前回ご紹介した『日本短編漫画傑作集』の後半3巻が出版されました。ここで扱われるのは、1975年から2014年まで。この約40年間に、題材も技法もさらに大きく広がり、日本マンガの懐の深さを教えてくれます。
ただし、この『傑作集』の選者6人のなかに女性が1人もおらず、少女マンガからの収録がほとんどなかったことには批判もありました。今後、少女マンガの傑作集が増補されることを期待したいと思います。
少女マンガの歴史に関しては、最近文庫化された萩尾望都の『私の少女マンガ講義』が目の覚めるように鮮やかな展望を示しています。
萩尾によれば、戦後日本の少女マンガの始まりは、手塚治虫の『リボンの騎士』に印(しる)されています。女の心と男の心をもち、身体的には女でありながら、社会的には男として育てられたこのマンガのヒロイン・サファイア姫には、女性としての社会的限界をこえて行動したいという少女の夢想と欲望が投影されている、というのです。
サファイア姫の直系ともいうべきヒロインが、池田理代子の『ベルサイユのばら』のオスカルです。彼女は女として生まれながら男として育てられ、フランス革命のなかで、自由と平等の理念を追求します。そこには、男女の不平等を逆転したいと望む少女たちの願望がこめられていました。
つまり、日本少女マンガ史の最重要の2作には、今でいうジェンダー的な問題意識が存在し、そのことがマンガファンの少女たちの意識と無意識に深い刺激を与えていたのです。
つい先ごろ池田理代子の『フランス革命の女たち』というエッセー集が36年ぶりに再刊されましたが、そこに付した新版のあとがきで、池田は、この本を読み直すと、当時、自分がフランス革命における女性蔑視にいかに激しい怒りを抱いていたかを感じるが、『ベルサイユのばら』を描いていたころは、そうした批判的視点をマンガに取りこむ余裕はなかったと語っています。しかし、『ベルばら』のファンの少女たちは、作者のメッセージを意識の深層でちゃんと感じとっていたのです。
一方、少年マンガにおいてジェンダー的な意識が見えるのは、『ベルばら』の9年後、江口寿史の『ストップ!!ひばりくん!』においてですが、そこには、性差をこえたいと願う少女たちのような切実な思いはなく、すべてが性のゆらぎを前にした照れ笑いのなかに解消されていきます。少女マンガとの落差は明らかです。=朝日新聞2021年8月11日掲載