千葉県には、そぞろ歩きをしたくなる風景描写に優れた作品が多い。
といえばまず伊藤左千夫『野菊の墓』(1906年/新潮文庫など)が描く田園の風景だろう。江戸川の矢切の渡し(現・松戸市)の別れで知られる明治末期の初恋小説。中学への進学を控えた政夫と従姉(いとこ)の民子との関係は一見微笑(ほほえ)ましいけれど、よく読むとキワドイところもあり、なかなかどうして侮れない。
もう1冊、山本周五郎『青べか物語』(1961年/新潮文庫)は昭和初期の浦安(作中の地名は浦粕)の風景が目の前に広がる名編。
貝の缶詰工場、貝殻を原料にした石灰工場、そして釣り舟宿。ふらりとここを訪れた作家は〈この浦粕へなにょうしに来ただい〉〈おんだらにゃあよくわかんねえだが、職はあるだかい〉と地元の老人に問われたあげく、オンボロな小舟(青いべか舟)を買わされるのだ。古きよき干潟と江戸川べりの物語である。
こうしたのどかな時代を経て、特に県北西部は戦後、東京のベッドタウンとして発展した。森絵都(えと)『みかづき』(2016年/集英社文庫)はそんな時代を描いている。
1961年、シングルマザーの千明は娘が通う小学校の用務員だった吾郎をスカウトし、八千代台に学習塾を開いた。やがて2人は結婚。夫妻が立ち上げた八千代塾は高度経済成長の波に乗って躍進、千葉進塾と名前を変えて県内に4カ所の教場を持つ進学塾に成長した。〈学校教育が太陽だとしたら、塾は月〉と語る猛烈ビジネスウーマンの千明と、わが道を行く戦後世代の娘たち。町の発展と教育をめぐる対立と家族の変転。本邦初の塾小説である。
吉本ばなな『ふなふな船橋』(2015年/朝日文庫)もまたベッドタウンを輝かせる物語だ。
父の会社が倒産。一家離散となった際、15歳の花は〈これをママだと思っていっしょにいてくれる?〉と母にいわれ、ふなっしーのぬいぐるみを渡された。以来27歳になる今日まで、都心の書店で働きながら花は船橋の叔母のマンションで暮らしてきた。恋人にふられたのも船橋、家族の秘密が暴かれたのも船橋、ばなならしいオカルトチックなできごとが起こるのも船橋。〈街って、その人だけの地図でできてるんだ〉。その言葉が納得できる一編。
さて、房総半島を南に下ればそこは海辺のリゾート地。後に全4冊のシリーズに成長した人気作、はらだみずき『海が見える家』(2017年/小学館文庫)の舞台である。
就職した会社を1カ月で辞めた文哉に届いた父の訃報(ふほう)。疎遠だった父の家は館山に近い海辺の町の丘の上にあった。父はここで別荘の管理人をしていたらしい。〈なにをやりたかったんですかね、父は〉。遺品整理の傍ら文哉は釣りやサーフィンにトライするが……。高齢化した別荘地にはたして彼は溶け込める?
一転、こちらの舞台は利根川。三島賞と坪田譲治賞をW受賞した乗代(のりしろ)雄介『旅する練習』(2021年/講談社)は利根川沿いを歩く全旅程約80キロのロードノベルだ。
コロナ禍で予定が消えた2020年の春休み。小学校を卒業したばかりの亜美は、小説家の叔父に誘われて徒歩の旅に出る。我孫子(あびこ)駅を出発し、目指すは鹿島アントラーズの本拠地・茨城県の鹿嶋。叔父は道々風景描写の練習を、サッカー少女の亜美はリフティングの練習をしながら歩くのだ。手賀沼を経由して、川沿いに木下(きおろし)、滑河(なめがわ)、佐原(さわら)。〈あたし、この旅のこと、ぜったい忘れないよ〉という言葉の重さを読者は最後に知る。利根川文学の傑作である。
かつてその利根川の水運で栄えた水郷佐原(香取市)は、小江戸の愛称を持つ県有数の観光地。ここには伊能忠敬(ただたか)の旧宅が残っている。
1745年、外房の小関村(現・九十九里〈くじゅうくり〉町)に生まれた忠敬は17歳で佐原村の名家・伊能家の婿養子になった。童門冬二『伊能忠敬』(1999年/河出文庫)は忠敬の前半生に焦点を合わせた物語。九十九里浜で星に魅せられ天文学に興味を持ち、当主としては商売を守(も)り立て、利根川の氾濫(はんらん)や天明の飢饉(ききん)に腐心する。後に日本地図を完成させた忠敬も歩く人だった。この土地にしてこの人ありだったのだと教えられる。=朝日新聞2023年6月3日掲載