半年前、このコーナーで棚田保全活動に参加中と書いた。その田の稲が無事に実り、先日が収穫だった。
手刈りのため、慣れぬ鎌と中腰での作業に身体がすぐに悲鳴を上げたが、それよりも苦戦したのは、刈った稲を藁(わら)で束ねる作業。数本の藁で稲の根本を強く締め、ねじった藁先を輪の隙間に突っ込む。ははあ。結ぶのではなく藁の摩擦を利用して束ねるのか、和装の紐(ひも)の扱いと一緒だ。ただ和装の紐は数本結べば終了だが、こちらは約百平米に植えられた稲が相手。結んでも結んでも果てがなく、翌日は指が筋肉痛になった。
実は今年、私が稲作をしたのは、奈良県明日香村の稲渕棚田。中世に開墾され、日本の棚田百選にも選ばれた由緒正しき地だ。近くを走る街道は、千三百五十年前の壬申の乱前夜、即位前の天武天皇・持統天皇夫妻が都から吉野を目指して通った古道。それだけに棚田オーナーに申し込んだ時は、そんな地で耕作をすることで、歴史小説家として何か得られるかもとの下心も少々あった。
だが実際に作業を始めれば、そんな思いは予想以上にハードな農作業の前にすぐさま消えた。目の前の道にどんな由来があろうとも、夏の陽(ひ)は我々を容赦なく煎りつけ、雑草は刈っても刈っても生える。有体に言えば、作業中は古道に目をやる余裕なぞ、ほとんどなかった。
歴史や文化は尊い。ただ生きるため、そしてそのエネルギーを得るべく食べるための労働の激しさを前にすれば、それらは時に後回しとなりかねない。ただ和装の紐と稲束を結わえる藁の原理が同じだったように、農作業と日本の歴史・文化には共通点がある。我々は普段、それに気付かずにいるだけなのだ。それだけに一年の作業をほぼ終えてみれば、目の前の仕事に挑むことだけで精いっぱいだった自分がつくづく悔やまれてならない。
収穫できた米は、約五十キロ。まずはその恵みをいただきながら、この一年の作業を振り返るとしよう。=朝日新聞2022年11月2日掲載