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滝沢カレンの「ゴリオ爺さん」の一歩先へ

撮影:斎藤卓行

ここはパリ。
社交界が盛んな時代だ。

パリの夜はそれはそれは美しく、それを強調させるようにエッフェル塔はいつだって人々の笑顔を見下ろすほど凛と立ちすくんでいた。

僕の名前は、ラッセル。
18年間パリの下町住まいだ。

でもいつだって憧れは、悩み事など言葉にないように楽しそうで、星を集めたように煌びやかな社交界だ。

僕は夢みていた。

僕が住む下宿先は15歳の時からパリ中を清掃することを約束して面倒をみてもらっている、「ダランツッテ」という小さな小さなアパートだ。
そこには他数人が寝泊まりしている。

僕の下には通称ゴリオ爺さんが住んでいた。
ゴリラとオカメインコを合わせたような爺さんだった。

なにか困ったら、ゴリオ爺さんに聞いてもらったり、寂しい時はゴリオ爺さんの楽しい歴史話を聞いて助けられていた。

そんなある日。

今日もまだエッフェル塔すら起きていない時間から清掃は幕を開けていた。

「ゴリオ爺さん、どうやったらあの城での社交界に出れるかなぁ?」

ゴリオ爺さんはいつもどおりオウムさながらの目つきをキョロキョロさせながら考えていた。
「社交界に行きたいのかい?」

「そりゃそうさ。僕だって華やかな世界に仲間入りしたいよ。ゴリオ爺さんは思わないの?」
「はははっ。まぁ思わなくもないけどな。きっと私じゃいけないだろう」

その言葉をわざわざ気にも留めずに、僕は被せた。
「なんか方法はないかな?」

「そんなに行きたいなら今日エッフェル塔に行ってみなさい」
「え? どうして?」

「毎日、日が暮れ始めるとお嬢様に似合う青年を探して家来たちが見つけては、社交界に招くんだよ。まぁもちろん星屑のような中から連れてってもらえるのは雀の涙程度だがな」
「そんなこと知らなかったよ! ゴリオ爺さんはさすが何でも知ってるなぁ! 僕今日さっそくエッフェル塔に日が暮れるまえに行ってみるよ」

僕は夢が足元まで歩いてきたかのように嬉しかった。

「あぁ。そうだな。ここからだと歩いて3時間はかかるから、14時には出なさい」
「ありがとう! ゴリオ爺さん!」

僕は張り切って掃除に熱中した。
終わりに楽しみが待ってるなんて、仕事がめちゃくちゃ捗って仕方なかった。

「毎日こんなに掃除が楽しかったら、仕事も楽しいのになあ」
僕はついつい口に溢れる言葉を踊らせてしまった。

「よかったな。でもラッセル、まだ選ばれてもないんだから、あまり浮かれすぎるなよ。行けなかったとき悲しいだろう」

ゴリオ爺さんはたまにゴリラみたいに優しい言葉をかけてくれたりもする。
だから大好きだ。

「でももう選ばれることしか考えられないよ」
浮かれポンチな僕はそこにいた。

ゴリオ爺さんが唯一持っていた細身なスーツに、赤が色っぽい蝶ネクタイを貸してくれた。

「ゴリオ爺さん、なんでこんな細いスーツがあるの? 昔は背も高くて、細かったの?」
いまのゴリオ爺さんから想像がつかなかったんだ。

ゴリオ爺さんは、身長は150cmくらいで身体は岩のように丸い。
そんな爺さんがまさかこのスーツを着ていたなんて、いくら40年前の姿だとしたって想像はつかなかった。

「まぁな。ラッセルに貸す日がくるとはな。着てくれてスーツも喜ぶよ。それにしてもラッセルは見違えるようにかっこいい」
爺さんはさりげなく会話に蓋をしたように思えた。

