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まさきとしかさんの読んできた本たち ミステリーの書き手へと導いた桐野夏生さんの「柔らかな頬」(後編)

>【前編】ミステリーの面白さを教えてくれた宮部みゆきさんの『レベル7』はこちら

運命の出合い3冊目と作家デビュー

――第3の出合いとなったのは、どの作品だったのでしょう。

 桐野夏生さんの『柔らかな頬』です。直木賞を受賞されたんですよね。これもまた『レベル7』と同じくらい内容を憶えていないんですけれど、唯一憶えているのが、犯人が誰か分からなかったこと。そこにまったく不満を感じないくらい面白くて圧倒的で、こんなミステリがあるのかと思いました。

 このあいだ、また読んだんですけれど、やっぱり内容を憶えていないから夢中で一気読みしました。エンタメの要素も純文学の要素も入っていて、事件に至るまでの人間の感情、行動とその連鎖と、事件が起こった後の感情、行動、その余波をとことん書いて、その読ませ方に引きずり込まれました。

 そこから遡って桐野さんの江戸川乱歩受賞作の『顔に降りかかる雨』から始まる探偵ミロシリーズなどを読みました。ミロシリーズの完結編が『ダーク』なんですけれど、そこでミロは義父を殺さなければならなくなる。人気シリーズの主人公にそんなことをさせてしまう桐野夏生さんという作家の凄みに圧倒されました。

 そこからしばらく桐野さん時代が続きます。『OUT』とか『グロテスク』とか『残虐記』とか...。自分もこういう小説が書きたいけれど絶対無理だと思いました。

――ああ、まさきさんの現在の作風の源泉はどこにあるのかなって思っていましたが、いまちょっと納得しました。だって、最初は作風が違いましたよね。

 そう、中央の文学賞に応募していた時はずっと純文学の賞に応募していたんですよね。「文學界」、「すばる」、「群像」...。私はデビューが43歳なんですけれど、そのデビューも純文学だったんですよ。その後、分岐点があって転換するんですけれど、その際に桐野さんを読んでいたことは大きかったと思います。

――デビューまでの経緯は。

 30歳から35歳くらいまでは札幌にいて、そこからまた、なんとなく東京に行ったんですよ。たぶん、環境を変えたかったんじゃないかな。そして東京でコピーライターや編集の仕事を転々としました。

 東京に行ってまもなく、「群像」の蓬田さんという編集者から連絡がきたんです。以前北海道新聞文学賞で佳作を獲った時の選考委員の先生から私の名前を聞いたというんですね。それで「1回小説を送ってください」って。それで、蓬田さんに今までに書いてきたものを送ったら「なかなかいいですね。新しいものを書いて送ってください」と言われて、送ったのが「天国日和」という中篇で、これが「群像」に掲載されたんです。憧れの中央の文芸誌に。

 私はなにも分かっていなかったので、「これでデビューできる」と思ったんですけれども、そこからがもう、どれだけボツだったかっていう。桜木紫乃さんが最初の本が出るまでに段ボール何箱分もボツだったという話をよくされていますが、私も「よく分かります」っていうくらいボツの連続でした。私は中篇を書くので一篇100枚以上になるんですが、書いても書いてもボツ。ようやく担当編集者である蓬田さんがOKしてくれたものも編集長がボツにして、夜の10時頃に呼び出されてお説教されたんです。ボソボソ声だったのでよく聞こえなかったんですが、「お前の小説は全然新しくない。うちの優秀な蓬田に時間をとらせるな。こんなのずっと書いてても芽が出ないからやめちまえ」というようなことを言いたかったのかな、ってネガティブに考えてしまって。帰る時、シーンとしたエレベーターホールで蓬田さんが「編集長は励ましてくれたんですよ」って言ってくれて、でも私は心の中で「蓬田さん、それは違いますよね、私はクビですよね」って思って。

 その2年前に「文學界」の新人賞でも最終候補に残って、このまま書き続ければいけるんじゃないかと思っていたので、編集長に言われたことがものすごくショックで。ぺしゃんこにされたんですよね。そこから蓬田さんに原稿を送れなくなっちゃって、また別の雑誌の新人賞に応募するようになりました。でもどんどん駄目になっていって、このままでは小説家になれないし、なれなかったらどう生きていけばいいか分からない、となりました。

