教科書やネットの言葉を疑って
――どうして、子どもに向けた哲学の本を出そうと思われたのですか?
哲学というのは、根本にさかのぼって考えることです。大人になると深く考えることの大切さがわかるのですが、日本人は子どもの頃から哲学的な思想を持ったり、深く考えたりする習慣が少ないですよね。これからは、本質にさかのぼらないと解けない社会課題が出てきたり、発想の転換をしないとイノベーションを起こせない時代になってきています。だから、子どもの頃から考える癖をつけてもらおう、と思ってこの本を書きました。
――深く考えるとは、具体的にどうしたらいいですか?
まずは疑問を持つことです。そして、ああでもない、こうでもないといろんな視点で見てまとめていくことが、深く考えることです。逆に、浅くしか考えられない人は、他人の言ったことや教科書に書いてあること、インターネットに書いてあることを鵜呑みにします。何の疑問も持たず、違う見方をしようともせず、人の言ったことをそのまま受け止めるだけ。そこから問いを深めようとしないんです。
――『子どもテツガク』では、「好きってどういうこと?」「しかられた日はどうすればいい?」など、たくさんの問いが続きます。でもそれに対する明快な答えは書いていないので、受け止めるだけの人には、モヤモヤしそうですね。
書かれているのは86の「問い」であって、86の「答え」じゃないんですよ。ひとつの問いに対して4ページ構成で進んでいくのですが、最初の2ページは、問いと絵です。まず「〇〇って何?」というシンプルな問いがある。でもそれだけで、ぱっと答えを出すのは難しいので、後半の2ページはもうちょっと言い方を変えて、ぼくの意見を入れています。「ぼくはこう思うんだけど、どう思う?」って。答えではなく、ここもまだ、問いなんです。でも、人って誰かの意見を受けて、自分なら……と考えますよね。そこを考えてもらいたいと思っています。
この本の中で、子どもに一番考えてほしい問いが「当たり前って何だろう?」ということです。「そんなの当たり前」という言葉は哲学の一番の敵ですからね。大人は常識や世間のしがらみの中で、仕方ないと考えてしまう部分が多いですけど、子どもの世界からは、当たり前という言葉を消したいです。いろんな世界や経験からつきつめて、じゃあ何をするかしないかを自分で考えていけばいいのであって、考える前から当たり前を決めつけるのはよくないですね。
いまある概念が当たり前じゃないことに気づいたときに、人は見方が変わります。そういう経験って子どもなりに何度かあると思うんです。私も、小学生で親が離婚したときは「家族って何だろう」と思いました。中学生で身近な友人が亡くなったときも「死って何だろう」と思いました。だけど、それは悩みで終わってしまった。それからどう考えていけばいいかわからなかったんです。もっと前向きに、いろんな見方があると考えられたら違っただろうと思います。だからこそ、哲学でそういう手助けをしたいなと思っています。
どうしていじめるの?
――本書の中に、「どうしていじめるの?」という項目もありました。なかなか深い問いでもありますが、どういうふうに読んでいくといいでしょうか?
この問いで私が書きたかったのは、いじめっ子も、いじめられっ子も、傍観者も、みんな同じ目を持っているんじゃないか、ということでした。実は誰もがイライラしてしまう存在で、そのイライラが表立って出てきてしまった人はいじめっ子だし、そのときはいじめられっ子だったのが、次にいじめっ子に転じてしまうこともあります。傍観者はそのどっちにもなりうる存在です。これは「いじめっ子への問いだ」と思ったなら違いますよ、ということをまず言いたかった。自分はどの立場にもなりうると思うことで、当事者意識を持ってもらいたかったんです。
もし本を読めない低学年のお子さんだったら、一緒にお母さんが読んで、「〇〇くんは、いじめなんてしない?」と問いかけてみてほしいと思っています。子どもがもし「いじめなんてしないよ」と言ったとしても、「でも、こんなときはどうだろう?」と、当事者意識を持てるような問いを投げかけてもらうと効果的なんじゃないかと思っています。親子にしか気づけない関係性の中で起こったエピソードってあると思うんですよね。「こないだ××くんと遊んでいたときさ」なんていう身近なことに置き換えてもらうと、本という万人向けに書いてある抽象性を補ってもらえるんじゃないかなと思います。子どもって具体的なエピソードで「あのことか」とはっとすることは多いのではないでしょうか。
――小川さんは、実際に哲学を通して子どもと対話されたことはありますか?
子ども哲学カフェをやったことがあります。子どもはみんな、哲学者の素養を持っていると思うんです。扉を開いてあげると、おもしろい見方や考え方をしてくれるんですけど、日頃そういうきっかけがないように見受けられます。哲学カフェという特殊な空間で、聞いたことのないような「問い」を投げかけられて、どんな見方をしてもいいんだよという空気を作ってあげてはじめて、当り前からはみ出た答えをしてくれるんです。ぜひ学校でも、考える素材のひとつにしてもらえたらなあと思いますね。ひとつの問いをグループで考えてもらうというのでもいいですし、先生が問いを深めてもらって、みんながどう思っているのかを共有し合うのは素晴らしいことだと思います。
――子どもだけでなく、大人も「当たり前」について考え直すきっかけになるかもしれませんね。
この本に書かれたすべての問いは、大人でも考えさせられる内容だと思っています。タイトルは『子どもテツガク』ですが、大人が一緒に考えてもらえると嬉しいですね。いろんな視点で捉えることは、哲学では大事なプロセスです。こんな人もいるんだ、こんな考え方もあるんだと認めるきっかけになればと思っています。