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カンヅメを開ける 澤田瞳子

 四年ぶりにカンヅメをした。テレビドラマや漫画などにも時々描かれる、物書きが執筆に集中するためにホテルなどに押し込められるアレである。「缶詰」と表記されることも多いが、建物に入るのだから「館詰」が正しいとの説もあるという。ゆえにここでは間を取ってカタカナ表記にするが、わたしの小説家人生でカンヅメはこれで三度目。過去二回が一泊のみだったのに比べ、今回は四泊五日の中期カンヅメである。

 場所は東京都内、某出版社の一室。カンヅメ部屋、もとい執筆室と呼ばれる専用の部屋にお世話になった。室内の様子は、昔ながらのビジネスホテルに、やけに巨大な机と椅子が鎮座している光景を想像していただくといい。小冷蔵庫の上にはテレビが載り、ユニットバスには歯ブラシ類もそろっている。軟禁されているわけではないので、出入りは自由。むしろ食事は出ないため買い物に行く必要があり、運動も兼ねて折ごとに辺りを散歩していた。

 界隈(かいわい)はビジネス街で、カンヅメ当初の週末は人通りがなかった。だが月曜を迎えると光景は一変し、朝昼晩を問わず往来に人があふれた。

 考えてみれば旅行に出ても、観光地を巡るのに懸命で、宿周辺を幾日も観察し続けることはない。そう思うと一点に滞在し、同じ町を眺め続ける日々が面白くなってきた。

 無論毎日の暮らしの中でも、自分の町を見てはいるのだ。だがその土地の生活者の目と、数日間の滞在者の目は違う。たとえればどうすればここで居心地よく暮らせるかを考える野良猫と、道路工事に伴って臨時に設置された信号機のようなものかな、と舞台が平安時代の小説を手直ししながら考えた。そのせいなのか、結局カンヅメを終えても仕事は仕上がらず、いまだに東京から持ち帰った作品を抱えている。ただ今のわたしは目まぐるしく表情を変えるあの町に抱いた感情を、物語のどこかに書き足したいと思っているから、それはしかたがない。物語の完成まで、あとわずかだ。=朝日新聞2023年6月21日掲載