そして、爺さんに借りたスーツを着てポマードで整頓された頭髪を武器に、キレッキレの僕が、エッフェル塔にいた。

日は暮れそうな時間だ。

「いや〜ドキドキする。一体どこから見られてるんだろう」
自信をつけた僕はいつもより胸を張って、あたりをフラついた。

すると一人のプリンのようなお腹を自慢気に揺らしたおじさん男が近寄ってきた。

「貴方は、ここらへんの方ですか?」
プリンおじさんは僕に話しかけてきた。

僕は聞かなくたってこの人が社交界に直通してる人だとわかった。

「は、はい。そうです」

そして僕はとっさに嘘をついてしまった。
胸の中でしまったと思いながらも、パリの下町なんて言ったら、このビッグチャンスを逃してしまうんじゃないか、とそう思った。

「是非、本日行われる社交界にいらしてください」

予想が当たった。

嬉しくて嬉しくて僕は胸の中でジャンピングバク宙をした。

「こちらこそ、ぜ、ぜひ、行かせていただきます」
「では、あのエッフェル塔の次に目立っている、レマンド城にて行われますので今からご案内させてください」

「よろしくお願いします!」
僕はカチカチに緊張したせいで裏声になってしまった。

プリンおじさんについていくと、そこには朝方の景色しか見た事がなかった僕からしたら、違う星に来たかのような光眩しいお城に目を痛めた。

「すごくすごく綺麗・・・・・・」

頭では何度も何度も想像してシミュレーションしていたはずなのに、いざ目の前に来ると夢だった世界は想像していたよりずっと偉大だった。

「そうでしょう。ここはパリの中でも一番を誇るお城ですからね。たくさんの外国からのお客様もいらっしゃいます」

「ここに今日入れるのか」
もう言葉が出たいのに出たいのに、出なくなるほどだ。

「では、中へどうぞ」

言われるがままに城の中に入ると、そこにはさらに未知なる世界が広がっていた。

至る所に、ちょっとした一口食べ物やドリンクを揃えてタキシード姿のイケメン男たちが立っている。
マダムたちが楽しそうに会話していたり、若いお嬢さんたちはケラケラ笑いながらあらゆる男性とお酒を交わしている。

でも一貫して、みんな上品だ。
香りからして姿勢の良さそうな香りがする。

僕は浮いてないかとにかく不安だった。

「では、本日はお楽しみください」
そういうとプリン男は去っていった。

「楽しむっつったってなぁ」
僕は嬉しいのにいざ社交場に来ると動きが鈍くなる自分に心底恥を知った。

「よし、とりあえず当たり前な顔して歩くか」

どこからどうみたって僕は貧乏貴族。
いや、貴族のフリを精一杯している貧乏人だ。

でも今日だけは、この城の中にいる時間だけは、全てを忘れて貴族になれる気もした。

豊かなクラシック音楽に包まれながら、みんなは踊ったり、話したり楽しそうだ。
僕も溶け込みたい、と思い辺りを見渡した。

「ん?」

僕の目に留まったのは、隅の小階段で立ち尽くした切ない顔をした一人のお嬢さんだった。
切ない表情を見事絵のようにするほどの、美しい顔と、シルクのような肌の艶は、離れていても気付けた。

僕は一直線に向かった。

「退屈なのですか?」
勇気を振り絞って僕はなけなしの声をかけた。

「え? 君は?」
振り向いた彼女は遠くから見るよりずっと美しく、僕は緊張で変な汗をかきながら答えた。

「僕は、ラッセル。今日初めてこちらに来ました」
「やっぱりそうよね。見ない顔だね。ねぇ、これって・・・・・・」

「あ、え? へ、あ?」

急に僕に近づき蝶ネクタイを触ってきたお嬢さん。
ついつい僕は散らかった声を出してしまった。

「この蝶ネクタイ・・・・・・この蝶ネクタイどうしたの?」
「え? これはー・・・・・・一個下に住むおじさんに貸してもらったんだ」

なんだか借りたなんて恥ずかしかったから、僕は一瞬嘘をつこうとしたが、なんだかすぐバレてしまいそうなほど真っ直ぐした目を見ると言えなかった。

「え? おじさん・・・・・・」

彼女は少しハッとした顔で何かを考えていた。

「私をそこに連れてって」

「え? 何をおっしゃってるんですか」
彼女の爆弾発言に嬉しい気持ちと滅相もない気持ちが入り混じった。

「いいから。ここから連れ出して」

その強い眼と、強い口調に、何かを断れなくなり僕はそのまま名も知らない彼女を連れ、走って城を出た。

絵:岡田千晶

パリの夜を駆ける2人。

きっとキラキラしているにちがいない。

と僕は客観的な絵をえがいていた。

人が愕然といなくなるほど下町にやってきてようやく走るのをやめた。

「はぁはぁはぁはぁはぁ。大丈夫ですか?」
息切れが忙しない僕は必死に言葉をかけた。

「はぁはぁはぁ。えぇ、大丈夫。もう少し?」
「あ、いえ。まだあと45分ほど歩いたら僕の住んでるトコに着きます」
「なかなか遠いな。君、お仕事は何してるの?」

彼女は社交界にいる割には言葉遣いが雑だった。
顔が綺麗なだけに、言葉が荒く違和感を僕はその時覚えた。

「僕は、まぁ言いたくないけどどうせ家を見られるならバレるだろうから話しますけど、パリの清掃をしています」
「パリの清掃?笑 なにそれ。聞いたこともみたこともないよ」