 それで、これはやっぱり小説を書くってことをスタートし直さなければならない、と思いました。私が小説を書き始めた位置といえば北海道ですから、もう1回北海道に戻って、中央の賞ではなくて北海道新聞文学賞で本賞をいただけるように頑張ろうと思って、札幌に帰りました。

 そうしたら前に勤めていた会社が「戻っておいで」と言ってくれたんです。ありがたく思って戻ったら、景気のいい時代は終わっていたので、定時で帰れるようになっていました。だから小説を書く時間もできて、それで北海道新聞文学賞を受賞することができました。

――2007年に「散る咲く巡る」で受賞されたんですよね。

 そうです。そうしたら、「群像」から出版の部署に異動になっていた蓬田さんが、「よかったね、記念に本を出してあげるよ」って言ってくれて。それで中篇3篇を収めた本を出してもらえました。43歳の時でした。

――それが『夜の空の星の』ですね。よかった、ようやく本が出せた。

 そこから普通は地に足がつくと思うんですけれど、まあ私なので(笑)、そんなことはないんですよ。

 これは受賞する前なんですが、勤めている会社がそろそろ潰れるなって感じたんです。潰れる前に辞めようと思っていたら、東京で職を転々としていた頃に勤めていた一社が声をかけてくれて、また東京に行ったんです。

デビュー後の読書

――3回目の東京行きですね。

 だから北海道新聞文学賞に応募する小説を書いたのは札幌ですけれど、受賞の知らせを受けたのは東京なんです。でも、東京に行った1年後、リストラされてまた札幌に戻るんですけれど。

 デビューした後も、小説を書いては蓬田さんに送ったんですが、これがまた書いても書いてもボツなんです。

 このまま同じように書いていたら私は小説家になれない、でも私には小説家以外の道はないから何かを変えなきゃいけない。それで、エンタメを書くことにしたんです。宮部みゆきさんの『レベル7』が面白かったことと、桐野夏生さんの『柔らかな頬』がすごかったことがずっと頭の中にあったので、自分もちょっとミステリ要素のあるものを書こうと考えました。それで書いたのが、『熊金家のひとり娘』なんです。

――北海道の孤島でお祓いを生業としている熊金家に生まれたひとり娘と、彼女が産んだ姉妹の話ですよね。

 これは蓬田さんが「作風をがらっと変えて頑張ったね、本にしてあげるよ」って言ってくれて本になりました。少ない部数だったんですけれど、それを見つけてくれたのが、今このインタビューに同席している、新刊『レッドクローバー』の担当編集者さんなんですよ。彼女が「『熊金家のひとり娘』を読みました」って連絡くださって、それから2年後に彼女に担当してもらって『完璧な母親』という本を出したら、いくつかの出版社から声をかけていただいたんです。

 それで、これからは自分も『柔らかな頬』とか『グロテスク』のような、読み始めたら心をとらえて離さない、沼に引きずり込むようなものを書きたいと思いました。ミステリ要素があるといっても、ただ事件が起きて犯人が見つかって解決してよかったという話ではなく、人間の業だとか、強さとか弱さとか、苦しみとか痛みとか、そういうものを丁寧に書き、かつ、展開に意外性のある、リーダビリティの高いものが書きたいな、って。

 すごい小説家の方ってミステリじゃなくてもリーダビリティがあるじゃないですか。でも私はまだミステリの要素がないとリーダビリティが出せないんですよ。だから、ミステリの力を借りている、という認識です。

――読書生活にも変化がありましたか。

 そこからは、海外の王道ミステリも押さえておかなきゃねと思い、アガサ・クリスティーとかレイモンド・チャンドラーとか、パトリシア・ハイスミスなどを読みました。クリスティーの意外性のある展開や、チャンドラーのハードボイルドの人気の理由なんかを勉強しようと思って。パトリシア・ハイスミスは『太陽がいっぱい』のイメージがあったから選んだのかな。

 他に話題になったミステリも読みました。そのなかでよく憶えているのがサラ・ウォーターズの『半身』です。読者の「こうなるだろう」という推測をこんなふうに裏切ることができるんだと勉強になりましたね。

