私には、才能がない
小説家になりたい者にとって、新人賞を獲った者による「受賞の言葉」は、憧れと嫉妬の対象である(少なくとも私の場合は)。
だからだろうか。夢野さんの〈受賞の言葉〉が引っかかっていた。
「受賞の連絡を頂いた時、長年の夢が叶ったことに歓喜すると同時に、何故私ばかり幸福なのだろう、と思いました。」(「群像」6月号、講談社)。
傲慢ともとらえられかねない言葉だ。でも今回、取材をしてその印象が覆った。彼女が何度も口にしたのは、「私には才能がない」という言葉だった。
「私、『読書家です』とは、とても言えないんです。図書館が近所にあったので、父や母の自転車の後ろに乗せられて、よく通ってはいましたが、『この棚を全部制覇した!』みたいなことは全然なくて、好きなジャンルや作家もその時々でころころ変わって……。川端康成や夏目漱石も国語の教科書を通じて読んでみた、というレベルでした。ただ、10歳の頃の日記に『小説家になりたいです』と書いてあって。頭の中にはずっとその夢があったんです」
初投稿は、大学4年のとき。区役所の内定を取り、卒論も終え、社会人生活がスタートするまでぽっかりと時間が空いた。「書くなら今しかない」。今とは別名義で少女向けライトノベルのコンクールに応募した作品は佳作を獲り、執筆の依頼を受けて、作品が本になったこともある。
初投稿が編集者の目にとまり小説家デビュー、やっぱり文才があったんですね。
「いえ、ビギナーズラックだと思います。その頃、社会人になったばかりで、仕事についていくのにいっぱいいっぱいになってしまって、すぐにあのキラキラした世界が書けなくなってしまったんです。せっかくチャンスを頂いて、出版社の方にもよくしていただいたのに、それを活かせるだけの力が自分になかった。大きな挫折でした」
実家の学習机で挑んだ6年間
それでも諦めきれなかった夢野さんは、ホラー、ファンタジー、純文学と、挫折したライトノベル以外の小説コンクールを見つけては次々と応募。
「でも一次も通らない。そのうちに、仕事も小説もどっちつかずな状態になって、仕事もちゃんとしたい、夢も追いかけたい、でも両方を同時にこなせる力が私にはない……。葛藤の末、30歳で新卒から働いていた区役所を辞めました。6年前のことです」
以降、ほぼ無職の状態で、貯金を取り崩しながら実家で執筆に専念していたそう。当人は「ほんと不器用で……」と笑いながら言うけれど、なかなかに勇気のいる選択だ。その後、第4回ふるさと秋田文学賞を受賞。
「ちょうど区役所を辞め、新しい道へ踏み出したときに頂いた賞で、とても勇気づけられたのですが、その後は、また落選の日々……。あれは退職のお祝いみたいなものだったんだと思います」
いやいやいや、やっぱり才能があるから何度も選ばれるわけで……。
「正直、自分に小説の才能があると思ったことはないんです。今回の『ジューンドロップ』も、『群像』の受賞作の傾向には合ってないと思いつつも出した感じで。そもそも純文学って『一文一文で革命を起こすぞ』みたいな、斬新さや凄みがあるイメージなんですが、私にはそういったものは書けない。自分が書けるもののなかで勝負するしかないんですよね」
「読書家ではない」、「純文学は難しい」……。夢野さんからは小説家志望者に勇気を与える等身大の言葉が続く(過小評価のような気がしてならないが)。
最終選考の連絡を無視⁉
受賞作とこれまでの落選作とのちがいはなんだと思いますか。
「うーん、『ジューンドロップ』は書いても書いてもしっくりこなくて、第1稿から第2稿になるときに設定もエピソードも大幅に変わったんです。今思えば、そこに時間をかけたのがよかったのかもしれません。
まず最初にあったのは、天気のいい日に川沿いの遊歩道で、高校生ぐらいの女の子が二人、しゃがみこんでなにかを話しているというイメージでした。そのラストシーンに向かって、私が一番美しいと思える流れでエピソードやアイデアを数珠つなぎにしていったんです。
でもなあ……練れば練るほどわけわかんなくなることもあるし、やっぱり運が良かったとしか言いようがないです」
いや、だから実力だってば!