「そりゃそうです。皆さんが寝静まったあと清掃して起きた頃には終わっていますから」
「へぇ。すごいえらいんだね。私、あの城から出たことなくてね。外を忘れかけてた」

「え? なぜですか?」
「外には出るなって約束があって。ずっと長いあいだあの城にいたんだ。でも君と今日会って君が連れ出してくれたからやっと出れた」

「でも出ちゃダメなら、誰かに怒られたりしないのですか」
「今までは外に出る理由もなかった。だからきっと私は出ないって周りの人も安心しきってるはず。多分バレていないでしょ」

「そうですかね」
「でも何故君は今日社交界へ来たの?」

「僕、社交界に行くのが夢で。で、この蝶ネクタイをかしてくれたおじさんに教えてもらったんです。エッフェル塔に行けば毎日社交界に相応しい男性を選びに来てる城の者がいるから行ってみたら、ってね」

「へぇ。そうだったんだ。そのおじさんは? 何でこなかったの?」
「それは・・・・・・わかりませんが、誘わなかったからですかね」

僕は考えていなかった。
ゴリオ爺さんとくればよかったことを。

「その人とはいつから一緒の場所に住んでいるの?」
「んーもう僕が生まれた時からずっといますよ。いつもお父さんみたいに優しくて、楽しい話や怖い話をたくさんしてくれるんです」

「君は何故そこに住んでるの?」
「僕生まれた時母親が育てられないってなって、いま暮らしてる場所に引き渡されたんです。そこがパリの清掃会社の社長さんが持ってるアパートで。どうやら、母親と社長さんは仲良かったみたいです。でも社長さんはすごく僕を大切に育ててくれたんです。社長さんと仲良かったからこの蝶ネクタイのおじさんも僕とたくさん遊んでくれました」

「そうだったんだ。君も大変だったんだ」
「でも楽しいですよ。何不自由はありません。ちなみに、貴方のお名前は?」

勇気を振り絞って名前を聞いた。

「あぁ、ごめんなさい。私はマヤ。よろしくね」
「マヤさん。いい名前ですね」

「大好きな父さんが付けてくれた大切な名前よ」
「そうなんですね」

僕はそれ以上は聞けなかった。
マヤから漂う空気は只事ではない気がしたからだ。

でもこの時、結局後に知ることになるとは考えてもいなかった。
僕は。

誰もいない草に囲まれた一本道を話しながら歩き、あっという間に45分が経ち、ようやく僕がすむ下宿先についた。
パリと言えないほど木と草に見守られてる場所だ。

「着きましたよ。ここが僕の家ですが・・・・・・なぜここに来たかったんでしたっけ」
冷静によくわからない状況だった。

「あ、ここね。えーっと、いやどんな暮らしなのか気になったし、まぁあと、その蝶ネクタイ可愛いから誰から借りたのかなぁとか?」

マヤは急に言葉が散らかり始めた。
焦っているようにも、困っているようにも見えた。

「あ、じゃあゴリオ爺さんに挨拶しますか」
「え? ゴリオ爺さん?」

「あ、この蝶ネクタイを貸してくれたおじさんのあだ名です。社長はいま全然違う場所に暮らしてるのでいないんです」
「あぁ」

マヤはとにかく目をキョロキョロさせ辺りを気にしていた。

コンコンコン

「ゴリオ爺さん? 起きてるー? 僕だよラッセル」
「こんな時間だから寝てないといいけど」

すると中から「はいはい、ラッセルか? ちょっと待ってなさい」とゴリオ爺さんの声だ。

「あぁ、起きていました」
「あ、よかったね」

しばらくすると、ゴリオ爺さんは出てきた。
「おぉ、帰ったか。どうだい? 社交界には無事、行け・・・・・・」

ゴリオ爺さんは固まった。

それはマヤの存在に気付いた瞬間だった。

マヤの方を向くと、マヤも同じ表情をしていた。

僕は訳がわからないながらも、なんだか二人に繋がりがあることは確実にわかった。
マヤは涙をたくさんたくさん目にためて、今にも崩れ落ちそうだ。

「マヤかい?」

ゴリオ爺さんはマヤの方に、一歩、また一歩と歩みを進めた。

「やっぱり。パパなの?」

!?!?

僕は声に今にも出そうになる驚きを両手でおさえた。

まさか、パパ?

