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藤巻亮太の旅是好日 「志」を問いかける、オバマ前大統領の回顧録

文・写真:藤巻亮太

 バラク・オバマ氏。2009年1月20日~2017年1月20日までアメリカ合衆国の大統領を務め上げた人物の回顧録を手に取ったのは、東京・渋谷の東急本店で買い物をしていた時のこと。8階のレストラン街から7階の本屋に降りたエスカレーターの目の前の棚に並べられていたのを目にし、直感的に読んでみたいと手に取りレジに向かった。

 帰宅して読み始めたのだが、1冊500ページもある上下巻を読むのは正直骨の折れる作業であり、しかし次第に引き込まれて読む手が止まらなかった。ニュースでしか知ることのなかった10年も前の出来事が、実際に目の前で展開し、立体化されていくようであり、文章の力を感じた。

 政治にあまり詳しいとはいえない私だが、読み進めるうちにオバマという人物の人格に敬意を抱かないわけにはいかなかった。常に理想を胸に、弱い者に目を向け誠実であろうと戦っていた。そのことから今回紹介したいと思ったのだが、あまりに多岐にわたる回顧録の内容を短い文章で伝えるのは正直難しくも感じている。すでにベストセラーになっているので、何を今更という感じを考慮して、友達に薦めるような気持ちで文を書いてみたい。

 この『約束の地 大統領回顧録Ⅰ』上下巻は、オバマの生い立ちから時系列を追って、家族や様々な登場人物とともに展開してゆく。弁護士となり政治家を目指し、2008年の大統領選を制してアメリカ史上初となるアフリカ系アメリカ人の大統領となり、そこから1期目の任期を終える2011年までの世界的な様々な出来事の裏で、何を考え、悩み、決断したのか。そして数えきれない人々とどう向き合い、接してきたのか。それらがオバマ自身の言葉で語られているのだ。

分断に立ち向かった人

 最近でもよく聞かれる「分断」という言葉があるが、オバマはまさにこの分断に立ち向かったように思う。移民の国アメリカが生んでしまったヒエラルキーや差別という問題に向き合いながら、黒人として生きることがいかに大変であったであろうか。

 2008年、オバマの歩んできた道と時代の風が一致する。虐げられている多くの人々の期待を一心に受けて、「WE CAN CHANGE」のスローガンのもと、大きなうねりを生み出した大統領選挙戦。情熱と信念で多くの人を巻き込んでゆく戦いは、美しい物語を読んでいるようだった。

 しかし大統領就任までのストーリーに感動しながらも、その美しさは一変して、すぐさま権力闘争の匂いにかき消されてしまう。大統領就任後のリーマンショックをめぐる経済問題を発端に、フィリバスターという議事妨害とあらゆる法案で共和党に反対される中で、理想を貫くよりも妥協点を探る戦いを強いられてゆく。

 その後はアフガニスタン、イランとの対峙。アラブの春、そしてビンラディンの殺害という血生臭さを漂わせながら世界の秩序と、民主主義をリードするアメリカという国の立場とで揺れ続ける。大統領という職務がいかに様々な価値観に引き裂かれるのかと想いを巡らすことになった。環境問題や経済崩壊の危機を救う任務の一方で、「フットボール」と呼ばれる世界を瞬時に炎に包むことのできる核ミサイルの発射コードを常に脇に置かねばならない、大統領という立場がそこにあった。

現状を変えたくない人もいる

 オバマが大統領に就任してから中間選挙に敗北するまでのエピソードには、政治というものの難しさが嫌というほど書かれている。変わらなければならないと変革を期待する人もいれば、あらゆる変革は既存の権利の奪取だと考え、「変わるという罠に騙されるな」と叫ぶ人もいる。

 あらゆる政策に得している人、損している人がいると疑心になり、メディアが不信を煽り、しかもそれが政党や支援団体によって巧妙に仕掛けられていく。そして信念や理想を誠実に語れども額面通りに受け取ってはもらえず、票を失う。オバマは次第に疲労ばかりが溜まりゆき、あるときテレビに映り込んだ自分は大統領選に立候補したときと同一人物とは思えないほど老け込んで見えた、と回顧する。

 しかしそんな状況においても忍耐とユーモア、楽観と粘り強さ、率直さ正直さ、準備と覚悟とでリーダーシップを発揮してゆく。そしてチームワークや人を大切にしている姿勢が、その文章からも伝わってくるのだ。登場人物の人物描写がとても巧みで一人ひとりに心から敬意を払っているのが分かる。ミスをした人物に対してもそこは指摘しつつも、彼の名誉のためにとフォローの言葉も忘れていない。敵対する国の指導者にいたっても厳しくもありつつ、品格のある言葉で描写されている。これもリーダーとしての資質なのだろう。

コロナ禍こそ政治に関心を

 この世界には今も政治的、文化的、宗教的、歴史的なあらゆる立場のあらゆる主義主張がある。あまりに複雑に絡み合った利害関係や、その瞬間にも生まれる新たな問題を前にして、コロナ禍のこの時代、自分だけが良ければいいというナショナリズムの考えに取り憑かれてしまえば、分断はさらに悪い状態を引き起こしてゆくだろう。

 この時代を生きる我々にとって、オバマという一人の人間の生き様が訴えてくるものはやはり「志」という言葉だ。自信をなくした時、挫けそうになった時、もうダメだと諦めかけた時、自分を支えるのは志なのだと。

 そんな志が自分にもあるだろうかと問い、そしてアメリカという国を地球儀の中心に据えて見た視座ではあるが、世界を牽引する大国を通してこの複雑な世界を理解し、政治とは何かを問う手助けにもなってくれる一冊だ。そして1000ページ以上もある回顧録に日本のことが4ページ足らずしか出てこないという事実をどう受け止めるかも、私たちには考える価値のあることだと思う。