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サヘル・ローズさん「言葉の花束」インタビュー いじめ、孤独、家族に苦しむ人へ、いま贈りたい言葉

サヘル・ローズさん

「苦しい」言葉に感情がほぐれる

――今ウクライナとロシアが激しい戦闘を繰り広げていて、多くの犠牲に心が痛みます。サヘルさんは戦禍のイランで身寄りをなくして幼少期を孤児院で過ごし、8歳で養母のフローラ・ジャスミンさんとともに来日されました。

 孤児院では誰かの瞳に映らないこと、この世に存在していいのかわからない疎外感、孤独を感じていました。まるで間違えてこの時代に生まれてきたという感覚。どの人もそうですが、親も選べるわけではありませんし、国も選べるわけではない、時代も選べない。たまたま生まれた場所と時代に翻弄されているのが、人間です。人間は全員、孤独。生きていると、好きな人ができる人もできない人もいますし、家族と出会える人もそうでない人もいて、いろいろな生き方があるけれど、どんなに順風満帆でも、お金があっても、幸せでも家族がいても、人間は結局、孤独だと思うんです。

 最近、最果タヒさんの本がお気に入りなんです。たくさんタヒさんの詩集を読ませていただいていて、「死」「苦しい」という言葉がすごく強く響いてきます。がんばろうという言葉に触れるとしんどくなるのですが、タヒさんのような死と向き合っている言葉に触れていると、感情がほぐれてくるんですよね。苦しさを吐き出している方の言葉に触れることが、自分にとっての安心感になっています。

――著書『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』では、いじめや路上生活などご自身の体験をさらけ出して、家族の縁に恵まれなかった人、いじめられている人、世の中のシステムからこぼれた気がする人・・・・・・さまざまな立場で困難を抱えている人に呼びかけるように、言葉を綴っていますね。

 コロナ禍になってから、孤独を抱える方が増えている印象があり、とくに女性はうまく気持ちを吐き出せない方が多いように感じていました。そういう方々に響く一冊ができたらと思って “自分探し”ではなく、「自分を育ててごらん」という意味で“自分育て”というタイトルを付けた本を出すことにしました。

人はいつも【自分探しの旅へ出て行く】
でもね、自分を探そうとしなくていいんだよ、
なぜならね、私たちはすでに存在していて、自分を見失ってはいない。
大切なのは【自分を肉厚にすること】。(本書より)

――とくに衝撃だったのは「死にたくなってしまいそうなアナタへ」の章。中学3年間にいじめに遭い、ついに死のうと思って学校を早退して家に帰ると、いつもはいないはずのフローラさんが、コーランを抱え枕に顔を押し当てて泣いていました。「生きよう」という気持ちに変化した出来事だったそうですね。

 お母さんに「死にたい」と言ったときに、「いいよ」と言ってくれたんです。一緒に死のうとしてくれたこと。否定しなかったこと。普通は親って、子どもが死を選択したら止めるものじゃないですか。でも母は、出会った時から常に「どうしたい?」と、私の意見を尊重してくれる。無理矢理私を変えようとはしないんです。

 それまでも母は私を抱きしめてくれていたんですが、死を覚悟して抱きしめてくれた瞬間、「あれ? こんなに小さかったっけ?」とあらためて気づきました。誰しもが、いつも顔を合わせているようでいて、実は全然家族の様子に気づいていないことのほうが多いんです。イランでは裕福な家庭に生まれてお嬢様だった母が、日本では床掃除やトイレ掃除、重い絨毯を運ぶ、織るという仕事をして、ボロボロになっていたんですよ。そんな状態でも、いつも私の前ではニコニコしていました。

 死に片足を入れた瞬間に、生きるって、なんて奇跡なんだろうって思ったんです。生かしてくれたのは目の前のお母さん、ボロボロのこの人だったんだって。ここまでしてくれた母が存在する限りは生きようと思う一方で、母は、私が存在することで生きてくれている。それまで私は誰のことも見えていなくて、苦しいときは人って、自分しか見えていないんですね。母はもっと苦しかっただろうに、「私をなんで引き取ったんだ」とか、ネガティブなことを言ったことは一度もないんです。だから、目の前にいる母を幸せにすること、冬場でも暖かい格好をさせてあげること、それが原動力。生きる目的が親に切り替わった瞬間でした。

子どものみんなにまずは伝えたい。
【大人は、親は、沢山傷ついて生きてきてるんだ。みんなと同じようにね】
そして、大人の皆様へも伝えたい。
【親という着ぐるみを脱ぎ捨てて、経験した痛みを思い出しながら、子どもたちと共有してほしい。失敗したこと、つらかった経験、涙、苦しいという言葉、疲れたという言葉を全部、子どもに見せてあげて欲しい】(本書より)

フローラと出会って私が生まれた

――フローラさんとのエピソードがどれも印象的なのですが、サヘルさんが7歳のとき、当時大学生でボランティアをしていたフローラさんが施設を訪れ、おふたりは出会ったんですよね。「まっすぐに私の目を見てくれた」と綴っています。

 フローラに出会った瞬間と、その瞳に自分が映った時の安心感は、皮膚感覚で覚えています。それまで本当に、誰の瞳にも映っていなかったから。それだけインパクトが強い出来事でした。私の人生で一番のターニングポイントは、生まれた瞬間。でも、生みの親から生まれた瞬間ではなく、フローラの瞳に映った瞬間に、初めて私が生まれたと思うんですよ。私は0歳で生まれたのではなく、フローラと出会った7歳で、この世に誕生したと思っています。

