンですね(431~434ページ)。タラはショーンに暴力をうけていたのですが、血の付いたナイフを見せつけるという行為の意味を、考えさせられました。そのシーンをタラが書いたというのは、よほどのことですよね。ショーンがそれくらい壮絶な人間なんだと示すためなんだろうかと思いました。
――確かにあのシーンは恐ろしくて、兄の残酷さをしんから描いていましたよね。どうしてタラはこんな過酷な環境から抜け出せたのでしょう。
一つは、自分からうちを出て大学に行ったタイラーという兄の助けがあったことが大きいと思います。彼のおかげで大学に行こうと決意できました。また、タラは歌が上手でした。父は学校や病院へは行かせなかったけど、歌うことだけは許してくれた。タラは教会で歌ったりミュージカルに出たりすることで、外界とつながることができたのかもしれませんね。
外の世界につながることが重要
――タラはそこで同世代の子ども達と出会い、自分の生活は他の人とは違うと意識したようでしたよね。このとき抱いた違和感も、タラがこの環境から抜けるきっかけになったのかもしれないんですね。
それだけじゃなく、タラが外の世界に行けたのはそこで出会った恩師や学友や恋人との出会いのおかげもあるんです。タラは子ども時代に多くのものを奪われていましたが、彼女は恩師からなぐさめやはげましの言葉をもらって、前に進むことができました。そう思うと、親以外の大人がいかに与えられるものが多いかということを実感しますね。
わたしも子育てしながら、常々親は子どもから取り上げるのはうまいけど、与えるのは難しいと感じています。親が子どもにすべてのものを与えられるわけではないんです。親以外の、恩師のような人が突拍子もないところから球を投げて、その人の人生を引き出すことがあるから、外の世界に出ることは大切だとしみじみ思いましたね。
――教育を受けることもある意味、外の世界に行くことだと言えますよね。これを読みながら、教育を受けるというのは親の価値観から抜けることでもあるのかなと思いました。
そうかもしれませんね。子どもが自己の確立と親の世界にとどまることは両立できなくて、どちらかにかたよってしまうことが多いですよね。子どもが今思春期なんですが、わたしも無意識のうちに子どもをぐーっと押さえ込むようなところがあるんです。子どもが巣立つことへの不安から「心配」で愛情という名の束縛をしてしまうんです。親はそれをうまくコントロールしないと、一番愛している子どもとの関係がゆらいでしまうんですよね。
親と子、徹底的にずれている愛情
――親子関係にはそういう難しいところがありますよね。
タラ自身も両親と絶縁しながらも、会いたいという気持ちをすごくもっていてものすごくゆらいでいますよね。それはまだどこかで両親を信じたい気持ちがあるからなんでしょうね。よく虐待された子どもが、虐待さればされるほど、親を信じて慕っていくと聞いたことがあります。タラにもそういう部分がありますよね。打ちのめされてもまだ親に会いたいと思っているのがなかなか悲しいことだなと思います。
――両親がタラに愛情がないわけじゃなくて、両親なりのやり方でタラを愛している。でもそれが徹底的にずれているところに背筋が凍りました。そもそも父はどうして陰謀論を信じてしまったのでしょうか。
タラの父に関しては、子どもの頃に祖父に暴力をふるわれていたことや、タラが分析しているように双極性障害だった可能性もあるかもしれません。何かのきっかけから科学を否定するようになって、そこから陰謀論に出会って傾倒する人が多いんです。そして、科学を否定するのは、悲しみや病気や災害といった大きな損失を経験したことがきっかけになっていることが多いんです。普通に考えたらあり得ないような理解の仕方を、普通の知識のある人がしてしまったりするところに、陰謀論の恐ろしさを感じます。陰謀論にはまる人とそうじゃない人の境界はすごく曖昧で、実はすぐ隣にあるものなんですよね。
――たしかに、タラの祖父母は普通の人ですよね。父は一見、強い信念で家族を従わせている強い男に見えますが、怖さや弱さから目をそらすために陰謀論を信じているようにも見えました。この一家が今の陰謀論に覆われたアメリカの縮図のようにも思えます。
この本には、陰謀論や白人至上主義がどうやって生まれ、育っていくのかという過程を理解するヒントがあるのではないでしょうか。トランプ政権になっていきなり白人至上主義や反政府主義が出てきたように思われていますが、そうではなくて、それまでアメリカ社会にあったものが、ぎゅうっと煮詰まって、トランプ政権でバンとはじけたんじゃないかと。
タラの子ども時代から20代までの1990年代後半〜2010年代にかけて、アメリカはY2K問題(1999年から2000年に年が変わるときに、2桁で西暦を管理しているせいで、コンピュータがトラブルを起こして、銀行やインフラシステムがダウンするかもしれないと危惧された。実際は何も起こらなかったが、終末が来ると信じて水や食料を買い占めたりする人もいた)やアメリカ同時多発テロ、イラク戦争など、大きなショックを経験しました。ピュアな人ほど時代状況が理解ができず、なんとかして理屈をつけようとしたり、救いを求めたりするために陰謀論にハマっていったのではないでしょうか。
若い人に勇気を与えてくれる本
――社会が大きくゆれていた時代だからこそ、大人もゆれてしまって、子どもに何を伝えたらいいのかわからないような状況だったんですね。
いつも思うんですけど、大人も子どもですよね。両親が本当にタラを愛しているということも感じられる分、その愛が狂信的な方向にいくのが、どこの家庭にでもありえる狂気でもあり、ぞーっとしました。子どもにすればほんとうに悲劇ですよね。
――どこの家庭にもある親と子のすれ違いが行き着く先にこういうことが起こってしまうとしたら、タラの話は人ごとではありませんよね。最後にどんな人にこの本をすすめたいですか。
今コロナ禍で若い人たちは大変だと思いますが、学生さんや若い人に読んでもらいたいですね。日本は小学校、中学校、高校、大学、就職……と道が一つしかない上、一度決めたらその先の人生すべてが決まるようなところがあるじゃないですか。でも、わたしが大人になったと自覚したのが35歳くらいなんですよね。それまでは14歳くらいの感覚のままでした。なのに、日本では19歳、18歳で進路を決めないといけなくて、それで人生がすべて決まってしまうのが、とても残酷ですよね。
だけど、アメリカはどん底から這い上がれるようなところがあって、何歳でもチャレンジできる。だから、いくつになっても何らかの手段を使って学べるというこの話は、若い人にとって希望なるんじゃないかと思います。親の力を借りなくても学べるのがわかると、逃げ出したい人にとっては福音になるんじゃないのかなあ。
「人生のピークは遅い方がいい」という言葉を読んだことがあるのですが、すごくいいなと思いました。ずーっと低迷していても、人生のピークが最後に来たらいいんじゃないか、そのときがピークだったらいいんじゃないか、という考えが広まったらいいなと思います。
「学びが人を救う」というのがこの本のいちばん強いメッセージなんです。何歳になっても新しい人生が始められるし、なんでも学べる。好きなことをあきらめず、興味あることを続けることで道が開ける。そういう、勇気を与えてくれる本だと思います。