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追悼・半藤一利さん、本でひもとく業績 日本人は「そんなに」悪くはない 東京大学教授・加藤陽子さん

半藤一利さん=2007年撮影

 今年1月に長逝した半藤一利さん。穏やかな死の床で生涯の伴侶・末利子夫人にこう語ったという。「墨子を読みなさい。/日本人はそんなに悪くはないんだよ。/ごめんね、先に死にます」。日本人は悪くない、ではなく、「そんなに」悪くはないんだよ、と言い遺(のこ)した半藤さん。編集者として初めて仕えた作家・坂口安吾から歴史探偵学を継承した歴史探偵が、「そんなに」に込めた含意は何であったのか。作品からたどってみたい。

軍事力への洞察

 作家にとって最初の作品には、作家の特徴の全てが内包されているという。35歳の半藤が書いた『日本のいちばん長い日』(1965年)にもこれは当てはまる。玉音盤による終戦の詔書がラジオで放送されたのは45年8月15日正午。そこに至る内閣・宮中と徹底抗戦派との攻防の24時間に光を当てた。多くが存命だった当事者に徹底的に取材し、史料を博捜した半藤。ポツダム宣言受諾による終戦がいかに紙一重の真剣刃渡りだったかを史劇として描いた。軍事力を有する集団が暴発する危険性への深い洞察。半藤の全作品を貫く核はここにあったのだろう。

 自分は歴史探偵だと半藤はよく語っていた。だがこの自称、坂口安吾由来だという点を忘れてはならない。安吾は「堕落論」を「半年のうちに世相は変(かわ)った」と書き始めた怖い人だ。特攻隊の勇士は闇屋になり、戦争未亡人は使徒から人間になった、と続ける。歴史というものの持つ測り知れぬ力への鋭い感受性。安吾から半藤へと継承されたものはこれだった。

 続いて『「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦』(2015年)を取り上げたい。公開された「昭和天皇実録」を通覧した半藤は、『日本のいちばん長い日』の自らの解釈の一部を修正すべきだと考える。新史料からは、敗戦前の天皇と軍隊との相克がより明らかになった。半藤は、8月14日の二度目の聖断時の天皇の言葉を、軍人に対して敗戦を納得させるための必死の懇願と読むべきだという。8月10日の最初の聖断と地続きに読むべきではないとの新解釈だ。

良く生きた人々

 ここで明治国家の設計者のプランを想起しておきたい。人心帰一の機軸として、神の代わりに天皇を置いた伊藤博文。政党からの影響を断つため、軍隊を天皇と直結させた山県有朋。国家壊滅の危機に瀕(ひん)した終戦時、天皇の命令に軍隊は従うのか。これが真正の賭けだったことを半藤の書は教えてくれる。

 最後に『靖国神社の緑の隊長』(2020年)を挙げよう。晩年の半藤は、夜郎自大的な歴史認識の跋扈(ばっこ)を憂え、正しい歴史認識に必要なのは歴史的リアリズムだと述べていた。その半藤の最後の書がジュニア向けの本だったことは興味深い事実だ。

 帯の惹句(じゃっく)が「こんなにも立派に生きた日本人がいた」だと、身構える読者もいよう。だがそこは半藤、まえがきに靖国の歴史をまとめてある。いわく、天皇の軍隊の戦死者を祀(まつ)る神社であること、戊辰戦争で負けた側の戦死者や、空襲・原爆の犠牲者は祀られていないことなど、わかりやすく述べている。

 ある対談時に半藤が述べた印象的な言葉をご紹介したい。日本人の欠点は何かと考えると二つある、当座しのぎの根拠のない楽観性と排他的同調性の二つだと。この言を想起しつつ本書を読むと、物語の登場人物8人の将兵が、二つの欠点を免れた稀有(けう)な8人だと気づかされる。武器を持つ軍人の根源的な暴力をリアルに捉え、多くの作品群を世に問うた半藤。その半藤が最後に、市民として軍人として良く生きた人々を描いた。全体の帳尻として半藤は、日本人は「そんなに」悪くはないんだよ、と言い遺して逝ったのではなかったか。私はこう考える。=朝日新聞2021年2月13日掲載