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「奇跡」書評 どうして死を道連れにしたんや

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2022年04月09日
奇跡 著者:林 真理子 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065243053
発売⽇: 2022/02/16
サイズ: 20cm/165p

「奇跡」 [著]林真理子

 田原桂一君へ
 君が再婚したことには驚かへんけど、まさか君が梨園(りえん)の妻の博子さんと「出会ってしまった」という運命的な言葉の背後にしか生きられへんと悟ったことが「奇跡」やったんか。
 君とパリで会って以来、君のすさまじい創作意欲と創造の現場を知っとるだけに、何かが空回りしとったこともよう知っとった。それは創造の不可欠要因である、両輪のもう片方の愛の欠如のことや。
 パリ以来、君の本の出版を手伝ったり、僕のポートレイトを沢山(たくさん)撮ってもらったり、フードピア金沢の公開制作イベントなどで顔を合わせることがあったけど、君がパリから日本に創作の現場を移した頃から疎遠になってしもうた。そんなある日、僕のイベントの現場に「俺や、田原や」とひょっこり顔を出した君は昔の華奢(きゃしゃ)な田原君と違(ちご)っとったけど、相変わらずの美男子の君と久し振りの関西弁で話がはずんだのは嬉(うれ)しかったなあ。
 帰国前後の君に何があったか知らんかったけど、本書で君と博子さんとの激情的な愛の交流を知って驚いた。愛と創造が君の中で一体化したその現場を見せてくれて、田原桂一健在なりと嬉しくなったもんやけど、パートナーの博子さんも君と一卵性双生児ちゃうかと思わせるほど覚悟の人やと分かった。
 それにしても、田原君はなんで死んだんや。愛と創造の成就と同時にどうして死まで道連れにせんとあかんかったのや。君と最後に会うたあの日は、君の死の一年前やったことが後でわかっただけに、またゆっくり逢(あ)おうと約束しながら、果たせなかったことが悔やまれるんや。
 君のあの人懐っこい微笑が、まさか死の悲しみを内包しとったんかということは知るよしもなかった。博子さんは君から生の歓(よろこ)びと同時に死の悲しみを贈られて、君は一人旅立った。因果な歌舞伎の前世物語みたいで、不憫(ふびん)でならない。
    ◇
はやし・まりこ 1954年生まれ。作家。本書は写真家・田原桂一氏と妻の博子氏の関係を実名で描いた恋愛小説。