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藤井恵さん「おいしいレシピができたから」インタビュー 作り続ければ増えていく「家庭料理」という家族の物語

藤井恵さん=北原千恵美撮影

【藤井さんのレシピはこちら】

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子育てしながら積み重ねた「希望」

――そもそも藤井さんが料理の道に進みたいと思った原点は何でしょうか?

 小さいころから食いしん坊で、食べることが趣味だったんです。親からも「ぽんぽんでっかいさん」って言われるくらい(笑)。でも母は料理はあまり得意じゃなくて、父は外食好きだったんですけど、外食もそう頻繁には行けないものですよね。

 そんなこともあって、テレビの料理番組が大好きでした。テレビっ子でもあったので、小学生のころから「キユーピー3分クッキング」や「きょうの料理」「世界の料理ショー」「料理バンザイ!」など、ありとあらゆる料理番組を欠かさず見ては、作ることこそないけどメモをとって、いつか食べてみたいなと夢を追っているような子どもでした。

――食べることや料理への憧れが強かったんですね。

 大学も、料理番組で見ていた料理研究家の滝口操先生がいたから、女子栄養大学に進もうと思ったんですよね。でも入ってみたら、滝口先生は短大の授業を担当されていて(苦笑)。大学3年生の時に、せっかく目標を持って大学に入ったのになんかボーッとしているなと思って、料理をもっとしっかりやりたいと研究室の先生に相談したら、滝口先生のもとで研究生として学ぶことになったんです。そこで「キユーピー3分クッキング」のアシスタントを務める機会にたまたま恵まれました。

――そこから料理研究家への道が開かれていったんでしょうか?

 大学卒業後もフリーターをしながらアシスタントの仕事を続けていたんですが、3年ぐらいして妊娠・出産で辞めてしまったんです。そうなると、戻るところもなければ十分なキャリアもない。大好きだった料理の仕事をするという夢も消えてしまうのかなと思いながら子育てをしていました。

―― 一度は専業主婦になったんですね。今回のエッセイのあとがきに、20代後半にあることがきっかけになって料理研究家という夢が目標に変わったとありますが、それはどんな出来事だったんでしょう?

 当時、専業主婦をしながらもやっぱり料理は好きだったので、料理本をたくさん読んでいました。その中で、料理研究家の中村成子先生が子どもたちのお弁当をスケッチしてきたものをまとめた本(『お弁当絵日記1000日』文化出版局)を見つけて、私も娘たちのお弁当を写真に撮って記録に残し始めたんです。何かが積み重なっていけば、きっといいことがあるに違いないと思って……。

 お弁当だけでなく日々の献立も全てノートに書き留めて、それが何となく希望になっていったんですよね。そのうち書き留めるだけじゃ物足りなくなって、娘の友達のお母さん方を相手に料理教室を始めました。参加費は材料費の2000円だけで、もう大赤字。でも、料理教室を始めたのは、何か外に向けて踏み出した大きなステップになったと思います。

再現性の高いレシピを紹介する仕事

――その後、憧れていた料理研究家になって、藤井さんの中で料理研究家像に変化はありましたか?

 最初のころは料理研究家って、好きな料理をたくさん紹介する仕事だと漠然と思っていました。でも今は、料理研究家というのは依頼された料理をきちっと作り、不特定多数の人たちに向けて再現性の高いレシピを紹介する仕事だと思っています。

 特にテレビの料理番組に出演するようになって、たまたまテレビをつけた人が私の料理を見て「美味しそう」「作りやすそう」と思ってくれることが大事なんだなと、強く思うようになりました。以前は自分が作りたいように料理を作って、作る人の立場に立って考えるということをあまりしていなかったんです。これまでの22年間、編集者の方々や料理番組のディレクターなどたくさんの人からいろいろ教えていただいたおかげで、そういうことが考えられるようになったんだと思います。

――レシピを作る際、再現性を高めるために気をつけていることは?

 私がレシピを作る時は、まずは卓上でレシピのすべてを書きます。塩分や糖分の割合から素材の分量を決めて、こういう味になるというのを必ず考えてから試作に入るんです。そうすると味に大きなブレはなくなります。それと、きっちりしている人もいれば大雑把な人もいて、計り方も作る人によっていろいろだと思うので、調味料は「大さじ1」や「小さじ2分の1」など計りやすい分量にすることを心がけていますね。

――専業主婦時代に書き続けた料理ノートに、15年間続けてきたお弁当作り、18年間出演した「キユーピー3分クッキング」と、藤井さんは「続ける」ことが得意な印象があります。

 そんなことないです。私は子どものころからお稽古事も勉強もまったく続かない。続いているのは、結婚生活と料理の仕事だけです(笑)。料理ノートやお弁当作りなどが続けられたのは、好きなことだったから。料理を食べることはもちろん、やっぱり作ることが大好きなんですよね。食材が少しずつ変わっていく姿、料理になっていく工程と仕上がりが好きなんだと思います。

