スノーボードには「若者のスポーツ」というイメージがあるだろう。しかしゲレンデの休憩所を見渡せば、年齢層は幅広い。
ミステリー作家の東野圭吾氏は、44歳でスノーボードを始めた。エッセー集『ちゃれんじ?』には、氏がガーラ湯沢スキー場で初挑戦した2002年から約2年間の奮闘がつづられている。「死にものぐるいで原稿を仕上げ、まだ暗いうちに家を出て、足がぱんぱんになるまで滑っている」人気作家に周囲は訊(き)く。「スノーボードってそんなに面白いんですか」。氏は断言する。「私を夢中にさせているのは、上達、ということだと思う」。おっさんスノーボーダーを自称し、中年からの挑戦に意義を見いだす。今では自腹で賞金を出す大会を開催するほどの筋金入り愛好家だ。
60年代の米国発
スノーボードの歴史は1960年代に始まった。米国ミシガン州に住む人物が、幼い娘たちのために子供用の短いスキー板を横に2本並べて固定し、雪の上を滑るおもちゃを手作りした。それは、「スナーファー」という名で68年に製品化され、東海岸で人気の玩具となる。
当時のアメリカではベトナム反戦運動が強まり、豊かさや安定を重視する価値観を「物質主義」と批判し、精神的自由を求める対抗文化「カウンターカルチャー・ムーブメント」が起きていた。一方で多くの若者が志願しベトナムに渡った。のちにバートン・スノーボード社を創業するジェイク・バートンの兄ジョージも海兵隊に従軍し、67年、ベトナムで戦死を遂げた。
福原顕志『スノーボードを生んだ男~』は、兄を亡くして間もない68年14歳のとき、自分の小遣いで手に入れたスナーファーに夢中になった男の評伝だ。厳格な父は、サーフボードをねだる息子に、クリスマスプレゼントとして勉強机を与えた。イエール大学出身のエリートである父の期待に応えたいと思う半面、我が道を開拓したいジェイクは、銀行勤めを辞め、23歳で起業する。商材はスナーファーを改良したボードだった。
70年代、サーファーたちは雪上用サーフボードを開発し世に放つ。80年代になると、スケートボード製造で実績を持つトム・シムスが、西海岸に根付く「横乗り文化」を反映させたフリースタイル・スノーボーディングを展開させる。それは「技」を見せる手法で、シムスは83年、史上初のハーフパイプ大会を敢行する。そして90年代、スノーボード人気は瞬く間に花開く。
冬季五輪でスノーボードが初実施されたのは98年、長野だ。しかしスノーボードは「スキー競技」として実施される羽目になった。スノーボーダーにとって非常に悔しい歴史だ。経緯は、評者が上梓(じょうし)した歴史を含む文化論『スノーボードの誕生』(春陽堂ライブラリー・2420円)でご確認いただきたい。
五輪きっかけに
とは言うものの、冬季五輪期間は、スノーボードが地上波テレビで最も放映される。評者は何げなく見た2014年のソチ五輪をきっかけに、47歳でスノーボードを始めた。
『TOTAL SNOWBOARDING~』は、挑戦を決意した際に役立つ実践的教科書だ。横向きに立って乗るスノーボードは、非日常でしかない。足が完全に固定されるため、普段している動きは全く出来ない。だが、その不自由さを克服した暁には、爽快感を伴った自由が待っている。スノーボードの魅力は、そこにこそ集約される。
雪山に行こう! 壮大な雪景色は、あなたを快く迎え入れ、些細(ささい)なことで翻弄(ほんろう)される日常を、しばし忘れさせてくれるだろう。横向きで板に乗り、雪まみれになると思い出されるのは、無邪気にはしゃいだ子供の頃の「あの感覚」だ。=朝日新聞2022年2月16日掲載