【広島編】あの日の体験、読み直すとき 文芸評論家・斎藤美奈子
広島県を舞台にした作品はむろん「原爆文学」だけではない。たとえば多くの文人が愛し、林芙美子や志賀直哉が一時暮らしたこともある尾道は「文学のまち」である。
とはいえ質量ともに群を抜くのはやはり原爆に取材した作品だ。
なかでも特に有名なのは、国語の教科書にも採用された、原民喜『夏の花』(1949年/集英社文庫など)だろうか。〈私は厠(かわや)にいたため一命を拾った〉という一文を含んだこの作品は、原爆投下からの数日間を記録した鮮烈な短編だ。
また、井伏鱒二『黒い雨』(1966年/新潮文庫)は、被爆者である重松静馬の『重松日記』(2001年/筑摩書房)などをもとに原爆の後遺症や被爆者のレッテルに悩む人々を描いた長編で、とりわけ姪(めい)の縁談が物語の焦点となっている。
いま読みたい原爆文学はしかし、むしろ埋もれた秀作である。
大田洋子「屍(しかばね)の街」(1950年/講談社文芸文庫『屍の街・半人間』所収)は当事者性の高い作品。戦後しばらくは『夏の花』と並ぶ原爆文学の金字塔とされていた。
作者は当時41歳。帰省中に爆心地に近い広島市内の妹宅で被爆したのだった。死の恐怖におびえながら母や妹たちとさまよった被爆地の光景、ありし日の町の姿などに加え、彼女は当時の報道への疑念も記している。新聞に載った少なすぎる死者数、残存放射能調査、解剖学者が語る楽観的な人体への影響……。
〈戦争をはじめなければならなかったことこそは、無智(むち)と堕落の結果であった〉〈東大の研究班が九月二日にもなってから広島へ初めて来たのを、私は遅いと思った〉
1945年に稿が起こされ、体制批判ゆえか48年に出た版では削除を余儀なくされた問題作。もう一度光をあてたい出色の反戦文学だ。
竹西寛子『管絃(かんげん)祭』(1978年/講談社文芸文庫)は作者の体験をベースにした鎮魂の書というべき長編である。作者は当時16歳。広島市西端の自宅で母と弟とともに被爆。学徒動員先の工場をたまたま休んで、死を免れたのだった。
物語は約30年後、東京で働く村川有紀子(モデルは作者?)の母の通夜からはじまり、地主だった村川家ゆかりの人々が、それぞれの戦前戦後を語る形で進行する。互いの進路を語り、8月5日に〈折入って相談したきことあり〉と記した手紙をくれた有紀子の親友も爆死した。
管絃祭とは厳島神社で旧暦6月に行われる神事のこと。大勢の人物が語る逸話のひとつひとつがみずみずしくて、もう泣きそうである。
広島の歴史は続いていく。重松清『赤ヘル1975』(2013年/講談社文庫)は広島カープが初優勝した年の少年の物語である。
主人公は転校生だ。春、中学1年生のマナブは父と二人、東京から広島市内に越してきた。「よそモン」だった彼はやがて同級生のユキオやヤスの「連れ」に昇格するが、平和記念資料館に行けばとすすめるユキオにヤスはいうのだ。〈要らんことせんでええ〉〈広島のことは広島のモンにしかわからんのじゃ〉
試合結果に一喜一憂するカープファンの熱狂と、被爆30年を迎えた広島市民の思いを重ねあわせて物語は進み、夏、ついにマナブは巨人の帽子を赤い帽子にかぶり替える。広島パワーおそるべし!
広島県を代表する作家のひとりに「ズッコケ三人組」シリーズ(1978~2004年/ズッコケ文庫Z)の那須正幹がいる。舞台になったミドリ市花山町のモデルは作者が生まれ育った広島市西区己斐(こい)である。
が、より広島色が濃いのは『ヒロシマ 1949』(2011年/ポプラ文庫)だろう。原爆で夫を失った主人公の靖子は昭和24(1949)年、幼い娘を育てながら己斐の実家で駄菓子屋を営んでいたが、2年後、後に広島のソウルフードとなるお好み焼きの店を開くのだ。〈見ときんさい。うちは広島一のお好み焼(やき)の店にしてみせるけえ〉
広島市街は6本(昔は7本)の川が流れる川のまちだ。広島を描いた小説の中にも川が流れている。戦後復興を描いたこの作品もそう。「ズッコケ」が男の子の冒険譚(たん)なら、こちらは女たちへの応援歌である。=朝日新聞2022年8月6日掲載