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傷ついた者のため 沈黙にあらがう声、文学に響く 作家・小野正嗣〈朝日新聞文芸時評21年2月〉

坂元郁代 無題

 来月の11日で東日本大震災から10年の節目の年になる。津波と原発事故という未曾有(みぞう)の惨事は、人間の想像力の矮小(わいしょう)さや無力さを思い知らせる出来事だった。だからこそ、あるいは、にもかかわらず、サミュエル・ベケットの「想像力 死んだ 想像せよ」という言葉が示すように、作家や芸術家は想像力にむち打ち、現実に応答しようとしてきた。

 想像力以上にその運び手である人間は脆(もろ)く、傷つきやすい。自然災害や戦争や原発事故などの巨大な災厄ばかりでなく、日常的な暴力が人間を破壊しトラウマをもたらす。

 傷ついた人間の恢復(かいふく)に文学はどのような役割を果たすのだろうか。

    ◇

 1月にフランスで刊行され大きな反響を呼んでいるのが、カミーユ・クシュネルの『大家族』(未邦訳)だ。

 1975年生まれのクシュネルはパリ大准教授の法学者・弁護士で、実父は「国境なき医師団」の創設者の一人で、のちに外務大臣も務めるベルナール・クシュネル。母は政治学者で作家のエヴリーヌ・ピジエ。母の妹が女優のマリー=フランス・ピジエ。母の再婚相手が著名な政治学者のオリヴィエ・デュアメルである。

 革命を信じる左派学生としてキューバを訪れる若き両親、権威的な夫を捨て独力で子供3人を育てあげた逞(たくま)しい祖母、自由で独立した女性である母の姿が生き生きと描かれる。

 義父は南仏に大きな地所を持ち、夏のヴァカンスをそこで過ごすのが恒例となる。義父と母の友人の左派知識人とその家族らが集結し、にぎやかな「大家族」が形成される。

 議論と笑いが飛び交い、自由奔放な振る舞いが容認される解放的な空間。だが14歳のある日、クシュネルは双子の弟から衝撃的な事実を知らされる。彼はそこで義父から性的な虐待を受けていたのだ。

 母を傷つけたくないと弟自身が彼女に沈黙を求める。義父自身も卑劣にも同じ理由で沈黙を強いる。秘密が公になれば、メディア的な存在である父や叔母も醜聞に巻き込まれる。弱い立場の被害者が周囲を気遣い、自分を殺して何も言えなくなる。

 秘密を共有した日から彼女のなかに「蛇」が巣くい暴れる。20年近く経って、ついに母に真実を伝える時が来る。だが返ってきたのは娘の沈黙を非難する言葉だった……。

 一部の人の名前が変更されているが、書かれているのが事実である以上、小説とは呼びがたい。だが単なる回想録や暴露本でもない。

 近親相姦(そうかん)・性的虐待の犠牲者の〈声〉を沈黙させようとする力が、彼女の内にあった「蛇」だとすれば、書くことは、傷つけられた者たちの〈声〉を聞き届け、「蛇」を殺すことだ。そのとき彼女が必要としたのが文学だったとは言えないか。

    ◇

 メキシコのジャーナリスト・作家のフェルナンダ・メルチョールが2017年に発表した『ハリケーンの季節』(未邦訳)にも、名もなき小さき人々の〈声〉を文学というかたちで掬(すく)い取ろうとする試みを感じる。

 メキシコの田舎で「魔女」と呼ばれる謎めいた人物が惨殺され、この死者と関わりのあった者らのモノローグが、一章一段落(!)で、(僕の読んだ仏語訳では)句点のほぼない濃密な文章で綴(つづ)られる。暴力、麻薬、貧困、差別、虐待、迷信が、ハリケーンのように読者を圧倒する。

 とりわけ義父の子をみごもった13歳の少女の〈声〉は忘れがたい。彼女は自分の意志と欲望でそうなったと自分を責め自殺を考える。だがメルチョールの文章はその痛々しい〈声〉を通して、少女の無垢(むく)と無知につけいる大人の男の狡猾(こうかつ)さを浮かび上がらせる。

 息苦しいほどせまり来る文章なのに、そこには心身に深い傷を負った普通の人々の〈声〉が響く空間が開かれ、読者がその〈声〉に寄り添うことを許してくれる。

 今月、完全版が刊行されたアレクシエーヴィチ『チェルノブイリの祈り』(松本妙子訳、岩波書店)はそのような文学の到達点であろう。

 震災後、被災した陸前高田に移り住み、復興で変化していく町の風景とそこに暮らす人たちの〈声〉を記録した瀬尾夏美『あわいゆくころ』(晶文社)も忘れてはいけない。「出来事を、記録を、フィクションに引き上げること。そうすることでそれは媒介となり、対象と鑑賞者を対立関係ではなく、やわらかく繋(つな)ぐだろう」。文学の役割を端的に示すこの言葉が真実の響きを持つのは、この若き芸術家の〈声〉が、つねに多くの住民の〈声〉に抱擁されているからにちがいない。=朝日新聞2021年2月24日掲載