2015年に3カ月ほど、韓国に留学した。色々なことに嫌気がさし、半ば逃げるようにして向かったのは、忠清南道の公州だった。理由は学費が安かったことと、朝鮮半島にルーツを持つ者が対象の教育機関があったことだ。かなりの田舎町で毎日退屈だったけれど、カザフスタンやウズベキスタンなど、中央アジア諸国からの留学生と出会えたのは何よりの収穫だった。
帰国後は「カレイスキー(高麗人)」と呼ばれる彼ら彼女らについて書くことが、新たな目標となった。しかし資金がないとか、時間がないとか言い訳をしているうちにコロナ禍が地球を襲い、もはや資金があっても時間があっても行けなくなってしまった――。
「旅の本屋のまど」店主の川田正和さんに初めて会った時、私はこんな話を一気にしてしまった。店名に「旅の本屋」とつくのを見ても分かる通り、同店は国内外の紀行や文化、料理など、旅をテーマにした本を扱う専門書店だったからだ。川田さんはまくしたてる私の言葉を、ただ静かに耳を傾けて聞いてくれた。
「深夜特急」にあこがれた20代
「全米トップ40研究会」という音楽サークルに入っていた川田さんの大学時代は、世の中がバブル景気に浮かれていた頃だった。横浜で生まれ香川で育った川田さんは大学入学のために上京し、文学部史学地理学科地理学専攻に通っていたという。
「元々、地理と英語が好きでどちらにするか悩んだのですが、地理を選びました。気候や地形などを学ぶ自然地理は理系になるのですが、自分は歴史や都市のあらましを学ぶ人文地理が専門でした。卒業後は旅行や旅に関する仕事ができたらいいなと思っていたのですが、方向性を決めかねていたので、あえて就職活動をしなかったんです」
4年で卒業してバイトをしようと思っていたものの、海外に興味を持つきっかけとなった、沢木耕太郎の『深夜特急』(新潮社)に憧れてライターになろうかと思ったり、紀行ものが得意な映像制作会社を受けたりしていた。1年留年したのち地図製作をメインに手掛ける、とある出版社に作用された。
「その会社は地図製作と書籍編集に分かれていて、書籍を希望していたのですが地図製作に配属されてしまって。どうしても興味を持てず、2カ月で退社してしまいました」
案の定、「辞めたいと言ったら上司からメチャクチャ非難された」と回想する川田さんは、退社後はアルバイトをしては旅行に行きを繰り返していたが、28歳の時にリブロで働くことになったそうだ。
「それまで編プロでのアルバイトなど色々していたのですが、全て決め手に欠けていました。ワーキングホリデーかJICAボランティアをしようかと考えていた時に、初めての海外旅行で行ったアメリカでの出合いを思い出したんです」
大学3年生の時に2カ月かけてアメリカ大陸を横断した川田さんは、ニューヨークのイーストビレッジで旅行専門の本屋に立ち寄った。「旅の専門書店ってものがあるんだ!」と感銘を受け、以来パリやロンドン、バリ島などでも旅行専門の本屋を訪ねて回った。
「そうだ、旅行本屋を始めてみよう」
とは思ったものの、どうしたらいいか分からなかった川田さんは、永江朗さんの『菊地君の本屋 ヴィレッジヴァンガード物語』(アルメディア)や、早川義夫さんの『ぼくは本屋のおやじさん』(ちくま文庫)などを読み漁った。次に神保町のアジア専門書店「アジア文庫」(現在は内山書店の中にある)の当時の店長、故・大野信一さんに「働かせて欲しい」と打診した。
「大野さんは喫茶店に連れて行ってくれて、そこで『うちで雇う余裕はないが、まずは総合書店で働いて経験を積んだ方がいい』と言ったんです。ちょうどリブロが契約社員を募集していたので、応募することにしました」
もとはHIS店内の書店だった
リブロでは東池袋店や駒沢店などで働いていたが、気が付くとあっという間に7年が経ち、川田さんは35歳になっていた。「そろそろ動かないと」と思ったのと、リブロ側の人員整理が重なったタイミングで、吉祥寺にある、時々訪ねていたある本屋のことを思い出した。「旅の本屋のまど」という名前だった。
「久々にホームページを見たら店長を募集していたので、面接を受けて採用されました。実はもう1人店長候補がいたのですが、その人がすぐ辞めてしまったので、自分が店長になりました」
