- 山の人魚と虚ろの王(山尾悠子、国書刊行会)
- テスカトリポカ(佐藤究、KADOKAWA)
- 氷室の華(篠たまき、朝日文庫)
「いま、ここでない、どこかへ。この世の外なら、どこへでも!」――そう、逃げろ、逃げろ、逃げろ!
きわめて技巧的なダンス演目の掛け声にも似て、通奏低音さながら轟(とどろ)きわたる、ひとつの強固なる意志。それは本来、ありとあらゆる切なる幻想文学に共通した衝動ではなかったろうか。『山の人魚と虚(うつ)ろの王』……「団の代表作ですの、昔からのね」……やまのにんぎょとうつろのおう……繰り返し唱えていると、どことなく筆名のアナグラムにも思えてくるシンボリックなタイトル……これは「新婚旅行の回想」などという世間一般の甘やかな通念とは相異なる、この(風変わりな)新婚カップルの慣れ親しんだ「夜の宮殿」をめぐるデルヴォー風の地獄下り(絶えざる移動と通過)の記録文書ではなかろうか。
今からちょうど五十年前、腹を捌(さば)いて死んだ男と、狂気に斃(たお)れた舞踏家の物語の、ささやかな追憶と……。ええ、びんがびんが。
メキシコからアメリカへ、アメリカからメキシコへ、そしてさらなる東南アジア、黄金郷(ジャパン)へ――越境への熾烈(しれつ)な誘惑。同じ小説の一章かと見紛(みまが)うばかりに違和感がない……。要注目の逸材・佐藤究『テスカトリポカ』を濡(ぬ)れ濡れと浸しているのも、アステカ王国の栄光を今に受け継ぐ暴力=血まみれの生贄(いけにえ)だ。
暗黒の資本主義(ダークキャピタリズム)。われらは彼の奴隷。「祈りが終わり、四人が目を開けると、血に濡れた黒曜石のナイフが日を浴びてきらめいていた。黒い氷のようで、怖(おそ)ろしい眺めだった」……「黒い氷」……新鋭・篠たまきの長篇(ちょうへん)『氷室の華』の核心部には、「氷室」と呼ばれる北陸では知られているが関東方面では奇異な習俗がある。夏でも氷点下となる凍(い)てついた洞穴内に氷を持ち込んで、溶けないように工夫されたものだ。
氷室の魅力――一人の少年の人生を深く魅了し呪縛する呪いに魅せられたる土地、たいそうエロティックな「氷室守り」をめぐる謎、手に水搔きのある女性、繁茂する植物群に魅せられた廃村……さまざまな「躓(つまず)きの石」が、この静かなるホラーミステリーの随処(ずいしょ)に仕掛けられ、作中の人々の人生を酷薄に変えてしまう……。
一見すると全く趣の異なる三つの物語には、一読、読むものの魂を凍り尽かせるような、恐ろしき謎が秘められており、またそれゆえにこそ、「その先」は? と、読むものに向かって、闇雲(やみくも)にページを繰らせるのである。優れた幻想文学系ミステリーにとって、欠くべからざる絶対条件。虚無の子たち。=朝日新聞2021年3月24日掲載