とにかく自信がなかった夢野さん、なんと最終選考に残ったという編集部からの電話を取り損ねてしまったそう。
「夕飯を作っていたら、携帯がブーブーとなって、どうせ保険かカード会社のなにかだと思って放っておいたんですが、着信履歴を見ると〈03〉で始まっていて。その番号をネットで調べると、(「群像」を発行する)講談社の代表番号に似た番号ではあったんですが、いや違う、どうせ違うって思ってしまって。というのも、ネット掲示板とか過去の受賞者の言葉から勝手に推測して、最終選考の知らせだったら1週間前に来てるはずだって思い込んでたんです。前の週、それで散々落ち込んでやっと気持ちを切り替えたところだったので、ぬか喜びしたくなくって……。結局、編集さんが再度掛けてくださって、ああ、ほんとに電話ってくるんだ、これって都市伝説じゃなかったんだなって思いました(笑)」
悲しいニュースに埋もれないように
なぜ才能がないと思いながら、6年も応募し続けられたのだろう。
「小説には自信がないのですが、私なぜか『幸運の星の下に生まれてきた』という自信はあるんです。今までも、困ったことになったら必ず助け船が現れたり、落ち込んでいるときにいい出会いがあったり、家族や友人にも恵まれていて、区役所を辞めるときにも『一度きりの人生だし、いいんじゃない』と言ってもらえました。小説を書く才能がなくても、書き続けていれば、いつかラッキーが転がり込んでくるかもしれないって思っていたんです」
夢野さんの受賞の言葉にも「何故私ばかり幸福なのだろう」という一節がありましたね。一方、「ジューンドロップ」の主人公・しずくは、恵まれた環境で育っていることを自覚してなお、苦しんでいます。
「夢を追いかけたくても、私みたいに『仕事辞めます』って言えるひとばかりじゃないですよね。そもそも実家にいたからできたことですし。自分が恵まれていることに対する罪悪感というか、コンプレックスはずっとあります。
ただ、苦しみや悲しみは、誰かと比べて少ないとか大きいとかいう相対的なものではないと思うんです。私は、それぞれの辛さを辛さとしてその人と同じように受け止めて、寄り添いたい。そういう思いがしずくの描き方に投影されているのかもしれません。
悲しい出来事やショッキングな出来事のほうが世の中に浸透しやすいけれど、紫陽花がきれいとか、今すれちがった恋人たちがすてきだったとか、じつはこの人、こんなに優しかったんだとか、私が実際見えているものは悲しいことより素敵なもののほうが多いなって思うんです。おこがましいですが、私のこの能天気な世界の見え方を小説を通しておすそ分けして、少しだけ誰かの気持ちを明るくできたら、と思っています」
夢を見る才能
夢野さんにとって「小説家になる」とは。
「私にとって『小説家になる』とは、自分の作品を、自分以外の人が読んでくれるということです。
前回の市川沙央さんもおっしゃっていましたが、今はインターネットで誰でも作品を発表出来て、SNSを駆使して上手に宣伝して、みんなに読んでもらうってこともできる時代だと思うんです。ですが、私はスマホも持ってないし、SNSで宣伝するノウハウも、それに耐えられるメンタルも持っていなくって。本当に化石みたいな人間なんです。だから自分の作品を人に読んでほしいと思ったら、昔ながらの文学賞に応募するしかなかった。
最終選考通過で一番嬉しかったのは、今回は下読みさんだけじゃなくて、編集部の人も選考委員の先生もこの作品を読んで下さったんだ! ということ。今まで家族や友人の時間を奪うのも悪くて、誰にも作品を見せずにひとりでひっそりと書いてきたんです。落選するたびに、『この作品も誰にも届かなかったな』と思っていたので、今は夢のようです。私以外の人が私の作品を読む世界、ありがとう!って」
最後に、小説家になりたい人へのアドバイスをお願いします。
「昔、文学賞を受賞する倍率を考えたことがあるんです。1000人に1人とか、2000人に1人と思うと、途方もない確率ですよね。でも、私一人に焦点を当てたら、いつだって〈受賞するかしないか〉の2分の1の確率だと思うんです。小説って、誰しも自分にしか書けない物語があって、今でしか書けない物語があって、それをその時選ぶ側だった人の目に留まるか留まらないか。書き続けていればいつかそのタイミングがかっちりと合う日がくる。私はそういう思いで書いてきました。単純すぎるかもしれないんですけど……」
夢野さんは才能を信じない。才能が小説家の絶対条件だと思っていない。だからこそ、落選しても「めぐり合わせ」だと書き続けてこられたのだろう。
取材の帰りに持たせてくれたどら焼きは、おすすめの銘菓をわざわざ買いに行ってくれたらしい。かわいいりすの絵柄のお礼状つきだった。6月の優しい雨が降っていて、気づいたら「ジューンドロップ」の中の美しいシーンがいくつもいくつも立ちのぼり、身の内を温めていた。
夢野さんには夢を見る才能があった。
その才能は、人間を、人生を、この世界を、美しいと信じる心にあった。
【次号予告】
次回は、第66回群像新人文学賞を夢野さんとダブル受賞した、村雲菜月さんにインタビュー。「蜘蛛を助ける夢を見た朝に、たまたま村雲さんの受賞作『もぬけの考察』を読んだんです。さっき助けたはずの蜘蛛が、『もぬけの考察』では大変なことになっていて……、なんだか勝手にご縁を感じました。私とは全く違うテイストの、からっとした文体の独特のユーモアがある作品で、いつかお会いしていろいろうかがってみたいです」(夢野さん)