「紙の本の作りが、好きなんです」
文藝春秋デザイン部の装丁家・大久保明子さんの言葉が響く。
芥川賞や直木賞、本屋大賞などの文学賞受賞作から、100万部や250万部を超える大ベストセラーまで、大久保さんは多くの人の記憶に残る文芸書を手がけてきた。作家・川上弘美さんの『真鶴』では講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞している。
著者が書き上げたテキストを、イラストレーターや写真家の作品を生かしながら、本としてベストの形に仕上げる。四半世紀に渡り1000冊を超える本を生み出してきた大久保さんに、これまでの歩みと心に残る装丁について聞いた。
児童書に魅せられた少女が装丁家になるまで
大久保さんは、子どもの頃、イギリスの作家C.S.ルイスの『ナルニア国物語』シリーズに出会った。小学3年生のときに担任の先生が勧めてくれたものだ。
「ちょくちょく本は読んでいて読み聞かせも好きだったんですけど、クリスマスプレゼントに母親が買ってくれて、全巻7冊揃うのがすごくうれしかった。本を所有するよろこびを初めて感じました」
のちに「漫画ばかり読んでいた」中高生の時代を経て、多摩美術大学のグラフィックデザイン学科に進学。就職活動のときに、たまたま出版社の募集を見つけたのが転機となった。
「最初に広告代理店を受けて『違うな』と思って、そこからパッケージデザインの会社を受けて。何社か目が文藝春秋だったんですよね。エディトリアル・デザインを専攻していたわけではないんです」
出版社のインハウスデザイナーの仕事
文藝春秋のデザイン部では現在、15人が在籍。約3分の1がスポーツ雑誌『Number』のデザインを担当している。大久保さんは、同社のデザイン部を「自由なところ」と表現する。
「他より自由だと思うんです。会議で担当を割り振って、クレジットに個人名は出さない出版社もあるそうですが、うちは普通に名前が出て、編集者から直接依頼が来ます。フリーの人と変わらない手順ですね。デザインについても部内の上司のチェックはなくて、デザインの担当は自分だけです」
装丁家は、デザイン事務所に所属するかフリーランスなど独立したかたちで、いろんな出版社の本を手がけるのが一般的だ。文藝春秋のインハウスデザイナーならではの強みややりがいとは何だろうか。
「やっぱり芥川賞、直木賞(を受賞する作品)もいっぱいありますし、村上春樹さんの作品もそうですし、フリーだったらこの著者さんの本はやれなかったのでは、という本がたくさんあります。それは文藝春秋にいたからだな、と思いますね」
大久保さんが、作家・川上弘美さんの『蛇を踏む』の装丁を手がけたのは、入社して1年半が経った頃のこと。まだまだ新人とも言えるタイミングで、芥川賞受賞作を担当したことは、大きな手応えをつかむきっかけになったそうだ。
「『蛇を踏む』は、初めて自分で絵を選んだ装丁作品だったので、すごく印象深いです。それまでは、翻訳小説とか絵が決まっていたものを装丁していたので。自分で探した絵を、他の人も良いと思ってくれた。これでいいんだと思えた。大きい本屋さんで、一面じゃなくて何面も並んだりする状況を初めて見たのもうれしかったですね」
電子の時代、買いたくなる紙の造本とは
大久保さんは、時期によって差はあるが、平均すると文庫と単行本を毎月それぞれ3〜4冊担当している。一冊一冊、著者が書き上げたテキストをもとに、どういう本にするかを考えていくという。
「その本(のデザイン)は完全にテキストから出てくると思うので、その本にとってのベストの形で出したいと思っています。テキストから来る私のイメージもあるけれど、どういうふうに売りたいか。著者さんや編集者と営業の意見もある。いろんなものをひっくるめて、どういう本にしたいかを考えることですね」
電子書籍が普及した現代、紙の本を買いたいと思えるような造本にも向き合う。部屋に置いて可愛いことや、表紙を並べたくなる装丁にするのも大切な要素だ。
「発売初日から電子も選べるようになっている今、それでも紙を買ってくれる人は造本が好きな人だと思うんですよ。電子の方がいいものも絶対あるし、その時々で使い分けてもらえればいい」
小説とイラストや写真をつなぐ
大久保さんの手がけた本には、様々なイラストレーターや写真家の作品が起用されている。作家・川上未映子さんの芥川賞受賞作『乳と卵』は、赤色と線画から生まれるコントラストが鮮やかだ。
「吉崎恵理さんのオリジナル作品なんですけど、雑誌の展覧会のお知らせページに小さく載った絵を見て、『これは良いのでは?』と思ったひとつで。いくつか候補があって、川上さんに見ていただいて決まりました。純文学、とくに芥川賞はわりと説明的じゃない絵が多いので、オリジナルの絵をお借りすることが多いですね。距離感があって、でも何となく小説世界を表している」
一方、作家・三浦しをんさんの『まほろ駅前多田便利軒』は、写真から組まれたものだ。直木賞を受賞し、のちに映画やドラマ、漫画化もされる人気シリーズとなった。
大久保さんは、「『まほろ』は、町田が舞台なので写真家さんに撮り下ろしてもらって。最初は、中にあるこういうものを撮ってもらっていたんですよ」と、カバーをめくって表紙を見せてくれた。
すると、赤いりんごに煙草をあしらったカバーの写真とは、まったく趣が異なる風景が現れた。
「最終的に、写真家さんが家で撮ってくれた写真が、可愛くて強くて。今だったらこんなタバコの写真が許されるのかと思いますけど(笑)。前康輔さんという写真家ですが、このシリーズで彼の存在はすごく大きいです」