 それと、私はもともと純文学が好きなので、ポール・オースターやカズオ・イシグロもよく読みました。

――ああ、以前もオースターの『オラクル・ナイト』のお話をされていましたよね。作中にハメットの『マルタの鷹』への言及があって、それで『マルタの鷹』も読んだそうですね。

 『オラクル・ナイト』で『マルタの鷹』について説明している箇所があって、〈世界は正気で秩序のある場だと思っていたがそうではない〉〈世界は偶然に支配されている〉といった言葉が印象に残ったんですよね。

 ポール・オースターの作品って、偶然と必然というのがずっとテーマとしてあるじゃないですか。偶然も必然だったりするという。全部が必然だと考えると、自分の人生や物事に意味づけがされたり、自分なりに考え方や受け止め方を深められるところがあるなと感じるんです。

 それと、ポール・オースターはちょっと分かりにくいところが魅力ですね。分かりやすいところはすごく分かりやすいんですけれど、その分かりやすさの裏に分かりにくさが隠れている気がするんです。

 それと、海外作品で描かれる孤独って、日本人が書く孤独とちょっと違いがあるように感じるんですよね。ポール・オースターを最初に読んだのは『ムーン・パレス』だったんですが、当時、主人公がホームレス状態になって自暴自棄になる姿が、自暴自棄にチャレンジしているように受け止められたんですよね。

 ポール・オースターの小説は、成功したとしてもその成功を捨てる人が出てきたりして、人生を捨てたいとか、違う人になりたいというテーマが多いですよね。私も自分を捨てて違う人間になりたいという感覚をずっと持っているので、そこにも惹かれたような気がします。

――カズオ・イシグロはどこに惹かれましたか。

 『わたしを離さないで』が話題になったんですよね。話題になったものは押さえておこうと思って読んだらすごく面白くて。

 まず、幻想的ですよね。はじめはどういう話かよく分からないじゃないですか。そうしたら臓器移植の話が出てきて、登場する子供たちがどういう子たちなのか分かる。その意外性と、描写の緻密さと美しさがよかった。そこからカズオ・イシグロの作品を過去に遡って、『遠い山なみの光』や『浮世の画家』、『日の名残り』、『わたしたちが孤児だったころ』などを読みました。私は気になった作家の作品を遡って読むのが多いみたいです。

刑事小説が大ヒット

――著作に関しては、『熊金家のひとり娘』や『完璧な母親』の頃から母と子の問題が大きなテーマだと感じていたんですが、ご自身ではあまり意識していなかったんですね。

 そうなんです。私、母と子を書こうと思わないんですけれど、やっぱり自分の経験があるからか、書かずにはいられないんでしょうね。よっぽど根に持っているんだと思います(笑)。まだ消化できていないんでしょうね。

――本格的なミステリというより、ミステリ要素のある作品を書かれてきましたが、文庫オリジナルの『あの日、君は何をした』と『彼女が最後に見たものは』は、がっつり刑事が主人公のミステリですよね。それはどういうきっかけだったのですか。

 刑事を主人公にしたミステリ小説に憧れてはいたんですが、自分には書けないという思い込みがずっとありました。プロットを考えつく自信がなかったし、警察組織や捜査方法のことを知らないし。でも、ある程度本が売れないと小説家をやっていけなくなると思って、どこかで自分を変えなきゃいけないという気持ちがありました。それで、読者層を広げるために、警察組織の勉強をして一回がっつり書こう、と。警察や捜査に関するノンフィクションを読んだほか、東野圭吾さんや横山秀夫さん、誉田哲也さんをはじめとする先輩作家の小説は参考書として舐めるように読みました。

――『あの日~』と『彼女が~』に出てくる、刑事の三ツ矢秀平と相棒の田所岳斗というコンビのキャラクターはどのように生み出したのですか。

 『あの日~』ははじめての文庫書き下ろしだったんですよ。文庫書き下ろしってどう書いたらいいのか分からなくて、かすみちゃんに相談したら、「私だったら文庫書き下ろしはシリーズ化を狙うね」って言ってくれたんですよ。ああ、そうかと思いました。

