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フルポン村上の俳句修行・特別編 作家の川上弘美さんと対談「無人島でも俳句作る?」

定期的に行ってみたい句会は?

――まったく肩書の違う人を「俳句」の一点で結ぶという、ある意味で非常に俳句的なことをしてしまいました。お互いご存じでしたか?

村上:偶然なんですけど、(ピースの)又吉(直樹)さんに「これ、おもろいから読んでみ」って川上さんの『真鶴』を紹介してもらって、読み終わったところなんです。

川上:ありがとうございます。

村上:めちゃくちゃおもしろかったです。「おさまっていく天秤の揺れ」みたいな、一つひとつの言葉の描写とか表現がいいなと思って。俳句をされているっていうことの合点がいく感じでしたね。

  ついてくるものは、つまらない。どうでもいいものだ。あってもなくても同じだ。重りののっていない天秤計りのように、自分を感じる。のっていた重りをとりのけられたので、揺れている。どちらの側に重りがのっていたのだか、揺れからはわからない。揺れがおさまってゆくことだけがわかる。すこしだけ、さみしい。『真鶴』(文春文庫)より

川上:私も村上さんの本、すごくおもしろかったです。句会にたくさんいらして、村上さんが変わっていった気がするんですよ。それがとても楽しかった。それぞれの句会の人たちと話すたびに、一つポケットがぱっと開くような感じでした。

村上:俳句自体もそうなんですけど、やっぱり俳句をやってる人たちが自由でおもしろくて。それをたくさんの人に知ってほしいというか、俳句をやってる人とやってない人に分断されるのはなんか違うかな、って思いますね。みんな、好きなバンドを語るみたいな感じで俳句をやってるので。

川上:その通りですね。本当におもしろい人が多いですよね。村上さん、どの句会が印象に残ってます?

村上:北大路翼さんの「屍派」とかは「こういうのもあるんだ」と思いましたし、佐藤文香さんの「小部屋句会」は俳句甲子園でならしてきている技術の上で、じゃあ独自性を出すにはどうする、みたいな戦い方をしていて。どの句会も性格が全然違っていて、すごくおもしろかったですね。

川上:句会ってこんなに違うんだ、って私もあらためて知りました。

村上:季語への向き合い方が結社によって違うから、言い方が正しいかは分からないんですが、「もともと同じ宗教だったのにすごく分派して全然違う」っていう。もう、とんでもない季語至上主義の場所もあれば、季語は大事なんだけど一つのポイントとして扱っているところもあるし。

川上:定期的に行ってみたいな、っていう句会はありました?

村上:阪西敦子さんの「日本橋句会」は、若者同士が言い合うところに「青春があるな」と思って。あとは、無理強いなテーマが宿題として投げられる句会があって、そういう振りが来たときの方がおもしろいものができる気がするなと。

川上:うん、そうなんですよね。俳句って無理無理で作った方が、いい句ができる。私がこの本で一番出てみたいな、って思ったのは「尻子玉俳句会」。むちゃ振りのむちゃの方向がとても好みでした。河童や宇宙人になりきって、妄想で俳句を作る。村上さんの本を読みながら私も思わず作っちゃったんですけど、発表してもいいですか? 「春の宵クローンなのにほくろがない」。これね、自分の属してる「澤」にさっき投句しました(笑)。

好きな季語は?

――川上さんは2020年11月に、好きな季語にまつわるエッセー『わたしの好きな季語』を出版されていますね。村上さんはお読みになっていかがでしたか?

村上:選んでいる季語が食べ物とか、「黴(かび)」とか「ががんぼ」とか、ふつう「きれい」って言わないものにも触れていて、僕もそういうものがすごく好きなのでおもしろかったです。「蚯蚓(みみず)」とか本人たちは「俺、気持ち悪がられてる」って意識なく存在してるから、それをフラットに捉えているのがいいなと思いましたね。結果的にちょっとかっこつけた表現になっちゃったんですけど――いろんな季語が「色鉛筆」に見える感覚でした。100色ある色鉛筆があったら、必要だからその色鉛筆を使うこともあれば、この色が使ってみたいと思って書き始める絵もある。俳句が思いつかないなーっていう時のとっかかりになりますよね。

「好きな季語」で「黴」をあげるとは、また妙な好みで・・・・・・と思われる方も、多いかもしれません。黴が好きな女って、どうなんでしょうと、自分でも思います。でも、黴にはわたし、とってもお世話になったのです。『わたしの好きな季語』(NHK出版)より

川上:100色の色鉛筆、いい比喩ですね! 「この色を使ってみたい」って使うこと、確かにあります。でもまだ使えないのが私、「蛙の目借時(めかりどき)」(=春の陽気にうとうとする眠気)。「卯の花腐(くた)し」(=卯の花が咲く陰暦四月頃に長く降り続く雨)はね、エヴァンゲリヲン俳句(卯の花腐し少年父を憎みえず)というのを以前作ったんです。シンジくんは「卯の花腐し」だなーと思ったんですけど、「蛙の目借時」は作れないな。

村上:蛙が人の目を借りにくるっていうファンタジーが季語として取り入れられてる、っていうのがおもしろいですよね(笑)。

川上:村上さんは俳句を作るとき、好きな季語とか、ついこの季語で作っちゃうっていうのありますか?