ありえない。

ゴリオ爺さんが。

マヤのパパだんて。

いくらなんでもそれは信じられない。

僕は胸のなかでこれでもかと言葉が剥き出しになっていた。

でもゴリオ爺さんも同じく涙を浮かべていた。
それが答えのように思えた。

「こんな姿に・・・・・・。なんで。私のせいで? パパ。会いたかった。本当にもう会えないって思ってたから」
「マヤ。パパも心の底から会いたかった。何度も会いに行こうと思った。でもマヤの身に危険が起こることが一番怖かったから、遠くからマヤを考えることしかできなくて・・・・・・」

2人は強く強く抱き合っていた。

鼻をすすりながら、ゴリオ爺さんは僕を見た。

「ごめんな、ラッセル。訳がわからないよな。説明するから部屋に入りなさい」
そう言うと、ゴリオ爺さんは部屋の中にマヤと僕をいれて、僕をソファに座らせた。

「まず、何から話したらいいか。ラッセルはきっと生まれた時からここに僕がいるから変な感覚だとは思うんだが。僕はね、実は今日行った城、レマンド城の王だったんだよ」

「え?! ゴリオ爺さんいくら何でもそんな嘘無理があるんじゃ」
僕はあまりの言葉に信じれなかった。

でもそんな僕にマヤがまっすぐな目で言ってきた。
「嘘じゃないわ。信じられないかもしれないけど、100%本当なの。パパはレマンド城の王様なのよ」

「じゃあなんで? こんな場所に?」
「そう思うだろう? 色々あったんだ。まぁ余計に嘘みたいに思うだろうが、私が恋をしてしまったのは魔女だったんだ。つまり僕の妻、そしてマヤのママだ」

「魔女に?」

「そう。もちろん周囲は魔女との結婚は大反対。誰一人味方はいなかったよ。でも魔女と言ったってみんなが思う怖い魔女じゃなくてね、とっても優しくてとっても愛のある珍しい魔女だった。ミヤと言う名でね、美しい女性にしか見えなかった」

「マヤも美しいもんね。お母さん譲りなのかな」
僕は必死に話の中に入ろうとした。

「でもパパもすごくすごくかっこいいんだよ」とマヤがいった。
「え? ゴリオ爺さんが?笑」

僕の見えてるゴリオ爺さんはたしかに優しい。
性格はかっこいい。
でも顔はかっこいいとはいい難い。

ゴリオ爺さんは話を続けた。

「続きがあって、そんな魔女のミヤと結婚し、マヤを授かったことを周囲は許さなかった。もちろん僕たち3人は幸せだった。そして城の者たちはマヤが魔女との子だというのを隠そうと必死だった。マヤはそのとき5才だった。だから美しくまだ幼いマヤだけが城に残り、ミヤは魔女のルールを破ったとされ魔女たちに殺された。そして僕は魔女たちにこんな姿にされ、城から一番離れたここから出ないように命じられた」

「でもおじさんは王なんだから、反発できるじゃないか! 命令なんて」
「ラッセル、君の言う通りかもしれない。でもね、僕が城に残るならマヤを殺すと言われた。だから僕が出ていくしか道はなかった。マヤは決して城を出ずに、そして家族の話をしたらマヤも僕も殺されてしまうと怯え続けていたはずだ」

「え。殺される? マヤさんは何にも悪くないのに?」
「レマンド城の悪な部分よ。みんな煌びやかな世界に憧れる。でも裏はとっても怖いの。城のイメージがパリの命の根でもあるから、私は城が大嫌い。パリが大嫌い」

ゴリオ爺さんは寂しそうな眼でマヤを見つめていた。

「マヤにこんな思いをさせてしまった僕が全ての責任だ」
「でもおじさん、マヤがここに来たことがバレたら大変なことになるんじゃ? どうする?」

僕は未来への恐怖が襲ってきた。
マヤにもゴリオ爺さんにも最悪な状況だ。

「私もう城には帰りたくない。パパとずっと一緒にいたい!」
「マヤ。パパもだよ。もうマヤを離したくない」
「僕も協力する! だから何か方法を考えよう」

そして3人は城から身を守るために、作戦を考えた。

「まず、ゴリオ爺さんの魔法は解けるのかな? マヤさんは魔法は使えるんですか?」
「私は使えないの。元々ママも魔法使いだったくせに魔法を使うような人ではなくてね。だから私も魔法は全くよ」

「そうですかぁ。じゃあ魔法を解くより、城からバレない方法を考えよう」
3人は夜も忘れて作戦を練った。

そして、朝になった。

疲れ果てて昨夜は気付いたらみんな寝てしまっていた。

「パパ、ラッセル、おはよう」

起きるとマヤが美味しそうな朝食を作ってくれていた。
昨日の高そうなドレスとは打って変わってカジュアルな格好もまた似合っていた。

「私朝色々考えたんだけどね。わたし、パパとたくさん過ごしたかった時間や行きたかった場所があるから、作戦考えながらでもいいからパパと思い出を作りたい。だからラッセルもよかったら一緒に行こうよ!」

