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「さすらう地」書評 荒野に捨てられた朝鮮の人びと

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2022年07月30日
さすらう地 (韓国文学セレクション) 著者:キム・スム 出版社:新泉社 ジャンル:小説

ISBN: 9784787722218
発売⽇: 2022/06/08
サイズ: 20cm/309p

「さすらう地」 [著]キム・スム

 一九三七年、スターリン体制下の極東の沿海州。突然、ソ連の警察が朝鮮半島にルーツを持つ人びとの家をまわり命じた。三日後に一週間分の食料と最低限の衣服を持って革命広場に集まれ、と。「おまえたちは出ていかねばならない。朝鮮人に移住命令が下された」
 行く先は伝えられない。四方を板で囲われた貨車に詰め込まれた人びとは、悪臭の充満する暗闇の中で、長い旅の末「最終目的地」に降ろされ、家も農地もない荒野に連れていかれ、捨てられる。着いた場所は、ユーラシア大陸の深奥部、中央アジアだった。
 この苛烈(かれつ)な史実を知っている人は日本でどれくらいいるだろう。姜信子の秀逸な解説にあるように、ソ連の失政がもたらした飢餓で人口が激減したカザフスタンには、チェチェン人やクルド人など一七の少数民族が強制的に連れてこられた。まるでこの地は、二十世紀の暴力が堆積(たいせき)した掃(は)き溜(だ)めのようである。
 悲劇から三七年後に生まれた作者はもちろん体験者ではない。だが、一語一語練り上げられたこの小説を読んで、自分の理解が浅薄であったことに気づいた。なぜ、日本占領下の朝鮮半島から多くの朝鮮人が沿海州に向かったのか。なぜ、民族自決をうたったソ連は朝鮮人を弾圧したのか。そして何より、差別にあったり、協力しあったりしながら時間をかけて根を張った場所から引き剥(は)がされることが、どれほど深く人びとの心を引き裂くのか。無数の「なぜ」を読者は否応(いやおう)なく問うことになるだろう。
 本書は、こんなに重たい歴史を、シベリアの大地を走る狭い貨車の会話と身ぶりだけで浮かび上がらせようとする。「ぼくたちのこと、捨てに行くんだよね」「スターリンも、私たち朝鮮人と同じで異民族出身だそうです」。飢え。嘆き。別れ。涙。衰弱の中で研ぎ澄まされていく棄民たちの言葉で抉(えぐ)られていく私は、貨車から放り出された終幕でもう目をつむるしかなかった。
    ◇
Kim Soom 1974年、韓国生まれ。1997年に作家デビュー。他の邦訳に『ひとり』『Lの運動靴』。