村上:最初は「風光る」とか「風花」とか、かっこいいなーと思ってたんですけど、最近は僕、「一月」から「十二月」まで数字の月で全部作りたいんですよね。それで12句並んでたらいいなと思って。

川上:かっこいいですね。全然違う感じでね。

村上:(歳時記をめくりながら)あ、僕、好きな季語ありました。「ベランダ」と「炬燵」。

川上:ベランダって季語なんだ!

村上:夏の季語じゃないですかね。「露台」の傍題で、「屋根がなく風通しのいい場所」ですね。

川上:ベランダにはどんな句があるんですか?

村上:二枚目はベランダで読む手紙かな」って作ったんですけど。

川上:それ、すごくいいですね! どんな手紙なんだろう、って今ものすごくいっぱい考えちゃった。

村上:炬燵もそうですけど、そこに人がセットでいる、っていうのがいいんだよなーと思っちゃうんですよね。

川上:気配がありますよね。猫とか、動物もいるかも。

村上:物語が想像できる俳句が好きなので、そういう景色みたいなものが好きなのかもしれないです。

無人島でも俳句を作る?

川上:俳句は写生が大事とか言われるけれども、村上さんは作る時にどうやって作るんですか? 私自身は写生っぽい俳句って、ほとんど作って来なかったんです。小説家のサガなのか、自分で勝手にお話を作って、その中の一場面を切り取るみたいな、そういう作り方ばっかりしてきたんです。ただ、コロナで家にいて、前よりもっと散歩をするようになったら、最近生まれて初めて、写生で作るようになっちゃった。もう25年以上俳句を作ってきたんですけど、ようやく写生というものをやってますね。

村上:僕は「写生が大事」っていうのをいつも頭に置いておきながら、テーマを与えられて作る時には連想ゲームをしていって、思い付いた言葉からショートストーリーが浮かんだ時に、「その中のどの映像を見せたいかな」っていうことを考えて作る感じですかね。

川上:特に「プレバト!!」とかは「この写真で一句」とか「この風景で一句」というのが多いので、自分でどんどん連想していく作り方になるんでしょうね。あの、お笑いには無調法なのでお聞きするのも申し訳ないと思うんですけれども、ネタってどうやって考えるんですか?

村上:ネタを作るたびに、「どうやって作るんだっけ?」って思うんですけど・・・・・・(笑)。

川上:それ、「小説どうやって書くんですか?」って聞かれても答えられないので分かります(笑)。

村上:ネタとか大喜利とか、やってみるまで正解がないんですよね。いっぱいやっていって、「多分これがウケそう」とか「自分が笑っちゃう」みたいな感覚のものを作っていくしかないんです。それは俳句も同じで、結局正解にはたどり着けないけど、句会とかで「どうやら反応がよさそうだ」っていうものを積み上げていくしかないんじゃないですかね。

川上:私あの、聞いてみたかったんですけど、もし人前でやらないとしたら、お笑いのネタとか考えますか? もう誰にも、どこにも発表するあてがないとして。

村上:それはやらないですね。やっぱり人に見せることが前提ですね、お笑いは。

川上:ですよね。例えば無人島に漂着して一人だったとしたら、そこでお笑いはやる? やらない?

村上:お笑いはやらないと思いますね(笑)。でも、例えばヤシの実が落ちたら「このヤシの実の割れ方がこうだったらちょっとウケるな」とかは、仕事としてじゃなくても、そう考える脳にはもうなっちゃってますね。

川上:脳ね(笑)。それ、おもしろい。確かに俳句も私、句会とか毎月の投句とかがなければ作らないな、って。村上さんの本を読んで、ますますそう思ったんです。読んでくれる人がいないと作らないような気がする。でもね、小説はたぶん、無人島に行って生活が整ったとして、ちょっと時間ができたら書くような気がするんです。

村上:へー!

川上:紙がなかったら頭の中で書く、みたいな。お話を作るとか言葉で何か文章を組み立てるってこと自体が快楽、というところがあって、それだけで充足しちゃうんですよね。日記を書くのと同じかも。日記って、書いただけでなんかうれしいし、デトックス効果がある。だけど俳句はそうじゃなくて、読んでくれる人がいないと。お笑いと俳句はそれで繋がるのかな、とちょっと思ったり。

村上:確かにお笑いって、1回お客さんの前に出して、どんどん直せるといえば直していけるんですよ。俳句もみんな、句会に出したのをあーだこーだ言われて、そこを修正してから他のところに投句したり、賞に出したりする人が多いと思うんですけど。そういう意味では、俳句とお笑いはどんどん出していった方が上手になるし、一つの作品を完成させるのが早いなと思います。

川上:そうそう。小説だと、校閲の人が文章を直してくるとするじゃない。もちろん、 事実関係とか前後関係とか文字が間違ってるという指摘はすごくありがたいんだけど、もしも内容に踏み込んできたり、「この表現は違う表現の方がいいんじゃないですか」とか言ってきたとしたら、すごいカッとすると思うんですよね。

村上:(笑)

川上:ところが俳句って私、いくら添削されても全然平気なんです。なんかそこに、自我と表現形式の関わり方があるのかな、と思ったり。その意味で、俳句ってすごく精神衛生にいい気がする。

俳句のおもしろさは?