 シリーズ化を狙うにはまず、魅力的なキャラクターが必要ですよね。それに、シリーズものって私の中では刑事が主人公のイメージだったんですよ。東野さんの加賀恭一郎シリーズとか、誉田さんの姫川玲子シリーズとか。それで、どんな刑事が魅力的か考えました。わかりやすく格好いい人ではなくて、私が日々思っていることを嫌味なく、説教臭くなく代弁してくれる人を考えていったら、三ツ矢という刑事になりました。でも三ツ矢1人ではバランスが悪いので、相棒の田所という、読者のツッコミを代弁してくれるキャラクターを作ったという感じです。

――三ツ矢は瞬間記憶力を持ち、すぐ沈思黙考するので「パスカル」と呼ばれている刑事。協調性はないけれど、マイペースなだけで悪気はないんですよね。新米の田所は彼に振り回されながらも、三ツ矢の能力を信頼している。これは大ヒットシリーズとなりましたね。

 こんなにたくさんの方に読んでもらえるなんて思わなかったので、びっくりしました。かすみちゃんにお歳暮送らなくちゃいけない(笑)。

――シリーズは今後も続きますか。

 第3弾は来年から取り組む予定です。私は本当に三ツ矢秀平というキャラクターに助けてもらって感謝しているので、許される限り書き続けていきたいです。ずっと三ツ矢という人間を生かしておきたい。

――朝倉さんとはいろいろ、仕事や小説についても語りあっているんですね。

 そうなんです。デビューする前からずっと、どれだけ応募して落ちたか、全部報告しあってきたし、応募する前の原稿を互いに読んで感想を言ったりしていました。かすみちゃんがまた、読む目を持っているんですよ。すごく参考になりました。あの時代、かすみちゃんがいなかったら、私はきつかった。

 かすみちゃんがデビューした時は「すごいな」って嬉しかったし、『田村はまだか』で吉川英治文学賞を受賞した時は私も待ち会にいて一緒に喜びました。

――デビュー前から親交があるおふたりが今、どちらも活躍されて...というのがぐっときます。

 このあいだはかすみちゃんと河﨑秋子ちゃんと、内山りょうちゃんという方とご飯しました。4人とも北海道新聞文学賞の受賞者なんです。内山りょうちゃんが私の文庫本を持ってきて「としかさん、サインして」って言ったら、かすみちゃんが「私が代わりにサインしてあげる」と言って「まさきとしか」ってサインして、「はい次」って河﨑秋子ちゃんも「まさきとしか」ってサインして、最後に私がサインしました(笑)。

――まさきさんは朝倉さんを「かすみちゃん」と呼ばれてますが、朝倉さんはまさきさんをなんて呼ばれているんですか。

 「とちた」です。「としか」を全部た行にすると「とちた」になるので。それを知っている友人や読者の方も、私のことを「とちた先生」って呼んでくれたりします。

――まさきさんは今また北海道にお住まいですよね。北海道出身の作家の方々って交流がある印象です。

 そうですね。こないだ桜木紫乃さんにちょっとだけお会いした時も、「いや~本売れてよかったね~」って言ってくださって。

――いま、桜木さんの口調を真似ましたね(笑)。

 真似ました(笑)。乾ルカさんとはコロナ禍の前に一緒にケーキを食べたりしました。乾さんはクールビューティーで近寄りがたいイメージだったんですけれど、お話ししたらものすごく面白いんですよ。話しているうちに、あっという間に4時間とか経ってます。

 北大路公子さんにも何度もお会いしましたが、ほとんどが酒の席です。かすみちゃんが責任編集の『朝倉かすみリクエスト! スカートのアンソロジー』に北大路さんの「くるくる回る」という短篇が載っていて、それがすごく好きなんです。

 私も短篇を依頼されることがあるんですけれど、まだ書き方がよく分からないんですよ。油断すると100枚以上書いてしまうので、短篇を書く前は「くるくる回る」を読むようにしています。あれは現在、過去、現在、過去と行き来しながら進んでいくんですけれど、何もかもが見事で読ませるんです。だから、「くるくる回る」の構成を書き出して頭の中に入れてお手本にしています。

 北海道の作家のみなさんはいい人ばかりで、みんなが頑張っていることが私の励みにもなりますし、一緒に頑張っていきたいなあって思うんです。

新作『レッドクローバー』について

――今お話をうかがってきて、まさきさんの新作『レッドクローバー』の帯に桐野夏生さんがコメントを寄せられていることが非常に感慨深いです。

 本当に一生の宝です。私、桐野さんに御礼のお手紙を差し上げて、編集者経由でお返事もいただいたんですが、桐野さんへのお手紙に、『柔らかな頬』と『ダーク』についての感想も書いたんですよ。私にとって大きなきっかけとなった作品なので。