「旅の本屋のまど」は、1996年7月に吉祥寺にオープンしたのが始まりだ。旅行会社HIS吉祥寺店の一角にある本屋で、旅行申し込みついでに海外情報を仕入れたい人に向けて、旅の本を並べていた。同店で川田さんは4年間店長をつとめたが、ある時オーナーが閉店すると言い出した。旅の本屋をやりたくて入ったこと、そして遊牧民の意味を持つ「のまど」という名前が気に入っていたことから、川田さんはオーナーに名前を引き継ぎたいと相談し、OKを得た。
ただ、場所は移転しないとならない。中央線沿線で物件を色々探したものの、ピンとくるものはない。そんな折に西荻窪のハートランドというブックカフェが、居抜きで物件を引き継いでくれる本屋をホームページで募集していたのを見つけた。すぐに電話すると、ここでもOKを得ることができた。
「お客さんに『西荻っぽい店ですね。50年ぐらいやってるんですか?』と聞かれたことがあるんですが、移転オープンしたのは2007年です。西荻窪自体も、それまでほとんど縁がありませんでした」
ほとんど縁がなかった西荻窪だが「いざ店を構えたら個人商店が多いせいか、地元の人たちとゆるくオトナの距離感でつながれる、居心地の良い街だと気付いた」と、川田さんは語る。中央の平台は吉祥寺の店から持ってきたもので、両側の壁の棚はハートランド時代のものを使っている。どこかアンティークな風合いの店内は、これまでにドラマやCMのロケに使われたことがあるそうだ。
旅行に行けない今、旅行記が人気
現在の営業時間は13時から20時(日曜・祝日は19時)までだが、本来は12時から21時まで開けている。西荻窪にはレトロな喫茶店が多く、以前は週末に店巡りついでに寄るお客さんが目立ったが、今は地元の人がメインだ。仕事で帰宅が遅くなっても、21時まで開いててくれるのは何かと助かることだろう。
「コロナで旅行に行けないこともあり、売り上げは以前よりもシビアです。でも旅行に行けないからなのか、旅行記の売り上げは増えているんですよね。かなりマニアックな本の問い合わせも時々あるので、聞かれたものは取り寄せるようにしています」
旅の本屋と銘打っているけれど、ガイド本だけでは単なる旅行コーナーになってしまう。川田さんのそんな思いから、約6000冊の在庫の中にあえて旅行ガイドを入れていない。その一方で韓国文学のコーナーを作るなど、「ここではないどこか」に対する間口が広いのが特徴だ。
「旅といっても、興味の持ち方は色々ですからね」
これまでに50カ国以上を訪れたという川田さんにお客さんが「●●に行こうと思ってるんだけど、行ったことある?」と相談を持ち掛けることもある。それが楽しみのひとつでもあると、川田さんは笑う。
「コロナ禍以前ですけれど、一番最近ではジョージアに行きました」
ジョージアの人たちや食べ物など、川田さんの見たもの出会ったものについての話を聞いていると、どんどんジョージアに行きたい気持ちが高まっていった。
「そういえばカレイスキーといえば、ウスリスクにも韓人博物館がありますよ」
……そんなん聞いたら、ウスリスクにも行きたくなるじゃないですか!
日常の細かな仕事に追われて忘れかけていた夢が、再び熱を帯び始めた。いつか必ず行く日のために、ここで知識を仕入れて色々構想を練っておこう。そして念願のカレイスキー取材ができたら、川田さんに真っ先に話を聞いてもらいたいと思った。
川田さんオススメ、「どこか」の姿が見える本
●『ルポ新大久保』室橋裕和(辰巳出版)
実際に新大久保に暮らすことになった著者が、コリアンタウンから東南アジア、中東など多民族が暮らす移民の街に変貌した新大久保の面白さや問題点を在住者への取材を通して描き出したルポルタージユ。新大久保を知ると日本の未来が見えてくるかも。
●『沖縄島建築 建物と暮らしの記録と記憶』岡本尚文監修・写真(トゥーヴァージンズ)
時代の流れが生み出したさまざまな表情をもつ「沖縄の建築」を通して、沖縄の歴史や人々の暮らしをたどるビジュアル探訪記。琉球、日本、アメリカ等、多様な文化が混ざりあう沖縄の独特な建築物は興味深いです。
●『世界の台所探検』岡根谷実里(青幻舎)
「世界の台所探検家」として活動する著者が、世界16の国と地域を巡り、現地の家庭で料理や食事をした体験を通して感じた食への思いを綴ったエッセイ。普通の人の暮らしが台所を通して垣間見えます。
アクセス
※注:「旅の本屋のまど」は、5月31日まで臨時休業しています。