そこには無邪気に笑うマヤがいた。

そうだ、マヤだってまだ23歳。
パパと過ごせていなかった分、たくさんの思い出を作りたいに決まっている。

「それはいいですね! 僕は2人がいいならぜひ行きたいです!」

ゴリオ爺さんもすごく幸せそうに頷きながら笑っていた。

「どこへ行こうか」
そう尋ねるゴリオ爺さんはまるで父親の顔だ。

「私ね、パパとプロバンスに行きたいの。あの小さいとき読んでくれた、絵本にラベンダー畑があったでしょ? あそこへ行きたい」

マヤはまるで小学生のような笑顔でゴリオ爺さんと話していた。

「よし、行こう。もう一緒なら何も怖くないからな。ラッセルも行こうな」
「あ、うん! 行こう、行こう」

そうして、僕らはパリから離れてプロバンス地方にいくことになった。

きっと今頃レマンド城では、マヤの捜索に騒がしいはずだ。
パリを出てしまうのはいい作戦かもしれないと僕は思っていた。

そして3人は車でプロバンスへと向かった。

結構な距離があったが、ゴリオ爺さんとマヤは一瞬も静まることなく積もりに積もった話を止めどなく話していた。

僕は2人の思い出話を聞いてるだけで楽しかった。
2人の話を聞きながら僕はいつの間にか寝てしまっていた。

どれくらい寝ていただろう。
目を瞑っていても眩しさが伝わる光に僕は、目を覚ました。

そこに映るのは目に収まらないほどの、目が二つじゃおしいほどの、紫の世界が広がっていた。

右も左も前も後ろも、優しく強い紫のラベンダー畑が広がっていた。

僕は呼吸の仕方がわからなくなるほどに、時間が止まったように見惚れた。

でも次の瞬間。
僕の目に映った。
太陽の反射で見えていなかった影が。

そこには、マヤとゴリオ爺さんの姿。
僕はすぐにわかった、あれがゴリオ爺さんだって。

だってそこにいたゴリオ爺さんは見違えるほどに身長が高くて誰もが振り向くほどの整った顔、髪は金髪でサラサラだった。
間違いなくマヤのお父さんだ。

愛しそうに、ゴリオ爺さんはマヤを見つめていた。

僕が見た事のない姿。
でも、この姿が真実なんだろう。
疑いも驚きも不思議としなかった。

マヤと出会い、本当のゴリオ爺さんの姿を僕は知れた。

マヤはゴリオ爺さんに抱きつくと、2人はラベンダー畑を手を繋いで走っていった。

ラベンダーより太陽より眩しくて美しい親子の姿を見た。

僕の目には涙が溢れていた。
誰にもこの景色を邪魔されたくなかった。
永遠にこの2人の幸せを僕は願う。

「僕が、守るよ」

(編集部より)本当はこんな物語です!

 バルザックの描くゴリオさんは、製麺業で財をなした実業家でした。かつては上等な麻のシャツにブルーの燕尾服が普段着で、女たちからうっとりと眺められるほどの伊達男だったのが、いまや安下宿でしみったれた生活をするようになり、ゴリオ爺さんとさげすみを込めて呼ばれるようになっています。この下宿には、立身出世に野心を抱くラスティニャックという法律を学ぶ大学生がいます。彼は出世の糸口をつかもうと、つてをたどってパリの社交界に入り込み、銀行家や名門貴族に嫁いだゴリオ爺さんの娘たちと出会います。ゴリオ爺さんは2人の娘を溺愛するあまり、身分違いの結婚をさせ、財産のほとんどを娘たちに与え続けている。それを知ったラスティニャックは、ゴリオ爺さんに敬意を抱き、親しくなります。しかし、ゴリオ爺さんの父性愛に対して娘たちは……。

 バルザックを代表する長編で、新訳が次々に出ていることもあり、読みやすい作品です。海外文学を楽しむときの壁になるのが登場人物の名前です。ラスコーリニコフ(ドストエフスキー『罪と罰』)とか、ミカエル・ブルムクヴィスト(スティーグ・ラーソン「ミレニアム」シリーズ)とか、なじみの薄い名前はなかなか頭にはいってきません。一方、ゴリオ爺さんのように日本語からの連想がしやすいと、カレンさんのようにイメージの妄想が止まらなくなってしまうのかもしれません。