 そうしたらつい数日前、恩人の蓬田さんがお手紙をくださったんですが、そこに『ダーク』のことが書かれていたんです。蓬田さん、桐野さんが『ダーク』を書かれていたときに担当されていたんですよ! こんな繫がりがあるのかって、鳥肌が立ちました。私がもうこのまま消えていくっていう寸前に拾いあげてくださったのが蓬田さんで、蓬田さんがいなかったら私は小説家になれていないんですよね。改めて蓬田さんありがとうございますと思って、お手紙に手を合わせました。

――今、1日のタイムテーブルは決まっていますか。

 朝型の生活にするってことだけは決めていて、それ以外は小説を書いて、集中力が切れたら休んでご飯を食べて、というふうに集中力に合わせて生活していたんですよね。ただ、集中力が続かなくて...。

 『レッドクローバー』の時は結構集中したんですけれど、そのぶん疲労が残っているというか、気が抜けた感じがあって。今は次の書き下ろしに取り掛かっているんですけれど、この3か月くらい全然集中できないんです。それで、かすみちゃんに「ちゃんとルーティンを決めたほうがいいよ」と言われたので、タイムテーブルを組み立て直そうと思っているところです。

――それだけ『レッドクローバー』に力を注いだってことですよね。

 本当に。『あの日、君は何をした』が今まででいちばん大変だったと思っていましたが、『レッドクローバー』はもっと大変でした。出てくる人達の持っているものが暗くて重くて深いので、そこに寄り添うと引きずり込まれて、浮上するのに時間がかかりましたね。書くのに覚悟が要る小説でした。

――『レッドクローバー』はまさにまさきさんの真骨頂。北海道の灰戸町で一家毒殺事件が発生、唯一生き残った少女は犯人ではないかと噂され、町から姿を消す。12年後、東京で毒殺事件が発生して......という。この小説には視点人物が複数いますが、最初、書くつもりのなかった町の住民の女性の視点で書いてしまったそうですね。めちゃくちゃ集中していたからこそ、そういうことが起きるのかなあ、と。

 そうなんです。プロットを作ってさあ書こうと思って書き始めて気づいたら、脇役の人の視点で60枚くらい書いてたんですよね。原稿にならないものを書いてしまったあの時の絶望感...。編集者に相談したら、それも入れようと言ってくださって、結果的には良かったんですが。

――あの視点があることで、事件の起きた灰戸町の閉塞感やヒエラルキー、問題の家族が周囲からどう見えていたのかよく分かって奥行きが出ていますよね。それにしても予定していなかった視点人物でよくそこまで書けるなあ、と。

 私、たぶん、プロットを作る時は視点人物よりもちょっと上の視点で考えているんですよね。誰の視点にすれば書きたいことが効果的に書けるのか分からなくて。実際に書き始めるときに、そこからいろんな人物の視点に下ろしていって試してみるんです。本当に試行錯誤だし、手探り状態です。

――現在の事件と過去の事件が絡み合い、親と子の愛憎や人の醜い部分を浮かび上がらせつつ、後半は二転三転の怒涛の展開で。でも単に驚かせるためだけの二転三転ではなくて、だんだん強く生きていこうとしている人の姿が見えてくるところがいいなと思って。

 驚かすつもりは全然ないんです。

――なにをおっしゃいますか。あの展開は驚きますよ。もうびっくりですよ。桐野さんだって帯文に「まさか、こんな展開になるとは思いもしなかった」って書かれているじゃないですか。

 本当に驚かそうとは思っていなくて、「この人はこうするだろうな」と登場人物について考えながら組み立てたらこんなんなっちゃった、みたいな感じなんですよ(笑)。

――今は体力気力を回復させつつ、書き下ろしに取り掛かっているということですか。

 そうです。

 私、今日は「ピーター・スワンソンが好きです」とか今人気の海外ミステリ作家の名前を挙げたりして、箔を付けようと思っていたのに...。話しているうちに箔とかどうでもよくなっちゃいました(笑)。

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