ブックデザイン賞受賞“箱入り”小説
2008年に刊行された川上弘美さんの『真鶴』は、朱色のタイトルが目を引く箱入りの装丁だ。大久保さんにとっては、講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞した思い出深い作品でもある。
『真鶴』は、川上さんの意向で、故・高島野十郎さんの絵画を使うことになり、編集サイドの希望で箱に入れることになったという。
「最初は、高島さんの別の作品が箱に印刷されている案があったんですけど、川上さんが『箱は文字だけでいいんじゃないか』とおっしゃって。それで帯がなくて文字だけだったら、すごく良い本ができそうな気がする、と編集者に言いました。帯を付けない本は滅多にないんですが。箱に絵をあしらったときは、小さめに四角く純文学っぽい感じで入っていたんですけど、箱を文字にしたから表紙がこの絵になったんです」
背がない「トンネル箱」は、通常の箱よりも費用がかかる。さらに、板紙に紙を貼る「貼り箱」のため、もう一工程が加わっている。
「板紙に直接印刷する方が安いんですが、貼り箱は紙も選べて、日持ちも、品質もいい。帯がないので、(天地をはみ出して)ここまで刷れて、ちょっと立体的になる。この本は、いろんな良さがあるし、色もすごく好きな感じです」
『真鶴』を見返した大久保さんは、「センター揃いの強さがありますね」とつぶやいた。
250万部突破、大ベストセラーができるまで
多くの人の記憶に残る、時代を象徴する作品を生み出すのも、装丁家の醍醐味のひとつだろう。村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、大久保さんにとって初めて100万部を超えた一冊だ。
お笑い芸人で作家の又吉直樹さんの『火花』 。芥川賞を受賞し、単行本だけで250万部を超える国民的ベストセラーとなった作品も、大久保さんが装丁を手がけている。
当初、『火花』のカバー案は、もっと静かな文芸っぽいデザインだったそうだ。大久保さんは、ピンときていなかった又吉さんの反応をふまえ、「第2弾はもっと強いものを持っていった」と話す。アーティストの西川美穂氏の作品は編集者が選び、タイトルの書体も決まり、又吉さんも「これがいい」とうなずいたという。
「私がやった本の中で、日本で知ってくれている人が一番多いんだろうな。子どもの学校で、『火花』をやった人、と言われたくらい(笑)。今後そんな作品はないんじゃないかな」。そういって大久保さんは微笑んだ。
「宗教画」を装画に選んだ渾身のフィクション
作家・姫野カオルコさんの『彼女は頭が悪いから』は、2016年に起きた東大生5人による強制わいせつ事件を元にしたフィクションだ。臭気が漂ってくるような迫力のある装丁だが、あの小説からこの装丁を生み出すのは簡単なことではないだろう。
「私自身、高校生の娘の母親でもあり、編集者から内容を聞いたときに、読むのがつらいと思ったんですけど、読み出すとすごい筆力があって。あっという間に読み終えたので、これはきっと広く読まれるだろう、と」
編集者が発した「宗教画」というキーワードで、大久保さんはこの装画と出会った。
「まずタイトルが強い。このタイトルだけで読めない人もいるだろうし、どうしようかなと思っていたときに、編集者が『宗教画とか…』といったんです。あ、それはいいかも、と色々探したところ、(19世紀のイギリスの画家)ジョン・エヴァレット・ミレイのこの絵が目に止まりました。絵の説明を読んだら、豊かな領主の息子、木こりの娘……内容にも絶妙に合っていたので、いろんな意味でハマりましたね」
カバーだけではない装丁のこだわり
大久保さんは、カバーに隠れた表紙をデザインする時間も大切にしている。
「カバーはやっぱり広告的なところもあるんですけど、表紙はデザインだけでやっていいところなので楽しいですね。カバーを取って、表紙で読む人も結構いるみたいなので、電車で読んでいても恥ずかしくないような、趣味のいい表紙を作りたいと思います」
そして、花切(背の接着面に貼り付けた布)やしおりを決めるのも好きだと教えてくれた。
「花切としおりは、最後に私が選ぶもの。案外みんな見てくれているみたいで、『しおりの色が可愛い』って感想もあります。私、しおりがすごく好きなんですよ」
装丁家として紙の本を作りつづけること
大久保さんは、装丁の仕事の魅力を「丁度いい」と表現する。
「手に持てる感じと、何層にもなっているのが丁度いい。椅子を作るようなプロダクト的なデザインはできないし。広告の大きなグラフィックとかよりも、このサイズのパッケージ感が楽しい。さらに中から来るもので作るというのが自分には合っている。多分、小説を読むのが好きだから」
「カバーがあって、表紙があって、見返しがあって、扉があって、みたいな紙の本の作りが好きなんです。紙の質感や匂いもありますけど。最後にまた見返しがあって、前後で違う表紙を見て、裏表紙で『うん』という感覚。そういう流れが好きなんです」
気づけば四半世紀に渡る装丁の日々。「一冊一冊、アイデアが浮かばないときもあった」と振り返る。それでも続けられたのは、「一冊一冊違うから、飽きずにやってこられているんだろうな」と微笑んだ。
紙の本だからこそ生まれる読書の体験を、その価値を、大久保さんはこれからも創りだしていく。多くの人の記憶と本棚を彩りながら。