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いっそ隣の人になりたい 津村記久子

 自粛生活が続いているため、と何食わぬ顔で書きたいところだが、続いていなくてもわたしの生活は変化に乏しく、仕事→買い物→家事→テレビ→寝る→仕事→テレビ→寝る→仕事、というきわめて単調なサイクルのみで人生が回っているため、生活の中に文章にできるような部分がほとんどない。

 なのでそういう時は日記代わりのメモを読み返してみるのだが、最近は聴いている曲と観(み)ているドラマの感想しか書いていなかったので、今回は昔の携帯に残していたメモを発掘した。いろいろ遡(さかのぼ)ったところ、二〇一六年の八月に、何か本当にもう精神的に追いつめられていたらしく、「没リヌス菌」とか「群雄割拠許可局」とか「おくゆかしい奥床式住居」とか「あなたが落としたのはこのサニー・デイ・リアル・エステイトですか? それともこのサード・アイ・ブラインドですか? とたずねてくる泉の精(※両方ともバンドの名前)」などという妄言がファイルの中にまとめられていた。中でもいちばんまずかったのが「疲れすぎていて隣の人を自分自身だと思い込む」という記述だった。どういう状況なのだ。電車かなんかに乗っていて、もう自我が保てないぐらい疲れているので、隣の人の挙動を見つめているうちに、なんだか自分がそれをやっているような気がしてきたよ、ということなのか。隣の人だって迷惑だ。わたしにこんなことを思われていると知ったらどんな気持ちになるのか隣の人は。

 精神的な危機の内容は意外と記されておらず、五年前の自分の譫言(うわごと)が遺構のように残っている様子は不気味だが、さすがに今疲れてても隣の人を自分だと思い込むことはないわ、とある部分で安心する。メモの中には「自分で自分の愚痴を読み返して、理解者を得た気分になる」とわりあい冷静なことも書いてある。隣の人になってしまう気持ちはまったく理解できないが、「いっそ隣の人になりたい」と思ったら自分は危ない、と心づもりしておきたい。=朝日新聞2021年3月10日掲載