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古典の語り直し シェイクスピア、隠れた本質暴く 翻訳家・文芸評論家・鴻巣友季子〈朝日新聞文芸時評21年12月〉

青木野枝 ひかりのやま1

 日本では松岡和子の全戯曲完訳も成ったところだが、近年、シェイクスピア作のリメイクや翻案が国内外で盛んだ。そもそも古典はなぜ語り直されるのか? 翻案物も手がけるM・アトウッドに尋ねると、「一種の審問でしょう。時空間や視点を換えることで問題の本質を炙(あぶ)りだすのです」と返ってきた。

 その意味では、先月紹介した柚木麻子『らんたん』にも日本近代文学への鋭い審問があった。男主人公の「美しい薄闇」のために女性が都合よく死んだり悪者にされたりする男性作家の小説群にヒロインは憤る。

 実はこれと全く同じことを、シェイクスピアの半生を妻の目で語り直して話題の『ハムネット』(マギー・オファーレル、小竹由美子訳、新潮社)の作者も述べているのだ。「どうしてみんな、自由奔放な男性芸術家像にこだわるあまり、彼女をこき下ろさなくちゃならないんですか?」と(「波」インタビュー)。

 本作主人公のモデルは悪妻の代名詞のようなアン・ハサウェイ。“無知な百姓あがりで、18歳の天才少年を誑(たぶら)かして結婚し、夫に毛嫌いされていた”というのが普及した人物像だ。オファーレルは調査を元に想像の翼を広げ、この悪妻像を覆す。新たに現れたのは、養蜂、鷹匠(たかしょう)術、薬草使いにも通じた非凡な女性だ。

 1580年代に始まる物語の背景にはペスト禍があり、その中で劇作家として成功していく男性と、博識を夫に分かち与える自立的な女性の、対等なパートナー関係が描きだされる。シェイクスピアに毒草はつきものだが、その知識も妻から得たのではと作者は推測したのだ。昔から頭抜(ずぬ)けた女性は大方「聖性」か「魔性」に分けられ、男性芸術家のミューズや協力者として利用されてきたことに思い至る。

 題名のHamnetとは、幼少期に没した夫婦の息子の名だが、なぜ夫は亡くした息子とほぼ同じ名を悲劇「ハムレット」に用いたのか? シェイクスピアらしい作中劇がクライマックスとなり、身代わりのモチーフが救済をもたらす大傑作だ。

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 この青年の苦悩劇「ハムレット」を日本の文豪は頻(しき)りと翻案した。太宰治、小林秀雄ら男性作家を集めたアンソロジーが『ハムレット! ハムレット!!』(小学館)だ。大岡昇平「オフィーリアの埋葬」は、声なきオフィーリアを甦(よみがえ)らせてハムレットに直言させる。福田恒存「ホレイショー日記」は、寡黙な脇役の業の深さを明るみに出す。語り手の演劇人は自らの不義的関係を劇中の役柄に投影して自己分析を試み、妻との関係を語り直していくが、終盤、「自分の主題を追求するのに急なあまり〈中略〉勝手に自分に都合のいいようにそれ(妻の存在)を位置づけてきた」ことに気づく。福田の「演戯論」など思いだしつつ味読した。

 若きシェイクスピアの戯曲家としての目覚めと創造の源泉を描くのが、門井慶喜『ロミオとジュリエットと三人の魔女』(講談社)だ。役者として酷評された24歳の彼が妻を置いて、イリリア(「十二夜」舞台)に流れてくると、そこにイタリアから仲の悪いカップルが到着する。

 劇作家本人と作中人物らがリミックスされたメタ・コメディであり、「この胸がお前の鞘(さや)よ」「尼寺へ行け」等の名台詞(ぜりふ)を鏤(ちりば)める。取り違え劇あり、媚薬(びやく)あり。清純イメージのジュリエットは「軽はずみで口やかましい女」と評されるが、行動的な実際家である彼女の実像を浮き彫りにして、にやりとさせられた。

 シェイクスピア劇への“異議申し立て”としての語り直しもある。『ヴィネガー・ガール』(アン・タイラー、鈴木潤訳、集英社)は、女性差別が問題視される初期作「じゃじゃ馬ならし」をタイラー一流の語りで軽妙に飼いならす。強情なキャタリーナ役は、元植物学専攻の29歳の女性、求婚してくるペトルーチオ役は、ビザ切れ間近の外国人研究者に書き換えられた。巻末では北村紗衣も「じゃじゃ馬ならし」への批評をびしびし行う。本歌にこんなに手厳しい解説は見たことがないほどで痛快。

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 最後に、今後刊行が予定されている翻案小説には、米作家サンドラ・ニューマンがオーウェル『一九八四年』を女性の視点で語り直す「ジュリア」がある。『一九八四年』にしろ、ザミャーチン『われら』にしろ、遠野遥「教育」にしろ、ディストピア小説で叛乱(はんらん)の火種を運ぶのは女性なのだ。本作はこれら名作群の隠れた本質を暴きだし、大きく読みを変えるかもしれない。=朝日新聞2021年12月29日掲載