小学生になったばかりの頃。
当時、よく聞いていたのは「NHKみんなの歌」のレコードで、「山口さんちのツトム君」や「南の島のハメハメハ大王」、「ドラキュラのうた」などのキャッチーでコミカルな曲に合わせて歌ったり踊ったりしていた。
けれど、ある曲がかかるといつも口を閉じ、揺らしていた体を止めてしまう。歌に出てくる言葉は難しくてよくわかっていなかったので、襟を正したというよりも曲の持つ力にただただ圧倒されたのだと思う。
ざわわ、という歌詞から始まる「さとうきび畑」は歌声とメロディーのどれもがきれいで、どこか怖かった。耳は「いくさ」や「父は死んでいった」という言葉を確かに捉えていたはずなのだけど、それが戦争や人がいなくなるという事を歌っているとは考えもしなかった。それでもなにかしらものすごいことを表現しているのだと感じていた。その時、なぜこの歌詞の意味を深く考えなかったのか。たぶん怖かったからなのだと思う。
やがてテレビやラジオから流れてくる数多の新しい歌たちに関心は上書きされていった。けれど、時折──ふと感情が沈んでしまった時には特に、この曲が耳の奥に浮かび上がってくるのだ。
さとうきび畑よりもずっと繰り返し聴いてきた曲はいくつもある。けれど、思い出すたびに胸の奥にあるなにかを掴まれるような曲はそうそうない。
恥ずかしながら、この曲が第2次世界大戦で沖縄に起きた惨事を歌ったものだと知ったのは、20代の後半、当時通っていた鍼灸学校の沖縄出身のクラスメイトがこの曲を歌うのを聞いた時だった。カラオケボックスのスピーカーからギターの旋律が流れ、モニターに歌詞が映しだされた。
「いくさ」は戦いのことで、戦いの末に父親は死んでしまい、さとうきび畑には銃弾の雨が降っている。歌詞は美しく洗練された言葉で凄惨な事実と悲しみを紡いでいた。
愕然とすると同時に納得した。この曲の持つ圧倒的な力は戦時を経験した作者の後悔と決意が込められているからなのだ。
エッセイを書きながら、ちあきなおみや森山良子の歌う「さとうきび畑」を聴き、時折、パソコンの画面を切り替えては歌詞を読み返している。
この歌は父を亡くした子供が戦場になったさとうきび畑に立ち、この地で倒れた顔を知らぬ父親に思いを馳せている。
もしも生きていたら、父は自分をどんな声で呼んでくれたのだろうか、自分を抱く父の腕のぬくもりはどのようなものなのだろうかと。けれどもその思いは風に消えていくだけで、取り戻すことは決してできない。
歌や詩、絵画に彫刻、映画や小説など、悲しく恐ろしい出来事の後に素晴らしい作品が完成することは往々にしてある。作者がそれらの出来事に対しての憤りや後悔、悲しみなどの感情を作品に刻みつけたからなのだろう。
だが、どんなに思いを込めても過去を変えることはできない。できるのは、彼らの作品から思いを受け取った自分たちが、同じ道を歩まないと決意を抱いて進むことだけだろう。
どれほど美しかろうが、こんなに悲しい歌はもう生まれて欲しくない。