――子どもが授かれない体の方にしか養子縁組の資格はないため、健康体だったフローラさんがあえて手術をして引き取ったというのは並々ならぬ決意だと感じました。

 母に「なんで私のためにそこまでしたの?」と聞くと、「目の前にあなたがいてくれて、『お母さん』と言ってくれた、その言葉で決めただけ。私はけっして特別なことをしたわけではなく、普通のことをしたよ」と言います。そう言える母が、私はすごいと思います。

――サヘルさんの生い立ちを知るにつれて、フローラさんの強い愛情も感じます。お母様との思い出で今でも印象に残っている楽しかったことも教えてください。

 長い間、苦しかったことのほうが多くて、あまり楽しいことは思い出せないのですが、いつも母と一緒にいられる日曜日はうれしかったですね。日曜日に母と一緒に出かけたデパートで、買えないけれど、洋服屋さんで試着したり、おもちゃコーナーのゲームで遊んだり。最後に、しょうゆラーメンを買って、食べるんです。母は一口しか食べなくて、「いいよ」って、私に全部ラーメンをくれるんですが、帰りのバスでグウグウお腹がなっているんですよね。

 昔は母が働いて、今は私が働いて。写真を見ていても、アルバムはいつも私ひとりの写真なんですよ、母がいつも撮っていたから。母とのツーショットが欲しかったから、街で親が子の写真を撮っているのを見ると、「撮りましょうか?」と声をかけたくなるんです。コロナ禍になる前に、初めて一緒にイタリアへ旅行に行ったんですが、一緒に写真を撮ってもらったのですごくうれしかったの(笑)。大事にしています。

――昨年、自分の親や生まれた境遇に当たり外れがあることをスマホゲームの「ガチャ」に例えた「親ガチャ」という言葉が生まれて、流行語大賞にノミネートされました。そんな言葉が生まれる日本をどう見ていますか。

 悲しい言葉です。生まれたのは、その子達が悪いわけではなく、ちゃんと家族関係が築けていないからなのではないでしょうか。家族と会わない、団欒をしない、一緒にご飯を食べない。すべて自分の手元にあるスマホの中の世界に集中しがちになって、若い世代の人たちの「家族」という感覚が薄れてきているのかなと。平和だからこそ、家族がいて当たり前だと思っている。

 家族がいる人は、もしかすると明日、家族がいなくなってしまうかもしれないということを覚えておいてほしい。いて当たり前じゃないよ、いつ誰が病気になってもおかしくない、いつ誰が災害にあってもおかしくないと。だから若い世代の人たちにも、言葉の重みを知ってほしいですし、だから私の本を中高生に読んでほしいです。家族や自分自身のこと、言葉の持つ意味、危険性に気づいてほしいので、この本を学校に置いてほしいですね。

日本という国は、本当に豊かで人々も優しく、安全です。
食べ物も洋服もそろっています。
でも、それに慣れないでください。
これが当たり前だと思わないでください。
皆さんには今置かれている恵まれた環境を、もっともっと大事にしてほしいのです。(本書より)

大切な人と想い合える幸せ

――サヘルさんは芸能活動の一方で、国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めていらっしゃったり、アメリカで人権活動家賞を受賞されたりしていますね。

 難民キャンプの学校運営のサポートや、子どもたちの教育現場を支援する活動をしています。同時に、日本ではいくつかの施設と関わりを持っていて、物資や食料を送らせていただいています。

 あとは、施設を退所した子どもたちのアフターケアですね。施設にいるときはある程度支援は届くのですが、問題なのは、施設を出た後の子たちが行き場のない社会になっていて、心のケアができていないこと。施設に入る多くの子どもたちは、心理的、肉体的、性的な虐待を受けています。精神的によくない状態の子が多く、そのまま退所しても、社会復帰できていない。社会でがんばれているのは3割。あとの7割は、復帰できていません。そういう子たちの居場所に関わっています。

――今後、ご自身で家庭を持つことについてはお考えがありますか。

 日本の場合30歳になると心配されることもあるのですが、今の私は、自分が選択してきた私なので、この生き方が好き。このまま自由でいたいという意味ではなく、心の準備ができていない時に誰かと一緒になっても、多分幸せになれないから。子どもを授かるのも準備が必要だと思うんです。なぜなら、子どもを授かって育てられない人をたくさん見てきたから。生まれた子どもに罪はない。生んだ側にも罪はないけど、考えることはできたはず。だから、ひとりの大人として、その準備と責任は持ちたいなって。

 人道支援で訪れた国々に、私のことを「お姉ちゃん」と呼び、「もっと立派になって」と応援してくれる、世界規模での家族のような大切な人たちがたくさんいるので、戸籍で結びつく関係を今は考えていません。でも、以前は「養母が結婚もせずに女手一つで私を育ててくれたのに、自分だけ結婚をする訳にはいかない。パートナーは必要ない」と自分に言い聞かせていたんですが、周囲から「サヘルも幸せになっていいんだよ」と言われる様になって考え方がすごく変わりました。

 もしいつかタイミングが来て、素敵だなと思える人と家族になれたら嬉しいです。戸籍を入れるという書類で結びつくだけの結婚ではなく、相手の心に寄りかかり、大切な人と想い合えることが幸せだと思います。今は仕事や活動など目の前のことを一つひとつ丁寧に進めていきたいと思っています。