 あとは母が応援してくれたというのも大きいです。子どもを産んでからいろいろと手伝ってくれたのはやっぱり母。お金にならなくても私が仕事の時は子どもを預かってくれましたし、極貧時代には家族全員を実家に迎え入れてくれました。思い返せば、私が子どものころから母は勉強や寝る時間のことなどうるさく言わなくて、好きなことをやりなさいという感じでした。

――そういう環境だったからこそ、好きなことに邁進していけたんですね。

 娘たちを見ていても、好きなことを続けている姿というのはやっぱりその人らしいと思うんですよね。それを見ていると、親としてもやっぱり好きなことをさせてあげるのが何よりだと思っています。

繰り返し作ることで「家の味」になる

――22年間、料理研究家として走り続けてきた中で、日本の食文化もいろいろと変わってきたと思います。家庭料理について、藤井さんは今どんなことを考えていますか?

 肉じゃがや切り干し、焼き魚など、いわゆる昔ながらの家庭料理を家では作ってほしいなと思います。そういう格好つけていない料理を何回も何回も作り続けてほしい。同じレシピでも季節や水加減、火加減、作り手の体調によっても味は変わってくるんですよ。その微妙な違いに気づくのは食べ続けているからこそ。繰り返し作ることで、家族に家の味を覚えてもらうんです。そこに家族とのつながりがあるような気がします。

 家族に同じ料理を作ることがなぜ大切だと思うのかというと、私自身が仕事の試作の連続でそうできなかった時期があったから。娘が「ママの料理で何が一番好き?」と聞かれて「わかんない」と答えていたのがずっと心に引っかかっていました。

 料理には物語があると思うんです。特に家庭料理は作り続ければ作り続けるほど、家族との思い出が増えていく。それが何か難しいことではなくて、料理して食べるという身近な日々の営みで思い出が増えていくのは楽しいし、本当に素敵なことだと思います。

――エッセイにもご家族との思い出がたくさん綴られていますよね。ご家族の反応は?

 実は夫も娘たちもまだ読んでいません。夫は怖くて読めないって言ってました(笑)。私自身も正直ちょっと恥ずかしいし、でも、今このタイミングで立ち止まって振り返れてよかったなと思います。自分のことなのに読むたびに涙が出てくるんですよ。これまで本当にたくさんの人たちに助けてもらったし、何より私の必死の料理を食べ続けてくれたのは家族だったんですよね。

――ちなみに藤井さんにとっての家庭の味は?

 私の母はレパートリーが少ないからこそ、同じものを作り続けていたので、私にとっての家庭の味はいくつかあります。豆鯵の甘露煮やかぼちゃの甘辛煮、肉きんぴらなど、大きな中華鍋で何でも油で炒めるんですよ(笑)。父が工務店を営んでいて職人さんの出入りも多かったというのもあって、茶色いおかずが多かったですね。でもね、どれも美味しかったですよ。

 あと、母の味でよく覚えているのは日曜日の朝ごはん。平日はご飯だったんですけど、日曜日だけはパンだったんですよね。トーストしたパンにバターやマーガリンを塗って、塩こしょうで炒めたもやしとベーコンを挟むんです。それにコーンスープという組み合わせが本当に美味しくて、週1回の楽しみでした。

 私はそれしか覚えていなかったんですけど、兄によれば具材を炒めた後の残り汁をスープにしていたって言うんです。同じものを見ていると思っても、捉えるところはそれぞれ違うというのも面白いですよね。

夢は「自分の料理を出す小さな店」

――昨年からは東京と長野で2拠点生活を始められて、暮らしや料理に対する向き合い方に何か変化はありましたか?

 長野に家を持ったことで、季節の変化を敏感に感じるようになりました。同じ空や山を見ていても毎日違う表情なんですよ。それと時間の流れ方もゆっくり。そういう環境で過ごしていると、何か料理に対してもちょっと余裕が出てきた気がします。長野には漬物文化がありますよね。塩漬けにしてから本漬けにするようなものもあって、すぐにできるものではないけど、だんだん味が変化していく楽しみがある。そういう「待つ時間」が作る美味しいものがあるなと思うようになりました。

 長野の家は山深いわけではなくて、ちょうどいい感じの自然に囲まれた場所。今55歳なんですが、この生活が楽しめるのっておそらくあと20年くらいなんじゃないかなと思うんです。それぞれの年代でやるべきことや、できることってあると思うので、それらを楽しみながら歳を重ねていきたいですね。

――エッセイではいつか居酒屋や食堂をやってみたいと書いていましたが、今後やっていきたいことは?

 本当に夢の夢なんですけど、長野の家の近くで、ちっちゃいお店を開きたいですね。お店の脇の畑で野菜を作って、それらを使って丁寧に作った料理を出したいです。自分が大好きな空間にして、こだわりの料理を大好きな器に盛って出す。実現できるかどうかは全くわからないですけど。

 私はどんなにおばあちゃんになっても、ずっと料理をしていたいんです。でも、自分や家族で食べられる量ってもう決まっちゃっていて、たくさんは作れない。だから、自分のお店で料理を出すという形で、いつまでも動き続けていたいなと思っています。

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