いま「侠気(おとこぎ)」などと言えば眉をひそめられるのが落ちかもしれない。男らしさや女らしさという言葉は、うかつに口にできなくなった。昭和は加速度的に遠ざかっていく。
本書に登場する映画のタイトルの一つを借りるなら、この大冊はそのまま「昭和残侠伝」であり、良くも悪くもこういう時代がかつて存在したのだという刻印である。
映画の世界は現実とは違う。本書もそこは念を押している。やくざや暴力を称揚したいわけでもない。だが、筋を通すということ、あるいは立ち居振る舞いの美しさ、惜しんでしかるべきものが確かにあった。
雑誌連載を元にした本書は清水次郎長ものに始まり、1960年代から70年代に画期を成した東映やくざ映画を含め、よくぞこれだけ見続けたとあきれる数の映画が登場する。隆盛を誇った以上、支えた大衆がいた。文中にいう「世の非条理に対する怒りや憤慢をどこにもぶつけることができない弱者」である。彼らを背に捨て身となった鶴田浩二や高倉健、藤純子に、皆が心酔した。
「いまの若い人たちから見れば、なぜ自分ひとり出て行って損しなきゃならないの、馬鹿じゃないの、ということでしょう。そう言われちゃうとねえ、立つ瀬がない」
北海道の釧路に生まれ、幼い頃からチャンバラ好きだった。勤労動員では上級生に殴られ通し、中2で玉音放送を聞き、高校時代は「左」だった。上京しての大学時代は「右」だったそうで、酒を飲み、議論し、ケンカもした。双葉社で雑誌記者や編集者を務めて独立、著書に『殺陣 チャンバラ映画史』などがある。
父親は衣料品店や牧場を経営し、「弱きを助け強きをくじく心意気の人」だったと、これは著者の妻光子さん(83)が夫に代わり語ってくれた。任侠映画に惹(ひ)かれた原点だろうか。(文・写真 福田宏樹)=朝日新聞2021年3月13日掲載