――川上さんの小説を読むと、俳句のように言葉の一つひとつが漢字で書くかひらがなで書くかというところまで練り上げられていると感じます。俳句を長く続けている理由や、作家として文章を書く上での影響をどう感じていますか?

川上:私の場合、小説は「書く」っていう行為におぼれてゆく感じなんです。ドールハウスを作るような感じかもしれない。きれいなドールハウスができなくても、作ること自体が楽しい。野菜を育てるのと一緒で、文字を育てて結果的に小説ができる。そこの途中が楽しいので、できあがったものはあまり楽しくないの。でも俳句は、作る途中経過より、できあがったものを人に読んでもらうのがうれしい。句会で誰かが読んでくれると、句が広がりますよね。自分で作ったものよりずっといいものに思えたりするじゃない。

村上:もちろん、小説も読み手のものになるんでしょうけど、俳句は全然違う読みにもなる。句会でたまに、みんながすごくいいものにしてくれちゃって、「そんなつもりなかったのにな」ってときは黙ってますからね(笑)。

川上:句の中に自分の知らなかった自分が隠れているというのを、人が掘り出してくれる感じ。それが俳句なんです。短いから、自分一人で作って、自分だけで「このくらいの価値だ」「このくらいのおもしろさだ」って言ってるとそれで終わっちゃうんですよね。だから、みんなで集まる句会が大切。村上さんがおっしゃったように、自分はこういうつもりだったのに、みんなが違う読み方をしてくれる。しかもいい読み方の場合もあるし、ちょっと違うんじゃない?ってときもあるんだけれど、それでもその人の持っている世界、その人の目で、私が作った句を読んでくれるっていうこと、それが読者なんだ、っていうのが句会に出ることによって、だんだんわかってきた。それで小説を書くときに、読者を信頼して、読者にゆだねることができるようになった気がします。

お互いの俳句の印象は?

――2010年には句集『機嫌のいい犬』(集英社)も出されていますが、俳句を作るときに大切にしていることは?

川上:言葉、それ自体の持ってる「何か」以上にも以下にもしないであげる、って感じかな。自分の思いをある言葉に乗せて作っても、言葉に「わたしはその思いをのせきれません」あるいは反対に「その思いはわたしには役不足」とぶつぶつ思わせてしまうことが結構ある。そうじゃなく、もうその言葉、自分中心じゃなくて言葉中心でいきたいかな、って思っています。

村上:なるほど。川上さんの句集を読ませていただいたんですけど、読んでいて楽しいし、俳句をやってる人がよりいいと思うものもあれば、例えこれが俳句と気づかなくても、その言葉がどこかに飾ってあったら、「なんかいいかも」って目がいくものがありましたね。そういうのがすごく好きなんですよね。

川上:うれしいです!

村上:句集の中の「口笛をくちぶえ追へる新樹かな」とか、その風景を頭の中で結ぼうと思ったらちょっと考えが必要なんですが、「これなんかいいじゃん」っていう感覚っていうのがすごく好きだなと思いますね。

川上:それでいうと村上さんの俳句は、記憶の中の細部、人が見ようとしない細部を見ようとしていたり感じようとしていたりしていると思う。村上さんの俳句を読んでいて、何回も「ああ、私にくらべてなんて繊細な人なんだろう~」って思いました(笑)。きれいな人だなって。繊細っていうと英語の「ナイーブ」みたいな意味が入っちゃうから、うん、「きれい」って言った方がいいかも。

村上:ありがとうございます(笑)。僕は俳句でそれができるのが一番の楽しみかもしれないですね。

川上:だから自分が一番表したいものがきっとあって、それが村上さんの俳句を村上さんらしくしている気がします。村上さんは今後もずっと俳句を作っていかれるんですか?

村上:そうですね、俳句をやってみて、自分に合ってると思いましたね。ずっと続けていきたいです。

川上さん、村上さんの4句

 川上さんの俳句エッセー『わたしの好きな季語』にちなみ、お互いに好きな季語を出し合って、4句ずつ作ってもらいました。川上さんから村上さんへのお題は、対談の内容にちなんで「六月」。村上さんから川上さんへは、好きな食べ物の「辣韮(らっきょう)」というリクエストでした。

《川上弘美さん「辣韮」4句》
剥かぬままの辣韮しづか、もういくね
らっきょ剥くあといくつの街にゆける
弁当に辣韮ここから夜の海
らっきょ噛むきみの背骨を思ひつつ
《村上健志さん「六月」4句》
六月風墓場で思い出し笑い
六月や社殿の隣る公民館
手掴みで齧るラディッシュ六月
六月の風の乾かす絵馬の紐

【俳句修行は次回に続きます!】